この世にマイノリティなんていない!?ちょっと過激なマイノリティ論

皆さん、ごきげんよう。矢辺です。
 

私は、普段、障害がある、就職できない、ニート・フリーターなど、世の中でマイノリティと呼ばれている人と接しています。そんな私が感じているマイノリティとは何かということについて書いていきます。
 

笑顔の家族写真ですが、今日書くことはちょっと過激かも…
笑顔の家族写真ですが、今日書くことはちょっと過激かも…

 

マイノリティを辞書でひくとこんなことが書いてあります。
 

少数。少数派。|デジタル大辞泉より

 

少数。少数派。だからこそ、人々は苦しみ、嘆き、悲しむのだと思います。
 

少数派と言えば、私も少数派の部類に入ります。経営者って、いくら好きでやっているとは言え、少数派と思わざるを得ないことがあります。雇用保険が分かりやすい一例。会社役員というだけで、お金がないからと週5日アルバイトをしても、雇用保険には入れません。会社経営をしているということで、マジョリティ派に属しているということなのでしょうか。
 

あとは、孤独です。自分の事業を人から理解してもらえない、世の中にとって当たり前ではなく、新しい価値観を提供しようと思えば思うほど、お金はなくなりますし、より孤独になります。編集長の佐々木さんも私も、お金にならないウェブマガジンをよく続けているな、と正直思っています(笑)。
 

この辺りは私が苦しんできたことですが、他の経営者の方々は別の悩みや苦しみがあるかもしれません。こういう意味では経営者もある種のマイノリティだと思います。経営者は強いと誰が決めたのでしょうか。私の周りにいる経営者は、お金の悩みを抱えながら、自分たちの価値をどのように認めてもらえるのか、明るく苦心しています。
 

一方で、世の中で言われるマイノリティに目を向けてみましょう。
 

以前行った編集長の佐々木さんとの対談に関して、Twitterでこのようなご意見をいただきました。
 

 

我々は恵まれていて、現実を知らない人だそうです。
 

 

このfacebookの書き込みに対して、こんなコメントが寄せられました。
 

権利のある人間には権利を踏みにじられている人たちの気持ちはわからない。

 

これらの書き込みから言えることは、
 

恵まれている ⇒ 現実を知らない=権利を踏みにじられた人の気持ちがわからない

 

ということだと考えます。確かに、私は権利を踏みにじられたことはありません。また、本当の差別という現実をみたことはないでしょう。そういう意味では恵まれているかもしれません。
 

しかし、これらの投稿に一種の違和感を感じるのです。
 

それは、「私は現実や権利を踏みにじられた人間である」という認識が、自分が自分自身でいるためのアイデンティティになっているのではないか、ということです。
 

「私は権利を踏みにじられていて、あなたは権利を踏みにじられていない」という立場を取ることによって、本当に差別はなくなるのでしょうか。本当の意味での相互理解は生まれるのでしょうか。
 

大事なのは、まず自分のことを「認められる」ことから始めることではないでしょうか。ぼくが手話を覚えようと思ったきっかけは、前職の聴覚障害をもつ同僚の考え方が素晴らしくて、もっと相手とコミュニケーションを取りたいと思ったからです。つまり、「相手を認めた」から相手の土壌にのろうと思い立ったのです。
 

ちょっと傲慢に感じるかもしれませんが、相手に認められた上で自分の土壌にのってもらうことが本当の「理解」なのではないでしょうか。
 

やっぱりちょっと過激な内容でしょうか?でも、もしカチンときたら、それは何かしらあなたの心が動いた証拠です。それはなんでしょうか?
やっぱりちょっと過激な内容でしょうか?でも、もしカチンときたら、それは何かしらあなたの心が動いた証拠です。それはなんでしょうか?

 

私は権利を踏みにじられたかわいそうな人間だから、あなたが振り向かなくてはいけない。
 

これでは、かわいそうな人間としか相手には思われず、本当の相互理解などできないと思います。理解されたと思ってもそれは表面上です。
 

マイノリティと自負する皆さん。もう被害者面するのは止めませんか。大事なことは、自分が認められるために自分がどんな努力ができるかです。自分自身の存在を認めてもらって初めて、相互理解が始まります。
 

考えてみてください。もしキング牧師が、「黒人はかわいそうな人間だから白人は黒人を認めなきゃいけない」と言っていたらどう思いますか。
 

障害とか国籍とか仕事の有無などではなく、日々、「自分とはどのような人間なのか」理解してもらう努力をする。この考え方の延長線上には、全ての人はマイノリティなのではないかという結論に至ると思うのです。
 

全ての人がマイノリティなのであれば、世の中にマイノリティはいない。私はそう考えています。
 

最後に。やはりこの社会で傷つき、立ち上がれない人は確実にいます。そういう人は、まず傷を癒す必要があります。私も相談をうけるときはこの点を強く意識しています。しかし、傷が癒えた後は、自分が周囲から認められるように努力する必要があります。人は被害者意識だけでは生きていけないのです。
 

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矢辺卓哉

双子の妹に知的障害があったことが「生きづらいいね!」の始まり。彼女たちを恥ずかしいと思った自分の心を恥ずかしいと思い、大学3年時、障害のある人に関わる仕事を生涯の仕事にすると決める。障害者採用支援の会社で6年間働き、株式会社よりよく生きるプロジェクトを設立。現在は、障害のある人やニート・フリーター、職歴の多い人、企業で働きたくない人などに特化した支援を行っている。また、障害者雇用を行う企業へ退職防止、障害者が活躍できる組織づくりのコンサルティングを行う。「人生を味わいつくせる人を増やす」ことが一生のテーマ。