「自分も同じ経験をしたから相手の気持ちが痛いほどわかる」ピアカウンセラーに伝えたいこと

支援を仕事にする方たちの中には「自分も同じ辛い経験をしたから、今度は相手の力になりたい」という方が少なからずいます。
 

その中でも「ピアサポーター」や「ピアカウンセラー」と呼ばれる方たちは、自分の経験や属性をオープンにした上で、同じ悩みを抱える方の相談に乗っています。私も発達障害や精神障害のピアサポーターたちに会ったことがあります。
 

「ピア」というシステムはきっと「自分の悩みをリアルにわかってくれる人に相談したい」という需要側と「自分の悩んだ経験を誰かのために役立てたい」という供給側の要望がマッチしているから、これだけ広まっているのだと思います。
 

でも、発達障害とパニック障害を抱えている私だからこそ、言いたいことがあります。
 

どうせなら、ピアカウンセラーよりも、プロのカウンセラーに相談したい。
 

ピアカウンセラー
 

そもそも、ピアカウンセラーとは、1970年代にアメリカで始まった自立生活運動の中でスタートした、当事者同士で相談に乗り合うことを指します。
 

ピアカウンセリングでは、お互いに平等な立場で話を聞き合い、きめ細かなサポートによって、地域での自立生活を実現する手助けをします。

 

(参照元)
全国自立生活センター協議会|ピアカウンセリングとは
http://www.j-il.jp/about/pc.html
 

サイトを見ると、障害だけでなく、性に関する話や自立生活全般にまつわる話題で相談に乗るようです。
 

※他のジャンルでもピアはいるようですが、私が言えるのは発達障害と精神障害に限った話なので、今回は「ピア=発達障害、精神障害」とさせていただきます。
 

私には発達障害と精神障害があり、2年半ほど前からカウンセリングに通っています。障害福祉の支援職をしながらライターとしても働いています。そのため「相談したい」側も「相談してほしい」側の気持ちも想像はつきます。
 

相談する側として「発達障害や精神障害のことを理解してくれそうな人に相談したい」という気持ちは、私にもあります。
 

よくある話だと思いますが「自身の発達障害や精神障害について相談先を見つけること」はかなり難しいです。発達障害や精神障害は、対人関係や仕事の悩みと直結しやすいですが、この全部の相談に乗れる相手はそうそういません。専門が分かれているので「その悩みはうちじゃ乗れません」と断られることもしばしばです。
 

個人的には「悩みは全部つながっているんだから、網羅しててよ…」と思っちゃうのですが、これが現実。全部の相談に乗れる方はめちゃくちゃ人気が高く、予約が何ヶ月待ちといった状態だったりします。辛い。私は運良く、全部を相談できるカウンセラーを紹介してもらえました。
 

当事者が悩み相談に乗るのは、おそらく「先輩に相談しちゃえばいいじゃない?」という人手不足の解消の意味もあると思います。
 

また「相談に乗りたい」側の気持ちも多少想像がつきます。
 

自分がめちゃくちゃ大変な思いをして乗り越えた経験って無駄にはしたくないもの。どこかで活かしたくなります。私が支援の仕事とライターの仕事を掛け持っているのも「活用したい」という気持ちがあるからだと思います。
 

ただ「他の人の役に立ちたい」なら自助会(※同じような悩みを持つもの同士がグループで相談し合うこと)でもいいのではないかと思ってしまうのです。
 

自助会やセルフヘルプグループなら、相談する側とされる側がフラットな立場で接することができます。支援者やカウンセラーになるとどうしても、上下関係になってしまうし、金銭の授与が絡み、仕事としての責任も生じます。
 

ピアカウンセラー
 

それでも「仕事として支援者やカウンセラーになりたい!」と思う方もいるはずです。私もそのうちの一人です。
 

しかし、それなら堂々とプロの支援者やカウンセラーを名乗ればいい話であって、あえて「ピアサポーター」や「ピアカウンセラー」と名乗る必要性があるのでしょうか?
 

この際だから言ってしまいますが「ピア」を名乗って仕事をしている人の中には「あなたプロとしてはどうなの?」ってレベルの人もいます。それもそのはずで「ピアカウンセラー講座」は、通信講座の5時間くらいで取得できるものもあります。それだけで本当に相談に乗れるようになるの?ちょっとこの仕事を甘く見すぎじゃありませんか?と思ってしまうのです。
 

ピアであることの強みは「似たような辛い経験をしていること」と「共感をしやすいこと」だと思いますが、これも必ずしもプラスに働くとは限りません。むしろ「似たような経験」をしていることで、客観視がしづらくなります。自分の経験と相手の経験を分けて考えることのハードルが上がるのです。
 

「共感のしやすさ」に関しても私は懐疑的です。人によっては「自分の成功体験を相手に押し付ける」だけの人もいるからです。あなたのやっていることは共感じゃなくて、ただの自慢や自分語りじゃありませんか?これを正義だと思ってやっている人ほどタチが悪いものはありません。ハッキリ言って、迷惑です。
 

個人的な経験から言わせてもらえば、まったく属性も年代も性別の違う人でも、相談に乗るのが上手な人もいます。逆に、すごく似た立場の人でも「ちっとも話が通じないなぁ」ということもよくあります。
 

誰かの支援をしたり、相談に乗ったりする上で、大事なのは自分の属性や知識、経験だけじゃありません。相談は、自分の人生を一時的に預けるようなものです。仕事としてやるのであれば、信頼できる人であってほしい。知識や経験も大事ですが、信頼関係を結べてはじめて相談ができるようになります。
 

支援者やカウンセラーになるのであれば、健常者と肩を並べて評価されても、恥じないような仕事ぶりをしていただきたい。自分の属性を仕事ができないことの理由にしないでほしい。プロのカウンセラーを名乗る自信がないのであれば、責任が生じない自助会に行ってほしい。これは発達障害や精神障害に限らない話だと思います。
 

支援者やカウンセラーは他人の人生がかかっている仕事です。やりがいや魅力がある反面、報われないこともあれば、憎まれることだってあります。自分の言動ひとつで相手を振り回してしまう危険性があるのもまた事実です。
 

それでも、私はこれからも障害福祉の仕事をして生きていきたいです。「プロとして失格」と言われたら引き下がるしかありません。自分の仕事の価値は、自分だけでは決められません。相手が必要としてくれるかどうかで評価が決まります。この仕事に就く人には、半端な覚悟ではなく、きちんと責任を持ってやっていただきたいと思っています。
 

もう、ピアなんて名乗るのやめて、プロとして仕事しようよ。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。