「外国人の特権と生きづらさ」を生む「外国人=白人」という日本人の思い込み

簡単に自己紹介を。私は、アメリカ人の父と韓国人の母との間に生まれた、ケイヒルエミ。2年前にアメリカの大学に入学するまで、生まれ育った日本で生活を続け、小・中・高と、地元の公立に通い、日本人の学生とほとんど変わりのない毎日を過ごしてきた。ちなみに、英語よりも韓国語よりも、私は日本語が得意で、友人が言うには、「ハーフ」より「外人」よりの顔らしい。
 

さて、そんな私ですが、たまに、「日本で「外国人」として生きてきて苦労したことはないか」と聞かれます。以前は「ない」と即答。外国人として嫌な経験をしたことは、日本で暮らした18年間の中で数える程しかありませんが、得してきたかな、と思う部分はそれなりにあったことがその理由です。
 

例えば、駅を歩いていると、美容師さんに割とよく声をかけられます。いわゆるカットモデルのお誘いで、「タダで髪を切るので写真を撮らせてください」ということ。外人顔だから、素人モデルでもそれっぽく見えるということで、おかげさまで、高校時代はヘアカット代をだいぶ浮かしていました。
 

イベントなどに行くと私は目立つらしく、翌日の誰かのブログに自分が写った写真が掲載されるということが結構な頻度で起こります。要するにイベントに外国人が来たというだけで「インターナショナル感」が(意識的であるにせよ無意識的であるにせよ)出るので、主催者側が外国人(=私)の写っている写真を使うのです。典型的な日本人にはピンと来ないかもしれないけれど。
 

私の父が私立高校の英語教師をしていたときは、学校説明会のたびに校門で外国人教師たちにチラシ配りをさせる慣習があったらしいです。「外国人」であることに、ある種の商品価値があるようで、商品扱いされて不快に感じるという方もいらっしゃるかもしれませんが、使い様ではかなりポジティブな方向に転換できます。
 

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「外国人としての生きづらさ」に関して、今まで私はあまり感じてきませんでした。むしろ、「外国人としての特権」というようなものが上回っていると思っていました。しかし、今は、「外国人の生きづらさ」について話すときはもうちょっと考えるようにしています。
 

これは、アメリカの大学へ進学したことを機に、自分が「白人」であることを初めて自覚したことがきっかけでした。私は「外国人」であるだけでなく「白人」。アメリカで人種の概念を実感して、私が前述した「外国人の特権」は「白人の特権」ではなかったのか、と考えるようになりました。
 

日本に住んでいると日常の中で「人種」を意識することはあまりないけれど、本当は日本社会って、無意識レベルで「人種」に敏感な社会だと思います。
 

私が白人ではなくフィリピン人だったら、美容師さんに声をかけられていただろうか?私が白人ではなくインド人だったら、イベントの写真にしょっちゅう写されただろうか?そういえば、電車の吊り広告で、黒人をあまり見たことがないのはなぜだろうか?レモンスカッシュのCMでプールに落ちた本田翼を助ける王子様が白人なのはなぜだろうか?
 

 

「外国人」の中でも「白人」である私が、多種多様な「外国人」の生きづらさを代弁できるのでしょうか?「白人」で「日本語が母国語」の人の生きづらさならば、ある程度代弁できるかもしれません。警察に突然止められて、身分証明書の提示を何の脈絡もなく要求された台湾人の友人の生きづらさを、私が代弁できるでしょうか?できるはずがない。
 

日本で「外国人」として一括りにされている人々は、あまりにも様々です。「外国人」という言葉によって、人種や言語、特権や生きづらさといったものをまとめているように感じます。さらに、「外国人」という言葉は「出身国」や、「言語の流暢度」に関わる「日本社会における社会的地位」を覆い隠しているのかもしれません。
 

言葉の裏側にあるものを見ることは難しく、また「当たり前」の裏側にあるものを見ることは難しいです。この記事をきっかけに、みなさんに「裏側」を想像してみることを意識してほしいなと思います。
 

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この記事を書いた人

ケイヒル エミ

米韓ハーフ。日本で生まれ、小・中・高と日本の公立学校に通ったのち、アメリカの大学に直接入学。現在公共政策学部で、貧困・格差問題やジャーナリズムについて勉強している。「ハーフ」「外国人」の観点から情報発信をしたいと思ったのは、憧れの国だったアメリカで人種問題や移民問題に直面し、そこでの問題意識を、日本での自分の体験と照らし合わせるようになったことがきっかけ。今年中国への交換留学を控えており、大気汚染の影響を心配しつつもわくわく中。