クリリンはサイヤ人にはなれない。諦めるから強くなる。

亀仙人のもとでともに修行した悟空とクリリン。当初はライバル関係だった二人も、次第に実力の差が大きくなっていきます。決してクリリンが修行を怠ったわけではありません。悟空はサイヤ人でクリリンは人間。「人間の中では世界で一番強い」と言われるクリリンでも戦闘民族のサイヤ人にはかないません。
 

これはマンガの世界の話ですが、現実世界でも持って生まれたセンスが全然違うというケースは少なくないと思います。わかりやすいのはスポーツです。「天性のセンス」「持って生まれた素質」など、スポーツの世界では優秀な選手に対してそんな言葉が使われることが少なくありません。反対に「諦めなければ夢はかなう」「努力に勝る天才なし」という言葉もあります。
 

才能と努力。どちらが大切かという議論はスポーツ界では昔からあるものかもしれませんが、仕事や一般生活においてはどうでしょうか。基本的には「努力が重要」という意見が多いのではないでしょうか。
 

a1180_000638
 

「努力が重要」という意見には私も賛成です。クリリンも人間の中で最強になれたのは厳しい修行に耐えたからです。決して素質だけで強くなったわけではありません。一方で、サイヤ人と人間はそもそもの戦闘力が違います。ドラゴンボールのマンガ内では人間の戦闘力は「たったの5」に対して、サイヤ人の中でも最弱レベルのラディッツの戦闘力が「1500」となっています。300倍は努力だけでなんとかなる差ではないでしょう。
 

仕事などにおいても同じことが言えるのではないでしょうか。個人の能力を伸ばすためには努力が必要なのは間違いないでしょう。それを否定するつもりはありません。ただ、才能という大きな壁も実在することは認めるべきです。
 

クリリンはサイヤ人襲来あたりから、悟空より強くなることは諦めています。「悟空がきてくれれば」とか「悟空が生きていれば」というセリフからも、かつてのライバルが自分よりも圧倒的に強い存在だと認識しています。では、クリリンの存在意義がないかというとそうではなく、悟空の息子である孫悟飯の教育係的を担っています。なにより、クリリンがいたから悟空はスーパーサイヤ人に覚醒したわけですし、「クリリンのことかーっ!」はドラゴンボールの中の名言として有名(?)です。
 

rirekisyo_man
 

自らのキャリアを考える際にも「自分は起業家になれない」とか「総合商社に入って年収1000万もらうとかは無理」とか、諦めることも時には必要です。大切なのは諦めた中で、その分野では最強、特筆すべき存在にはなれない中で、どうやって人生を楽しむかを考えることです。地球人がサイヤ人を目指すのは無理なんだから、地球人として幸せに自分の生き方を楽しもう、目標を達成しようと思えばいいわけです。
 

これは生きづらさを抱える、例えば障害者や難病患者などのみなさんも同じではないでしょうか。健常者と同じように、健康なひとと同じように、恵まれている人と同じように行動をする必要はないのです。ある分野でトップになれなかった、一流になれなかったといって、そのひとが幸せを感じられないかといえば、それはまた別の話です。
 

私は社会全体が才能というものが確かに存在することを認めるべきだと思います。そして、天才的な人には既存のやり方を押し付けることは無意味であったり、逆効果であったりすることも知るべきではないでしょうか。天才的な才能を持つ人に対して、過去の実績を頼りに従来のやり方を強要することは可能性をつぶすことになりかねません。
 

どんな分野でも確実に才能は存在する。努力だけではどうしようもないくらいの才能の差は存在する。社会全体がその存在を受容したほうが、社会全体としてはもっと生きやすい方向に進む気がしてなりません。

このライターの執筆記事

  1. 仲間づくりという名の排他主義。「仲間教」はなぜ気持ち悪いのか。
  2. 「自分のためには頑張れないけど、仲間のためなら頑張れます」という人が嫌いな3つの理由
  3. 若者の生きづらさってなんだ?ーPlus-handicap Session #9 レポートー