耳を傾けることからはじまる―非正規滞在外国人支援者の声を聞く―

イラン人夫婦のもとに生まれ、先に来日していた父親の命令で、母親とともに2002年に2歳で来日したサラーさん(仮名)。07年に両親が離婚し、父親はイランへ帰国。現在は母親とふたりで生活しながら都内の高校に通う。一見、普通の女子高生だが、同級生のようにアルバイトはできない。都外への移動には制限がある。なぜなら、日本での在留資格がないからだ。
 

07年には退去強制令書が発付された。日本での在留資格がないなら国へ帰れば良いではないかと思う人は多い。だが、保育園から高校まで日本で教育を受けてきたサラーさんはペルシャ語を話せない。イランへ帰れば日本で頑張ってきた勉強は無駄になるかもしれない。女手ひとつで自分を育ててくれた母親と一緒に生活したいが、男性優位社会のイランに帰れば、親権は父親のものになり、母親とは離れ離れになる可能性が高い。お母さんと一緒に暮らしたい。だから、サラーさん母娘は日本で合法的に滞在するための在留特別許可を求めてきた。
 

2014年12月、法務省がサラーさんの在留を認める。しかし、母親の在留は認められなかった。それでは結局母娘はバラバラになってしまう。現在、母娘は再審を求めている。
 

サラーさん母娘の在留特別許可を求める理由を書いたチラシ
サラーさん母娘の在留特別許可を求める理由を書いたチラシ

 

今の日本の法制度に照らせば、サラーさん母娘は「超過滞在」の「非正規滞在外国人」だ。合法的な滞在資格を持たないのだから、アルバイトができないのも、国に帰れと言われるのも当たり前なのかもしれない。しかし、法律にしたがって判断を下すとき、個々人の事情や「母娘で一緒に暮らしたい」というごく当たり前の願いは当然排除されるべきものだろうか。一切の事情や個人の願いを排した判断がなされるとき、法律は一体誰のためにあるのだろうか。日本で暮らす私たちは、その現実をただ黙って見過ごしていて良いのだろうか。
 

本稿では、そんな疑問について、サラーさん母娘を支援している人たちの話から考えてみたい。
 

「これからも母親と、私たちと一緒にいてほしい」

 

10月のとある日曜日の午後、買い物客で賑わう荒川区のショッピングモールの前で、サラーさん母娘と支援者たちが、母娘の在留特別許可を求める署名活動を行った。手には「親子で日本で暮らしたい」と書かれた模造紙。制服姿のサラーさんの友人はマイクを片手に「仲良くなったサラーが、これからも母親と、私たちと一緒にいてほしい」と訴える。サラーさん母娘も、署名活動の理由を書いたチラシを配っては署名を呼びかけた。1時間40分の活動で112筆の署名が集まった。
 

この日署名活動に参加したのは、サラーさんの高校の友人や、サラーさんの同級生のお母さん、サラーさんの母マルヤムさん(仮名)の元雇用主、地元の区議会議員ら。サラーさんの友人は署名活動が終わると「アルバイトがあるから」とバイト先に向かった。自分の生活の合間を縫っての支援活動。自分の生活だけでも忙しいなか、なぜ支援を行っているのか。
 

署名活動の様子
署名活動の様子

 

支援のきっかけは「身近な人が困っているから」

 

荒川区に住む主婦の渡辺明子さんは、息子がサラーさんと同級生。だからマルヤムさんとも同級生のお母さん同士として仲良くしていた。ある日マルヤムさんから「実は日本にいられないかもしれなくて困っている」と打ち明けられたことが支援に携わるきっかけだったと振り返る。
 

困っているなら何か役に立てないかと思ったんです。自分ひとりではどうしていいか分からなかったんですが、サラーさん母娘を支援する会が立ち上がると聞いて参加しました。(渡辺)

 

