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「歩けなくなる未来」を悲観しない3つの理由。
自由に歩けなくなるかもしれない。動けなくなるかもしれない。障害があるから、障害さえなければ、なんて考えに陥ってしまいそうなところ。個人的にも諦めることが増えてきた実感はある。なのに、これからも人生は楽しそうだなと思ってしまう。これは経験と考え方の問題であって、メンタルが強いわけでも、強がっているわけでもない。 -
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的確に自己肯定感を殺してくる就活。リクルートスーツは私にとって喪服のようなもの。
私は俗に言う就活生で、どうやら来年には社会人として働いているらしい。内定をもらえればの話だけれど。合同説明会の会場の最寄り駅に着くと、あの子もあの子もあの子も全身真っ黒で、同じような出で立ち。個性のカケラもない。一人ひとりの違いがわからない。「就職活動=自己肯定感抹殺ゲーム」はもう始まっている。 -
other
無意識に他人からの評価を気にしていた私が、他者評価の呪縛から解き放たれるまで
小さいころはあまり周囲の大人に怒られた記憶がありません。4つ上の兄が怒られる様子を見て、自分は同じことをやらないようにしていたからだと思います。妹もいたので、兄と妹の様子を見て怒られない行動を無意識にとっていたような気がします。この頃の私は無意識的に他者評価をものすごく気にしていました。 -
other
自分の人生の主導権を取り戻すためには何が必要なのか
「自分の人生の主導権を自分で握る人を増やす」これは私たちプラス・ハンディキャップの活動テーマのひとつです。もともとは「生きづらさ」をテーマにしたWebメディア運営で始まった団体ですが、様々な生きづらさを取り扱う中で見えてきた共通点のひとつが「自分の人生の主導権を自分以外に握られてしまっている」と感じたのです。 -
lifestyle
加点方式で生きるほうが、人生よっぽど楽じゃない?「たら・れば」からの脱却。
「◯◯じゃなかったら」というタラレバ的な発想は、理想の自分を100としたとき、現在の自分がどれだけできていないかと数え、減点していく考え方です。自分の過去や経験、身に降りかかった不幸ごとを変えることはできません。自分に向かってタラレバを使い始めると、どっと心が疲れます。それはすでに自己否定が始まっているからです。 -
society
「なぜ?」という問いが奪う自己肯定感と自己評価。
道ばたで3歳くらいの男の子がお母さんに「なんでそんなことするの?!」と怒られている。いたずらでもしたのかな?子どもは「ごめんなさい」と泣きじゃくって謝っているけれど「なんでママを困らせるようなことするの?!」とお母さんは追及。「なんで?」と連続で聞かれても答えられないよね。お母さんを納得させられるような理由なんてない。 -
human
自己評価が低い私が陥りやすい思考回路。
いきなりですが、私の横に「全知全能の神」が座っていると仮定します。文字どおり、あらゆることを知っていて、あらゆることができる存在です。その神様を100パーセントだとすると、神様でない私は「知らないこと」や「できないこと」が山ほどあるので「これ知らない」「これできない」と自分自身の評価をどんどん減点していきます。横に座っている神様と自分自身を比較すると「自分はなにもできないんだ」という途方もない無力感に襲われます。 -
society
足が悪いのにすごいねって何がすごいの?「障害がある」というフィルター越しの評価。
まだ小さかった頃を思い出すと、よく「頑張れ」とか「負けるな」とか「すごいね」とか、そんな声かけをもらうことが多かったように感じます。普通に頑張っているだけなんだけどなあ。何に負けそうなのかなあ。声かけの言葉の前に、それぞれ「障害があるのに」「障害があっても」という枕詞があったことを知ったのは、小学校高学年になってからでした。