「壊れかけたパソコンみたい」だった私へ

5年前、私は自分のことを「壊れかけたパソコンみたい」だと感じていました。ついさっきまで普通に動いていたのに、次の瞬間フリーズしてしまい、何のボタンを押しても動かない。いきなりシャットダウンしてしまって、作業中のデータが消える。終わっていたはずの作業に戻ってやり直し。それらが続くと「ちゃんと動けよ!」と焦りはつのり、生産性は無くてもヘトヘトになります。具体的な症状としては、頭痛や生理痛等の心身症、不眠、パニック障害、しょっちゅう出る高熱でした。
 

そんな自分を「壊れかけたパソコン」に例える当時の心理状態は、今考えると恐ろしいです。「故障の箇所」があって「その部分だけ取り換えればいい」ものと捉えていたかのようです。物事はそう単純に割り切れません。
 


 

そこに至るまでの過程に関わっていたのは自分一人ではないのです。他者や環境、社会の影響を確実に受けています。私にとって、体調不良から回復するというのはそれらを発見することでもありました。その時「自分に何が起きていたのか」「それは何の影響があったのか」を知ることは、現実を一つ一つ受け入れていく作業でもありました。
 

思い返すと、物心ついた時から何かしらの体調不良を抱えていました。幼児期は喘息、小学校2年で不眠症、中学に上がる頃まで慢性鼻炎でした。出てくる症状は年齢とともに変わり、小学校5年生の頃にパニック障害、就職する頃には頭痛、生理痛。ありとあらゆる体調不良が代わる代わるやって来ました。それらを治そうと内科に行くも、原因は不明のままでした。そんな生活を送る中で、いつしか私は諦めてしまっていました。症状の理解やコントロール、改善なんて出来るようには思えなかったのです。
 

当時「無意識にこのことを行っていたのだろうな」と思われるものを本の一節に見つけたのでご紹介したいと思います。
 

「私は心の痛みを身体の痛みに置き換えて、目に見える形にしているんです。だって心の痛みって怖いじゃないですか?何が何だかさっぱりわからないし、どうしていいかわからない。でも、自傷して身体に傷をつければ、『あ、ここに傷があるから痛いんだ』って自分にいいきかせることが出来るんです。それで、心の痛みに蓋をすることができるんです。そう、身体の痛みで心の痛みに蓋をしているんですよ『自分を傷つけずにはいられない 自傷から回復するためのヒント』(松本俊彦、講談社、2015年、p.38)」

 

これは、リストカットをする理由について、当事者本人が述べているものです。出てくる症状は違えど、この言葉にとても共感しました。私は自分で受け止めきれないことが痛みとなって体に現れていたのです。痛みや発作がある間は、それで頭がいっぱいになります。そのきっかけとなった出来事そのものからは目がそれるのです。これは無意識に行っていることなので、自分でコントロールは出来ません。ただ、私は結果として、そうやって現実と向き合う機会やエネルギーを失い続けてしまったように思います。
 

そんな日々を送っていた私に、ある人は「本を読め」と言いました。その人は私が自分の苦しみを言葉で表現出来ないことを見抜いていました。「それを表現できるようにするには本を読むしかない」「本の中に自分を見つけろ」と言われました。私が何に興味があるかを引き出して、ピッタリの本を何冊も貸してくれました。そのうちの一冊が先ほど紹介した本です。
 


 

乾いてひびわれた大地が水を吸い込むように、私は夢中で本を読み漁りました。心の中に抱え込んでいた暗くて重たいモヤモヤとした不安は、一年ほどかけて徐々に形を帯びていきました。理路整然と書かれた本を読むうちに、ごちゃごちゃに入り乱れた感情や記憶が新しい知識も加えられて整理されてきたのです。精神科の通院等の効果も合わさり、今では発作や痛みはほとんどなくなってきました。
 

少しずつ回復してきた時に見えてきたのは、それまで自分が歩んできた道のりでした。そこには体の痛みや不調でしか困難を訴えられない、不器用な自分がいました。それを読み取って代弁してくれる理解者のいない、孤独な子ども時代がありました。
 

それは生まれつきの発達障害によってもたらされたものも多くあったでしょう。ただ、それは孤立する一つの要因でしかありませんでした。周りに溶け込めない性格、核家族、父の長時間労働、離婚、シングルマザー、家族のことに立ち入ってはいけないという今の社会の風潮、学歴重視の社会、申請主義の福祉行政、精神科受診への偏見。個人的な要因だけでなく、家庭環境や社会的課題といったあらゆる要因が複雑に絡み合っていました。病気はそれを抱えきれなくなった私がとった、生き延びるための最後の手段だったのかもしれません。
 

人は機械とは違います。一部に不具合が出たからと言って、そこが原因だとは限りません。「問題のある個所を取り換えれば修理完了」「もう心配なく使えます」であれば簡単ですが、そうはいかないのが現実です。今も、自分の性質や大変な状況は変わりません。ただ、病気の頃と違うのはそれと向き合う時間やエネルギーが残されているということです。
 

だから、私は言葉を紡ぎます。本が私に生きるヒントをくれました。残念ながら、必死に探しても良い理解者や支援者に出会う確率はそう高くありません。支援を仕事にしている福祉や医療の現場でも、多岐に渡る困難を的確に汲み取り対処してくれる場所や人はほとんどないというのが現状だと感じます。
 

それでも良い本はたくさんあります。本の中には私よりずっと前に、困難を乗り越えた当事者がいました。当事者と供に歩み、はまり込んだ迷宮から出口へ導こうと奮闘する支援者がいました。私はその人達の足跡をなぞるようにして、ゆっくりと歩みを進めてきました。「今度は私の歩んだ道が誰かの道しるべになって欲しい」その思いを胸に、私は今日も文章を綴っています。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。