荒川区で印刷業を営む木村俊和・由美子さんご夫妻は、マルヤムさんの元雇用主。マルヤムさんの前職場から依頼されて数年間マルヤムさんを雇用していた。当時は「在留資格がない」ことがどういう状況かもあまり分からなかったが、在留資格がないまま雇用するのは良くないだろうと、木村さんは区議会議員に相談を持ちかける。
 

ともかく、ビザ(在留資格)を取るには政治的な手続きが必要だろうと思って相談したら、とても親身に考えて動いてくれて、必要な支援をやろうということになったんですよ。同じころ、支援会が立ち上がると聞き、会に参加して支援をすることになりました。(木村)

 

荒川区議会議員の吉田えいこさんは、木村さんの相談を受けた区議会議員から声をかけられて支援に関わり始めた。当初は、母娘の問題だから女性議員がいた方が良いだろう、くらいの気持ちだった。だが、懸命に支援をする人たちと、その支援に支えられるサラーさん母娘を見て、自分だからこそできる役割を果たさなければと思うようになったと言う。
 

渡辺さんが時には厳しいことも言ってくださったり、木村さんご夫妻がフォローしてくださったりと、本当に親身に支援をされているんです。みなさんの支援をうけてサラーさん母娘が少しずつ成長していく過程を見て、私は議員という立場やネットワークを生かして、支援の動きを国の仕組みにつなげる方策を考えなければと思ったんです。(吉田)

 

渡辺さんも、木村さんご夫妻も、吉田さんも、もともと「非正規滞在外国人」の問題に関心があったわけではない。支援を始めたのは、「身近な人が困っているから」というごくありふれた理由からだった。
 

当初はイランに帰ればいいと思っていた

 

今では毎月行われる支援会の集まりや、国会議員との面会にまで駆けつける渡辺さんたちだが、「在留資格がないのになぜ日本にいたいのか、なぜ帰国しないのか」という気持ちがなかったわけではない。日本で育ったサラーさんはともかく、お母さんのマルヤムさんが帰国すれば問題は解決するのではないかと渡辺さんも木村さんも吉田さんも思っていたそうだ。それが今では、サラーさんとマルヤムさんが一緒に在留できてこそ意味があると思うようになったと言う。
 

話を聞くと、いろんな事情があるじゃないですか。そうすると、まんざら本人たちだけが悪いわけでもないのかなと思うんですよ。当人たちだけでどうこうしても現状は変わらないだろう。支援をするのはそんな思いからですね。(渡辺)

 

サラーさん母娘を見ているうちに、このまま母娘がバラバラになったらふたりとも潰れてしまうなと感じました。いろいろな人生の過程を共にしてきた二人ですからね。(吉田)

 

退去を言い渡してから8年間、良くも悪くも日本はサラーちゃん母娘を日本にいさせたわけです。その間日本で教育を受けたサラーちゃんは今更イランには帰れない。この8年間、犠牲になったのはサラーちゃんですよ。日本がうまく対応できなかったことの犠牲は日本がとって、サラーちゃんに学問させて、働かせて親孝行させてあげたい。サラーちゃんのためにお母さんが必要だと思うんです。(木村)

 

支援会では意見の違いから解散の危機に発展したこともあった。サラーさんは日本語が堪能だが、マルヤムさんには細かいニュアンスが伝わらず、もどかしい思いをすることもある。しかし、「一度関わったからには途中でやめられない」と懸命に活動する支援者の姿が、別の支援者を励まし、今日まで活動が続いてきた。
 

支援を通して世界を見る目が変わった

 

支援者が自分たちのことに一生懸命になってくれている姿を見て、街頭で声を出すことに消極的だったマルヤムさんも、最近では「私も頑張る」と口にするようになった。一方で、支援活動はサラーさん母娘をたくましくしただけでなく、支援者自身にも変化をもたらした。渡辺さんは、支援活動を通して世の中の見え方がまるで変わったと言う。
 

