私は、一年中マスクをして生活しています。
春や秋冬はもちろんのこと、夏はどんなに暑くても、汗をかいても、絶対にマスクを外しません。それは、自分の顔色や表情を相手に悟られないようにすることで、不安や緊張をカモフラージュできるから。人と会うときには常に着用しています。
私にとっては、暑さや不快感よりも、圧倒的に大きな苦しみを和らげることが重要なのです。
私は、「社交不安障害」という精神障害を抱えています。大学3年生の時に発症しました。簡単に説明すると、「社交の場面において、強い不安や緊張を感じてしまう」という病気です。
実際に、私も誰かと会うときには、相手が誰であろうと、強い不安や緊張を感じています。人と会っていないときでも、会うことを想像したり、明日もバイトに行かなくちゃいけないと思ったりすると、強い不安感に襲われます。
人と会っていても、会っていなくても、苦しい。リラックスして会話できる相手が一人もいない。そんな状態なので、どんなときも自分は「ひとりぼっち」なんだという感覚があります。
社交不安障害を発症してからの自分にとって最も重要なことは「不安や緊張を感じる場面をできる限り避けること」そして「どうしても避けられない場合は、自然にその場をやり過ごすこと。そのための準備を徹底的に行うこと」です。
自然にやり過ごすための準備として、最近特に力を注いでいるのが、アルバイトのシフトが組まれた際に、帰り道が一緒になりそうな人をチェックしておくことです。そして、その人と一緒に帰らなくて済むための嘘の用事か、帰りの道中に話す話題を用意しておきます。
一緒に帰ることになれば「気まずい雰囲気を作らないこと」を最優先事項とし、次から次へと質問をしたり、あえて無関心そうなリアクションをしてみたり、必死にその場をやり過ごそうとします。表面上は、あくまで「自然に」です。
傍から見ると、仲良く会話をしているように見えるかもしれませんが、その場をやり過ごすための会話でしかないので、そこから仲が深まることはありません。
こんなふうに、取り繕うように、誤魔化すように毎日を過ごしています。
そんな、人とのやりとりに人一倍気を遣ってしまう私ですが、「人が嫌いなのか」と尋ねられたら、きっぱり「いいえ」と答えます。
自分で言うのは憚られるのですが、私は元々明るく活発な人間でした。色々な活動を通して、人と仲良くなりたい、良い関係を築きたい、という気持ちを常に持っていました。その気持ちは、社交不安障害になってからも変わっていません。
ただ、人との関わりを避けているというのは事実です。私が日頃から意識している「不安や緊張を感じる場面をできる限り避けること」というのは「人と関わる場面を避けること」に他ならないからです。
けれども、それは「人が嫌い」だからではなく、「人と上手く関われない自分が嫌い」だからなのです。
不安や緊張に怯える自分を見たくないし、また相手にも見せたくない。だから、常に自分を隠すことになります。マスクをしたり、取り繕う形でしか会話ができないというのが、その最たる例です。「本当の自分はこんなのじゃないのに…」という思いを抱えながら人と接しています。
唯一、本当の自分を出せる(と自分が感じられる)のは、お酒を飲んで酔っ払っているときです。お酒も、不安や緊張を取り除いてくれるツールとして上手く活用しています。
飲み会で、友人を笑わせたり、自分も笑ったりしている時間は、本当に「今日まで生きてきてよかった」と思うし、友人のことをとても大切に思っている自分に気付くこともあります。
先述のバイトの帰り道であっても、相手が笑ってくれたり、「なるほどね〜」と感心するような相槌を打ってくれたりすると、その場をやり過ごすためだけの会話とはいえ、やはり嬉しい気持ちになります。
こういうことがあるたびに「もっと人と関わりたい」と思っている自分が顔を覗かせます。できることなら、マスクやお酒に頼らず、会話の準備をすることもなく、素の自分で付き合っていきたいと強く思います。
しかし、そんな前向きな気持ちがある分、自分の意思とは真逆の反応をしてしまう(不安や緊張を感じてしまう)身体とのギャップが、非常にもどかしくてやりきれないのです。
「今日は積極的に会話してみるぞ!」と決意した矢先、実際に人と会ってみるとやっぱり苦しい。そして結局「自分はダメなやつなんだ」と落ち込むハメになります。
この、前向きな気持ちを踏みにじるように襲ってくる不安や緊張、それを感じてしまう自分の脳や神経が、無性に腹立たしく、憎くてたまらないのです。