逆境や負の感情をエネルギーとして走り続けることは、もうできないかもしれない

6年前、新卒で入った会社をパニック障害で退社して以来、私の目標はずっと「マイナスなことを解消したい」でした。

病気を治したい。薬を飲みたくない。発達障害の影響を少なくしたい。辞めずに済む仕事をしたい。仲の悪い親から離れたい。お金に困りたくない、等々。マイナスな材料はたくさんありました。

「一刻も早くこの苦しい状況から抜け出したい」ということで頭がいっぱいで、長期的な視点で「こういう人生を歩みたい」なんて言っている余裕はなく、数々のマイナスなことを解消さえすれば、きっと将来的には楽になる、安定した生活ができるはずと信じて、全力で取り組んでいました。

とにかく、次から次へと問題が出てくるので、目の前のことで手一杯だったことも事実です。

逆境や負の感情は、時として強烈なエネルギーになります。そのエネルギーの集大成として「発達障害だからといって、他者理解の努力を放棄していいのですか?」というコラムを以前書いたのですが、この原稿を書き終えたとき、私は一つのピークを迎えました。自分の中で、何かが確実に終わりを告げたのです。

「ついに、終わってしまったんだ…」そう感じました。私の中で「解消したいマイナスなこと」がほぼ尽きたのです。正確に言えば、状況的にはまだいくつも残っていますが、心理的には「気が済んだ」「わりと満たされている」という状態です。

「安定した生活」は叶えてみると、拍子抜けしてしまうような日常でした。迫りくる問題がとりあえず見当たらない生活に、私は少し途方に暮れてしまっています。燃え尽き症候群に近いかもしれません。

こんなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが、私にとって病気を治すことや障害を受容することは「わかりやすい目標」になっていました。問題解決の優先順位が高いので、迷うことがありません。原因があり、対処法もある程度は確立されています。

思い返すと、受験生の頃に若干近い心境でした。やるべきことが明確にあって、気が重く、辛い作業ではあるけれど、今これを頑張っていることは確実に将来のためになると安心できる。そして、達成感や充実感も伴います。
ただ、病気や障害について記されている本には、その後の人生について記述されていることはほとんどありません。目印も何もない草原に、いきなり放り出されたような気分です。何を指針に、どこを目指せばいいのだろう。それは、全部自分次第なのだと思うと、クラクラしてしまうくらい自由です。

きっと、私は「マイナスを解消すること」を美化しすぎていたのだと思います。病気さえ治ればなんでもできる気がしていました。障害が原因で、ありとあらゆることが困難になっていると感じていました。

また、苦しい状況でも、諦めずに取り組んでいくためには夢を見ることが必要でした。夢が遠くにあるうちは、キラキラとした希望に溢れていましたが、実現に近づいてくると、少しずつ現実を知っていきます。反対に、いつまでも叶わなければ、どこかで諦めてしまうこともあるでしょう。

現実に直面すると、予想外の一面を見つけたり、時に幻滅をしたり、どうしたらいいのか戸惑ったりしていくのかもしれません。それでも私は、たとえ幻滅することがあっても、現実を一歩一歩生きていきたいと思っています。

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。