自意識過剰だった私が痛感した「世界は自分のために回っているわけではない」

ライターとしては珍しい話かもしれませんが、私はこの仕事を始めるまでブログを書いたことがありませんでした。TwitterやFacebookなどのSNSは見る専門。言ってしまえば「自分の思ったこと、感じたこと」を発信したことがほとんど無かったのです。
 

その理由は簡単で「他人からの評価」が気になりすぎて、気軽に発信できなかったから。「これで合っているのか不安」「的外れだと思われてしまったら、恥ずかしい」「バカにされたら嫌だな」そんなことをグルグル考えて、結局自分の中で終わってしまうことがほとんどでした。
 


 

学生のころは「自分の意見を言わないこと」「周りに合わせること」がいいことだと思っていました。行きたい場所、観たい映画、よく聞く音楽。好みの話になっても、相手の好きそうなことは何かを探っていました。いつも人の顔色を伺っていたのです。
 

周りに合わせていたのは人間関係だけではありません。勉強も「平均点より上であればいいや」と思っていました。私の中にあるのは、「あの人よりいい」「周りと比べて同じくらい」という相対評価だけでした。自分の基準なんて、持っていなかったのです。
 

「周りに合わせる」ことだけでうまくいかなくなったのは、就職活動がきっかけでした。なんとなく知っている企業に応募しようとしたはいいものの、エントリーシートが書けませんでした。自分の思ったことをずっと出さないでいた私は、いざ「あなたはどんな人ですか?」「あなたのやりたいことは何?」と聞かれても、答えられませんでした。1社のエントリーシートを書くのに1日以上かかったのに、ほとんどが落とされてしまったのです。
 

就職活動でうまくいかなくなってはじめて、私は子どもの頃の価値観ではやっていけないのだと感じました。子どもの頃は、「相手に譲った」「自分は我慢をした」ことが褒めてもらえました。しかし、大人になっても、受け身の発想でい続けると、どんどん自分の望みから遠ざかります。我慢をしても、待っていても、誰も自分の代わりに要望を叶えてくれることなんてありません。世界は、自分のために回っているわけではないのです。
 


 

「待ち続けてもいいことなんてない」と思った私は、遅ればせながら自分のやりたいことをやるようになりました。気になった場所に行ってみたり、人に会いに行ってみたりしました。たくさん試してみるうちに、過剰に膨れ上がった自意識が削ぎ落されていったような気がします。中でも、ライターという仕事をはじめられたことは私にとって大きかったです。
 

ライターになって「人と感想をシェアできる場」ができました。イベントのどの言葉が印象に残ったのか、本をどう読んだのか、インタビューのどの部分が気になるのか。感想は一致することもあれば、ぜんぜんちがうこともあります。ライターという仕事を通じて、私は心の一部の扉を開放したのだと思います。風通しがよくなって、人の考えも入ってくるようになりました。
 

インタビューなどで相手に質問をしていくときはいつも「相手の世界観をちょっとのぞかせてもらう」くらいの気持ちでいます。デリケートな話題を扱うことも多いので、最初はみんな「外向きの顔」で接しています。質問や対話によって、徐々に核心に近づいていく過程は、いつもドキドキします。たまに「相手の心の奥に触れた」ように感じる瞬間があると、その人に対して一気に親しみを感じられるようになります。
 

今は「自分一人の世界に閉じこもっていたことが、とてももったいなかったなぁ」と残念に思います。自分が心を開くと、相手は意外な顔を見せてくれることがあります。みんな心の奥底に独自のストーリーをこっそり隠し持っているのだと知ってしまいました。ストーリーを共有できることが、何より楽しいのです。私は誰でも、一つは「自分の話を聞いてもらえる場所、人の話を聞ける場所が持てるといいのではないか?」と思っています。
 

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自分の世界観を周囲と共有する プラス・ハンディキャップ読書会
日時: 12月4日(火)19時00分~20時30分
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参加費: 1000円
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「自分の生きづらさを減らしてくれた本」について、集まった皆さんでシェアします。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。