自己評価が低い私が陥りやすい思考回路。

「自己評価」が低い人はどういう思考に陥りやすいのでしょうか。正直、私もその一人です。
 

「自己評価」という言葉が心理学的に正確な用語なのかどうかはわかりません。「自己肯定感」「自己有用感」といった言葉も使われるようです。
 


 

いきなりですが、私の横に「全知全能の神」が座っていると仮定します。文字どおり、あらゆることを知っていて、あらゆることができる存在です。
 

その神様を100パーセントだとすると、神様でない私は「知らないこと」や「できないこと」が山ほどあるので「これ知らない」「これできない」と自分自身の評価をどんどん減点していきます。横に座っている神様と自分自身を比較すると「自分はなにもできないんだ」という途方もない無力感に襲われます。
 

神様のたとえなんて極端だ(私自身は特にそう思いませんが)というときは、次のような仮定をしてみてください。
 

自分が「これなら他の誰かより詳しいかも/これなら他の誰かよりできるかも」と思っていることに対し、目の前にその道のプロや才能、スキルをもつひとが現れたとします。すると比較が始まり「詳しいなんて言えない」「できるなんておこがましい」と気づきます。そしてまた、無力感に襲われるのです。
 

これも極端だ、相手はプロだ、と思われるかもしれませんが、自己評価がすぐに低くなる傾向のひとは、これくらいバッサリと考えてしまうのです。
 

上り調子な思考ができるひとがうらやましい。

 

自己評価が低いことは行動にも影響します。
 

なにか行動を起こすときは、少なからず「できる」「やれる」と思っているから行動するのだと思いますが、自己評価が低くなる傾向にあると、その「できる」「やれる」のハードルが異常に高くなるので、行動を起こすに至りません。その結果として様々なチャンスを逃している気がします。
 

ある程度の期間、他者と関わりをもてば、こういうスキルがある!というようなポジティブな評価を受けることがありますが、当の本人は「誰かに褒められるようなものではない」と思ってしまっています。他者から見ればアピールするポイントであっても、自分自身はそう思っていない。これもまた、様々なチャンスを逃している要因でしょう。
 

そんな私は、自己評価が高い他者をみて、どうしてそんなに軽々しく「◯◯できる」と言えるんだろう、思えるんだろうと眺めています。
 

自分自身を高く評価してみたい。

 

いまだに、自分自身を適正に評価できているわけではありませんが、糸口になる考え方、視点を見つけつつあります。
 

子どもの頃、周りの大人をみて「大人ってなんでも知っていてすごいな」と思っていました。今現在の私の言葉として言い直すならば「大人は現在答えが判明している知識を全部知っているんだな(答えが判明していないことは知らなくてもいい、それを見つけるのは研究者の仕事だろうな)」というところでしょうか。それくらい、大人ってすごいと思っていました。
 

逆に言えば、知識がない大人に対しては「大人なのにそんなことも知らないのか」と幻滅することさえありました。
 

そんな私がいざ大人になって、そうではないということに気づく場面はたくさんあります。例えばクイズ番組です。
 

博識なひとたちでも答えられない問題がある、大の大人でも苦戦する問題がある。そういうことがあるのだから、必ずしも全ての人が全てを知っているわけではないと、自己評価が低くなりやすい私でも明らかにわかります。
 

ワイドショーなどで専門家がゲストに呼ばれているときもそうです。専門家が呼ばれている役割を考えれば、誰もが全てを知っているわけではないということがわかります。司会者や視聴者を含め、大人が一般常識の一部として高度な専門知識をもっていれば、わざわざ専門家を呼ぶ意味はありません。
 

大人すべてが「全知全能」ではない。すべてができるわけでもなければ、すべてを知っているわけでもない。だから、自分ができること、知っていることに焦点を当ててみる。
 

自己評価、自己肯定感を高める一般的な方法やその具体例などは、私もわかりませんが、このように物事をみることもできるのではないかと思い、提案してみました。「生きづらさ」を抱えているひとは、全知全能的ななにかに縛られているのかもしれません。
 

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この記事を書いた人

中司 浩史