一番の障害って情報障害だと思うんですよね ①

 

Plus-handicapをご覧のみなさん。

初めまして。

ライターの堀雄太、通称リーホーです。

是非、気軽にリーホーと呼んでください。

 

記念すべき第1回目は、自己紹介とともに

自分がPlus-handicapに参加した理由などを

書かせていただけたらと思います。

 

私、堀雄太は、漫才ブーム勃興期の1980年生まれです。

自分は右足が義足なのですが、原因は「骨腫瘍」です。

簡単に言うと、骨がガンになる病気です。

小学4年生の頃に発症しました。

1回目写真

それまでは普通に小学生ライフを送り、野球に熱中していた

のですが、右ひざに痛みを覚え始め、何回か病院に通ううちに、

病気が発覚。(こういう病気って、すぐに判明しないんですよ。

そうした話もそのうち書きたいです)

 

すぐに専門病院を紹介され、長きにわたる入院・治療生活が

始まりました。学校も10か月くらい休みました。

それで、足を切断し、義足となったわけです。

 

ちなみに、大人気バスケット漫画「SLUM DUNK」で有名な

井上雄彦氏の車イスバスケ漫画「REAL」の主人公・戸川清春君と

病気・手術方法が同じです。

人に自分の足のことを説明をする時は、いつもそう言っています。

だって、そうするとカッコ良さそうだから(笑)

 

その話は置いておきまして、そうした経緯で私は義足となり、

かれこれ20年ほど障害者ライフを送っています。

 

自己紹介として、自分が義足になった経緯を簡単に説明させて

いただきましたが、今回のテーマはここからです。

 

私の義足は比較的運動能力も高いので、日常生活にはさして

支障はありません。もちろん、そうなるためのリハビリもしました。

 

自分が義足の障害者であることを人に伝えると、大抵が、

「それは大変だったね。頑張ってるね。」

などといったお言葉をいただきます。

 

それはそれでありがたい話です。

確かに大変な思いもたくさんしたと思います。

 

しかし、振り返ってみると、何が一番大変だったかと言うと、

「自分の居場所を見つけるための情報が明らかに少ない」

ということであった気がしています。

 

特に、自分が義足になった1990~91年頃はネットなんかありません。

主な情報収集手段と言えば、テレビとか家族・知人とかです。

 

運良く、障害者関連の情報に出会えればいいですが、

無ければ無いままでそのまま人生は進んでいきます。

つまり、障害者としての居場所(情報)が見つからないまま、

健常者の中で過ごしていく。

 

長くなったので、今回の話の続きはまた次回に。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

次回もお楽しみに。

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この記事を書いた人

堀雄太

野球少年だった小学4年生の11月「骨腫瘍」と診断され、生きるために右足を切断する。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロ。27歳の時には、脳出血を発症する。過去勤めていた会社は過酷な職場環境であり、また前職では障害が理由で仕事を干されたことがあるなど、数多くの「生きづらさ」を経験している。「自分自身=後天性障害者」の視点で、記事を書いていきたいと意気込む。