子どもを産めない僕が気づけた、みんなちがって、みんないい。

最近「LGBTは生産性がない」という発言が話題になりましたが、僕はそれより前から「僕の存在価値って何だろう?」とずっと考え続けてきました。
 

僕はゲイなので、結婚をすることも、子どもを産むこともできません。そのことに対してずっと「親孝行ができない」や「社会で一人前とは認められない」という後ろめたさのような感情を持って生きてきました。「どうして周りの人がふつうにできることを自分はできないんだろう?」と悩み続け、「ふつう」に憧れ、女性と付き合ったこともありましたが、結局うまくはいきませんでした。
 

しかし今、「この悩みを経験してきたからこそ、誰かの役に立てることもあるかもしれない」と思っています。
 


 

僕が周囲との違い、同性愛を認められるようになったのは、「対話型アート鑑賞」というワークショップでのやり取りがきっかけでした。このワークを経験し、僕は一緒に会社を立ち上げようと声をかけてくれた代表に、いつか話さないと…と思いつつ、言い出せずにいたゲイであることを、打ち明けることができました。
 

「対話型アート鑑賞」は、アート作品を見ながら「このアートを見てどう感じたか?」ということを自由に語り合っていくワークショップです。「正しい答え」はないので、気づいたこと、想像したことを自由に語れるのが特徴です。
 

そのときは、太い筆で、丸を描いた作品について語り合いました。ファシリテーターの方が「高橋さんは、どう見えますか?」と聞いてくれたので、僕は「すごくでかいドーナツのようにも見えるけど、じっと集中して見ているうちに実は額に入りきれない程の大きな魚の目なんじゃないかなと思いました。」と伝えました。
 

僕のコメントに対して、一緒にワークを受けた代表は「高橋君はそう見えるんだね。面白いね。僕は、線に注目しちゃって。右側と左側が微妙にずれているのが気になるんだ。」と話していました。お互い、同じ物を見ているのに考えていることや、見ていることが全然違ったのです。それと同時に僕の発言を受け入れ、面白いと表現してくれました。
 

僕は今まで、自分がゲイだということがバレないように、ということばかりを気にして、相手の発言に対し「求めている答え」を常に意識して話す癖が付いていました。
 

しかし、ワークの中での代表の言葉を聞いて「みんな違ってみんないい、というのはこういうことか?」と少し実感できた気がしました。僕はあくまでも「自分はこう見える」という意見を言っているだけで、どちらが正しいということでもないので、僕の見方を否定されることはありません。それに「違う見方をしている人に対しても、別に僕のことを批判しているわけではない」と気づけたのです。
 

「違いを認める」ということは、アートの見方に限った話ではありません。これは、LGBTについても同じだと思います。僕は以前までだったら「ゲイを嫌い」と言うような人に会ったとしたら、まるで「僕が嫌われている」かのように感じてしまっていました。
 

でも、今はゲイであることと、自分自身を少し切り離してみることができるようになりました。ゲイを嫌いな人がいても、それは「この人は僕と好き嫌いが違う人だ」というだけなので、僕が傷つく必要はありません。その人に対しても「ゲイを嫌いなだけで、別に僕のことを嫌いなわけではない」と思えるようになったのです。
 

自分自身が、人と違う見方をすること、人と違う部分があることを肯定できるようになったのです。
 


 

ゲイであることをカミングアウトすると「全然ふつうじゃん」や「そんなの私の周りにもたくさんいる。」と言われることもあります。
 

以前はこの答え方をされると自分の悩みが否定されたように感じていました。「ふつう」や「そんなの周りにたくさんいる」というのは、その人から見た事実であって、僕の想いには向き合ってくれていないように感じてしまったのです。
 

自分の中では「子どもが産めない」ということは「生きる意味」がわからなくなってしまうくらいに、重大なことでした。問題の重さは周りが決めることではありません。本人がどう感じているのかによって、重さが変わってくるものなのだと思います。
 

だから、僕はもし周りにカミングアウトができないことで苦しんでいる人がいたら「僕もそうだったよ、今まで辛かったね」と言えるようになりたいと思っています。そして、周りと違ったとしても「あなたがあなたらしく生きていることでいいんだよ」と言いたい。自分を肯定して、好きになって欲しいと思います。
 

おこがましいかもしれませんが、僕の人生経験を語ることで、僕と似たような悩みを抱えている誰かの支えになれればと思っています。「人の役に立つこと」「人の役に立てること」が、僕の生きる価値になり、生きがいになりました。
 

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この記事を書いた人

高橋 圭

1984年長野市生まれ。思春期真っ只中の高校生時代に男性を好きになり始め「僕はみんなと違う。普通じゃない?」と困惑。周囲にバレたくないとの思いから人との関わりの中に壁を作り、異性愛者を演じて生活をしていた。
ゲイである自分を受け入れるのに時間もかかったが、2018年に共同で会社を設立したことをきっかけに、「このままでは仕事もプライベートも本気で行えない」と公開カミングアウトをする。生きにくさを抱えるLGBTQ+の人々が、少しでも生きやすい世の中になるよう自分らしい活動を行なっている。