このたび、ひょんなことから知り合いになった佐々木編集長のご指名で記事を書くことになりました、桜沢良仁と申します。
HIV陽性者です。あ、エイズ患者ではありません。
こう書くと「???」となる方もいらっしゃるかもしれません。
簡単にご説明すると、エイズというのは、HIVというウイルスに感染して、免疫の機能が大幅に低下し、国が定めた20以上ある「エイズ指標疾患」という稀な病気のいずれかの症状が出ていることを言います。そこまで免疫機能が低下してしまう前に、抗HIV薬での治療で免疫力低下に歯止めをかけている人は、エイズの発症はしていないので「エイズ患者」とはならないわけです。僕のような場合の疾患名はあくまでも「HIV感染症」。ちなみにエイズ指標疾患の中には治療できるものがあって、一度「エイズ患者」になっても現在はそうではない、という人もいます。
1981年にアメリカで最初のエイズ症例が見つかった時は、まだ薬もできておらず、HIV感染すれば必ずエイズ発症して必ず亡くなる、というのが一本のレールになっていました。それからまだ30年あまりしか経っていないわけですが、HIVをめぐる治療は格段に進歩し、「どの段階で感染に気がつくか」によってそのレールが分岐するようになっています。
先日、佐々木編集長に、「生きづらいですか?と尋ねられたらどう回答しますか?」という質問を投げられたのですが、先述のようにHIVというウイルスは服薬で自分自身のコントロール下におけるので、実際のところ僕の場合はあまり生きづらさに影響していません。
とはいえ、HIVという異物を何十年と体の中にキープするわけで、仮にこれが50年とか続いたら何かしらの厄介事に見舞われる、という可能性があります。HIV陽性者は陽性者向けのスカラシップなどを取ってエイズ学会に参加したりしますが、学会ではHIV関連神経認知障害(HIVに由来する認知症)の可能性が指摘されたり、悪性腫瘍のリスクが非感染者に比べて高いことが指摘されるなど、決して薬を飲んでいれば安心、というわけでもありません。30年余りで急激に進歩した反面、まだ30年ゆえに、このウイルスと40年、50年と向き合ったサンプルがそもそもないので、そのあたりに不安が全くないかといえば嘘になります。
見方を変えれば、僕らはそのサンプルにまさになろうとしているとも言えます。高齢化だけではなく、他のHIVとは何も関係ない病気との合併であったり、様々な形でのカミングアウトであったり、雇用問題であったり。時には重病人扱いされたり、時には感染源扱いされたりしながら、治らない感染症と向き合って暮らしていく、というのは、常にトラブルの予感を抱えながら暮らしていく感じだな、とぼく自身は思っています。
今は生きづらくはなくても、生きづらくなりそうな予感は常にある。
もちろん陽性者個々に置かれた状況は異なっていますが、僕の場合はここ数年ずっとそんな感じです。この心境に達するまでにも既にいろいろあったのですが、そこは今後の記事やイベントで取り上げていこうと思います。
僕にとっての「生きづらくなりそうな予感」の最たるものは、「僕は介護施設に入れるのか?」ってあたりです。もうすぐ40代半ばなので、人生(多分)折り返し点にはさしかかったかとっくに過ぎたくらいだと思っていますので。
そもそも最初は短い間にやせ衰えて亡くなっていく病気だったので、エイズが世の中に出たこと、「HIV陽性者の高齢化」なんてものはそもそも想定外だったわけです。
感染症医療の世界では、薬ができ、服薬による治療方法が進歩して、「HIV陽性者でも充分長生きできるんだ」となったわけですが、「長生きした人に必要なアレやコレ」をHIV陽性者が使うということへの対応は遅れていて、病院のソーシャルワーカーの方が介護施設を探すのに難航するという話が後を絶ちません。また人工透析の施設も受け入れてくれるところが見つからない、という話も良く聞きます。
そういえば、当事者団体の最新のニュースレター(http://www.janpplus.jp/information)の特集は、介護、骨粗鬆症、保険でした。こうした「患者の高齢化対策」については、まだまだ支援者と患者自身で切り拓いていくことになるのだろうと思います。