ゲイであることをカミングアウトしてから、異性愛者の方から「何が大変?」「もし私のまわりにLGBTのひとがいたら、どんなことに配慮すればいいのかな?」という相談が増えてきました。
しかし、ふと考えてみると、僕はゲイであることを言えなかったこと、友人や家族との話の中でゲイを隠すための嘘をつかなければならなかったことが苦痛だった、という2つが大きいだけで、他の誰かに、特になにかしてほしいということはありません。むしろ「そっとしておいて」という気持ちが一番です。
「LGBTのために優しい社会を」と制度の改正を求めたり、理解や配慮を求めたりしている方たちもいます。その方たちのおかげで、実際に法律や風潮が少しずつ変わりつつあるのは大きいと思います。
その一方で、当事者という立場は同じであっても、違う意見もあります。僕のまわりには「ただただお願い、そっとしておいて」という方たちが、まだまだ多いのです。
僕は声を上げることそのものは大切なことだと思っていますが、その活動の内容には「どれだけの当事者に意見を聞き、進めているのだろう?」と疑問に思ってしまうものもあります。
たとえば、僕がゲイであると知った方たちの中には「パートナーシップ制度を使わないの?」と聞いてくる方もいます。制度ができたこと自体はありがたいと思いますし、結婚の可能性があるということは希望になることもあります。
しかし、実際に僕のまわりでパートナーシップ制度を使いたがっている方はあまりいません。「僕たちは同性愛者です」とカミングアウトすることにつながるからです。今、同性婚の制度を堂々と使える方はかなり少数派なのではないでしょうか。
また「どうして、政策は結婚や性のことばかりなのだろう?」と思ってしまうこともあります。困っているのは、もっと身近な生活のことだったりするからです。
以前、僕のゲイの友人が入院をしたときのこと。その友人は仕事でだいぶ無理をしていたらしく、現在ICU(集中治療室)にいるという噂が流れてきました。その話を聞いて、いてもたってもいられなくなった僕は友人に「どこの病院に入院しているから知っている?」と聞いたところ、返ってきた答えは「わからない」でした。
ゲイの集まりでは、職場にバラされたりするトラブルを避けるために、本名や職場といった身元がわかる情報はなるべく秘密にしておくことが多いのです。改めて考えてみると、僕は彼の個人情報をほとんど知りませんでした。共通の友人をつたって情報を探るも、一向に手がかりは見つからないままでした。
そのとき「もし彼の入院している病院が分かったとしても、僕がお見舞いに行っていいのだろうか」とふと頭をよぎりました。そもそも、彼が親にカミングアウトをしているのかどうかもわかりません。僕がお見舞いに行くことでバレてしまう可能性だってあります。
僕は友人の心配をしているだけであって、やましいことをしているわけではないのに、なぜこんなに悩まなければいけないのかと悶々としました。
もしかしたら、色々な制度が使いづらいと感じるのは、僕が長い間ずっとゲイだということを隠してきた背景があるからかもしれません。異性愛者の方とはカミングアウトするまでは距離を置き、ゲイコミュニティの友人と過ごすことが多かったです。そんな僕の周囲には「そっとしておいてほしい」という方が多いのです。
一方でゲイの中にも、小さいころから「男性を好き」ということをオープンにしてきた方もいます。その多くは、僕とは逆で異性愛者の友人が多く、ゲイの友人がほとんどいない印象があります。同じゲイでも、あまり接点がないような印象を受けます。
LGBTの権利のための活動をしている人たちは、もしかしたら僕たちとは違うコミュニティなのかもしれません。当たり前ですが、LGBT同士であっても過ごしてきた環境も異なれば、意見の違いだってあるのです。
きっと、僕のようなタイプの声は一番、当事者以外の皆さんに届きにくいのだと思います。自分のことをオープンにして周囲に溶け込むことも、仲間と一緒に声を上げることもありません。だからこそ「そっとしておいてほしい」以外にしてほしいことが特に思いつかないのです。
ただ、一つだけ挙げるとしたら、今、多様性の理解は進んでいるように見えて、まだまだ悩み苦しんでいる方がたくさんいるということを知ってほしいです。
飲みの席や学校などの会話で、LGBTをネタにしてからかったり、笑ったりした経験、あるいはその場に出くわしたことはありませんか?その場には、かつての僕のように自分のことを隠している方がいるかもしれません。一緒になって笑っていても、心では「やっぱり同性愛って気持ち悪がられているんだ…」と感じていることもあるのです。
この原稿を読んでくれた方には、少しでもいいので心に留めてもらい、同じような場面に出くわしたときに、「これは笑っていいことなのかな」と一度立ち止まって考えてもらいたいです。もしかしたら、笑い話では済まない傷を、誰かに負わせてしまっているかもしれないのですから。