「ビザがない」という小さな話から始まって、毎月みなさんとお話をしているうちに、今まで見てこなかったことが見えてきたんです。これまでも選挙は必ず行っていたんですけど、政治家なんて大して働いてもくれないし、支持政党もないから誰でもいいかなと思っていた。だけど、吉田先生たちに出会って政治家への見方が変わりました。真剣に当選発表を見るようになったり、議員さんに直接会いに行ったりするようにもなった。自分の頭を少し働くようにさせてくれたサラーさん母娘には感謝しなきゃいけないですね。直接関わるのと関わらないのとでは物の見え方が違うんだなって思います。(渡辺)

 

渡辺さんは、今やサラーさん母娘の問題だけでなく、非正規滞在外国人の問題そのものに関心を広げ、サラーさん母娘を始め、在日外国人の支援を行うNPO法人APFSの勉強会にも足を運ぶ。
 

木村さんは、近頃ニュースで見聞きする難民問題について、去年日本が難民認定したのは「11人」という数字を即答できるようになったのは、支援に関わるようになったからだと話す。目の前のサラーさん母娘の問題を解決できなければ、さらに大きい難民問題に取り組むのは難しいと考えているが、毎日働くだけで精一杯の人も、ただ働くだけではなく、こうした問題を頭の片隅に置きながら働いてほしいと言う。
 

渡辺さんのように、日本のいろんなことに疑問を感じて勉強する人たちが出てくる。うちの息子も普通の子なんだけど、知らない間に震災のボランティアに参加していたしね。普通の人たちが、ちょっと手を貸してなにか役に立つことをする。そういう人たちが増えていくことが大事なんだね。(木村)

 

20151106③
 

耳を傾けること、自ら選択すること

 

今回、支援者の方々に話を伺って分かったことは次のことだ。支援者は必ずしも以前から非正規滞在外国人の問題に関心があったわけではないこと。むしろ、「在留資格がないなら帰国すればいいのでは」とすら思っていたこと。たまたま身近な人が困っていたから、ちょっとした「手助け」のつもりで支援に関わり始めたこと。支援活動を通して、背景にある社会の問題が見えてきたり、社会の見え方が変わってきたりしたこと。
 

非正規滞在外国人の問題は、誰の国の話でもない日本という自分が暮らす国の話だ。現状を黙認していれば、今後も親子がバラバラになるケースが相次ぐだろう。一方で、地域住民の支援によって過去に在留特別許可を認められた例も少なくない。つまり、現状を追認するのも、現状を変えるのも、日本に暮らす一人ひとりの手に委ねられているのだ。
 

現在APFSでは、非正規滞在の子どもを含む、あらゆる子どもが夢を育める社会の実現を目指し、「APFSこどもの夢をはぐくむ100日間行動」と題して、2015年8月29日からロビーイングや署名活動、入管への要請などを行っている。今後も記者会見やパレードを行う予定だ。また、チャリティー専門のファッションブランドJAMMINにて、APFSとJAMMMINのコラボTシャツなどの販売を11/8(日)23:59まで行っている。商品の売上のうち、700円がサラーさんをはじめとした子どもたちの夢を育むための寄付になる仕組みだ。
 

今回話を聞いた支援者の木村さんは、「疑問をもったときに、その疑問をどう生かしていくかだ」と話してくれた。これはおかしいなと思ったら、行動に移してみること。それは署名をすることでもいいし、チャリティーTシャツを買うこと、友人や家族に話してみることでもいい。そんな小さな一歩が現状を変える一歩になるかもしれない。そのために、まずは身近な人の「ちょっと困っている」の声に耳を傾けられるようでありたい。
 

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この記事を書いた人

木村奈緒

1988年生まれ。上智大学文学部新聞学科でジャーナリズムを専攻。大卒後メーカー勤務等を経て、現在は美学校やプラスハンディキャップで運営を手伝う傍ら、フリーランスとして文章執筆やイベント企画などを行う。美術家やノンフィクション作家に焦点をあてたイベント「〜ナイト」や、2005年に発生したJR福知山線脱線事故に関する展覧会「わたしたちのJR福知山線脱線事故ー事故から10年」展などを企画。行き当たりばったりで生きています。