自分の不完全さや障害を素直に受け入れると、不思議と世界が広がってきます

こんにちは。ライターの堀雄太です。
 

2013年ももうすぐ終わりですが、今年の3月からplus-handicapのライターとなって障害者についての記事を書いたり、自分のfacebookで障害者関連のニュースを取り上げたり、ブログで障害者雇用に関しての意見を書いたりしていると、有難いことに少しずつですが反響をいただいたりもします。その中の質問として、「堀さん自身も障害者ということですが、以前からこうした取り組みをされていたのですか?」と聞かれたりします。
 

「全くやっていません。むしろ、障害者関連の取り組みは絶対にやらないと思っていました。取り組みを始めたのは、本当に最近です。」
 

これが私の率直な答えです。
 

理由は簡単で、自分の障害を受け入れていなかったのだと思います。あえて言ってしまうと、健常者が上の世界で障害者は下の世界、当の障害者である自分自身がそう思っていたんでしょう。だから、障害者関連の仕事はしたくない。昔、自分の義足を作ってくれていた職人さんから「義足作りやってみない??」と誘われたこともありましたが、速攻でやんわりと断りました(笑)。今だったら、結構やりそうな気もしています。
 

自分が障害者事業に本腰を入れ始めたきっかけはいろいろとありますが、覚悟を決めた言葉を紹介させていただきたいと思います。
 

「やりたいこと、やれること(できること)、やるべきこと」
 

この言葉の出自等は割愛させていただきますが、要は、大抵の人は、やりたいことと自分のできること(能力)を勘案して行動します。それは当然のことです。しかし、それだけになると結局は、自分の半径の中でしか行動や成果が生じない。本当の意味で人に影響力を発揮するのは、「(社会に対して)自分のやるべきこと」を必死で考えて受け入れて、地道に行動していく、という意味になります。活躍している人の多くが、自分がやっていることを“やりたい”レベルから、“自分はこれをやるべき、やらなきゃならない”レベルまで昇華しているように感じます。
 

私自身も、先ほど申し上げたように、障害者に関する仕事はしたくないという思いで「あれやりたい、これやりたい」とフラフラしておりました。しかし、障害を負ったことによるマイナスな経験も、それを多分に生かせる世界があることを知り、その世界にどっぷり浸かる人生でも良いのではないかと考え行動し始めてみると、逆に世界が広がっていったという経緯があります。
 

決して、社会の人全員がマイノリティ事業に取り組むべきであるという意味ではなく、自分の現状に対して、無理せず自分を求めてくれる世界で着実に成長していき、人に対して価値を与えられるようになっていけば良いと思うのです。
 

ただ、そのためにも自分の不完全さを素直に受け入れることが大事です。私は、「障害があるから不完全だ」とは思いません。人間は誰しも少なからず悩みやコンプレックスを感じて生きている生き物だと考えます。どんなに華麗な世界で生きている人も、同じだと思います。しかし、そういった人たちは誰よりも自分の欠点を素直に見つめ、克服するための努力をしています。見た目の華やかさと反比例する不完全さ・悩みの深さが人間の魅力ではないでしょうか。
 

ここで、この記事・動画をご覧ください。
完璧な人間などいないから…障がい者をモデルにしたマネキンが呼んだ驚きと感動
http://news.livedoor.com/article/detail/8335053/

 
スイスのチューリッヒで行われた国際障害者デーのために作られた、脊(せき)柱側湾、骨粗鬆(こつそしょう)症、四肢欠損などの障害を持った人々の体型を詳細にモデリングし、障害当事者の体型にぴったり合わせたマネキン作成の過程を収めた動画です。公開から1週間で、420万PVもあったそうです。
 

内容に関して、さまざまな意見はあると思うのですが、私が一番に感銘を受けた点は、登場する障害者たちが、「健常者に憧れたファッションをするよりも、ありのままの自分でこそファッションが楽しめる」ということを体現しているところだと思います。この人たちは、あえて言えば“自分の不完全さ”を認めた上で、ファッションを楽しんでいます。「自分の体の形は人とは違うけど、それでも自分に合ったものを楽しもう!」という想いが伝わってきて、感動して思わず10回ぐらいこの動画を見てしまいました。
 

先述したように、全員がマイノリティ事業に関わる必要もないと思います。とことんまで上の世界を目指す野心も必要ですし、楽しく日常を過ごす生活でもありだと思います。しかし、何においても自分の不完全さともしっかりと向き合う強さも大事であり、逆に言うと、そこが無いと軸が見えない人間になってしまいますし、軸が無いと自分の人生も愉しめないと考えます。しかし、悲しいかな、いまだに多くの障害者がその状態であるとも感じております。
 

「自分の障害(不完全さ)を受け入れていない」
 

その理由としては、障害は誰しもがなるものではなく、同じ症状になる人の確率は低い上に、他責にしやすい点があるからだと思います。確かにそうです。私も、義足になる原因となった「骨腫瘍」という病気を患った人に出会ったのは、当時の患者仲間のみです。確率から言うと、何百分の一、何千分の一です。しかし、それを言い出したらキリがありません。大体にして、障害を受け入れていない(認めきれていない)人の特徴としては、何かつけて社会のせいにします。
 

「社会が悪い、職場の人が悪い、誰も自分のことをわかってくれない、もっと弱い人に対して優しくなってほしい etc…」
 

私から言わせると、
 

「そんなのわかるわけないじゃん!!っていうか、お前自身、自分のことわかって(受け入れて)ないじゃん!!」
 

もちろん、私も障害当事者なので、胸が張り裂けそうなくらいのやるせない気持ちはわかるつもりです。しかし、だからこそ、もう一歩踏み込んで、「自分の不完全さを素直に受け入れれば、不思議と世界も広がってくる」という勝ちパターンを味わってほしいと切に願っております。紹介した動画を単なる感動映像として捉えるのではなく、ある意味での“成功哲学”として受け取って頂ければ何よりです。
 

堀さんとエンヒッキ選手
 

(余談)
アンプティサッカー(切断者サッカー)の体験をしてきました。要は、義足の人が、義足を外して杖をつきながらサッカーをするスポーツです。選手のみなさんはとても明るくて、自分の障害もすごく前向きにとらえています。一緒に写真を撮ってくれたのは、日系ブラジル人(?)のエンヒッキ選手です。片足ながら、華麗なリフティングや弾丸シュート等、マジですごかったです。障害に関しても、「自分は片足がない。でも、ただそれだけ。楽しめることを存分に楽しむ。」という気持ちが伝わってきました。

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この記事を書いた人

堀雄太

野球少年だった小学4年生の11月「骨腫瘍」と診断され、生きるために右足を切断する。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロ。27歳の時には、脳出血を発症する。過去勤めていた会社は過酷な職場環境であり、また前職では障害が理由で仕事を干されたことがあるなど、数多くの「生きづらさ」を経験している。「自分自身=後天性障害者」の視点で、記事を書いていきたいと意気込む。