日本社会でハーフとして生きるとは?ードキュメンタリー映画『ハーフ』を見てー

こんにちは。いつも記事を書かせていただいているケイヒルです。
 

Plus-handicapで書かせていただいている記事も、この記事で早3本目となりました。いつも「ハーフ・外国人」をテーマに記事を書かせていただいているのですが、その過程で必然的に自分の経験や価値観、アイデンティティ意識などを深堀りし「なんで私はあのとき、ああいう風に感じたんだろう?」「○○人ってなんだろう?」「他のハーフや外国人の人たちって、どういうふうに感じているんだろう?」といった、今まで考えなかった疑問にたどり着くようになりました。
 

ということで、「ハーフ・外国人」について、私自身もっと勉強するため、先日、ドキュメンタリー映画『ハーフ』を観てきました。
 

 

ドキュメンタリー映画『ハーフ』は、ルーツや背景もバラバラな男女5人の「ハーフ」の生活や、自らのアイデンティティの捉え方、そして「生きづらさ」に焦点を当てた映画です。私自身「ハーフ」であることもあって、この映画を見て感じたことは本当にたくさんあったのですが、特に印象深かったのは「コミュニティ」という隠れキーワードです。
 

ベネズエラ人と日本人のハーフのエドさんは、子供のころからインターナショナル・スクールに通っていたため、地元のコミュニティとの接点がなく、日本にはあまり愛着を感じていなかったと語ります。しかし、日本でハーフ同士がつながるNPO団体を立ち上げたところ、そこにコミュニティ意識が生まれ、そのコミュニティから日本社会につながることができた、と話していました。15歳のときに、自身が韓国人と日本人のハーフであることを知り、葛藤した経験があるフサエさんは、ハーフの子どもたちが、同じくハーフの大人たちと自然に出会うことで、日本で自然に生きることができる環境をつくってあげたい、という想いからエドさんの立ち上げたNPO団体に参画していると話します。
 

この映画の登場人物は、総じて、日本社会に暮らしていて、疎外感を感じた経験がある方々でしたが、逆に、日本で生まれ育ったハーフの子どもが、自身の日本以外でのルーツを意識する環境が用意されないがために、周りの環境に“同化”し、日本語しか習得できなくなる現象も報道されています(11月25日付Huffington Post Japanより)。上記の報道で言及されている子供たちには、エドさんやフサエさんが(どちらかと言えば疎外されがちな)ハーフの子どもたちに「日本社会」につながれるようなコミュニティを用意したように、周りの大人たちが(どちらかと言えば取り込まれがちな)ハーフの子どもたちに、自身の日本以外のルーツにつながれる場を用意してあげるとよかったのかな、と感じました。
 

この映画の登場人物は、「私は日本人だ」「私は日本人ではない(もしくは私は日本社会に日本人として認められない)」など、自身のアイデンティティの捉え方が様々だったのですが、実は、ハーフの人が日本で居心地良く生きていくためには、「日本人」としてのアイデンティティ意識は重要ではないのかもしれません。この映画を観終わり感じたことは、「日本人」としてのアイデンティティ意識や「日本人」としての国籍、いかにも「日本人」なルックスなんてものよりも、コミュニティを通じて日本社会につながることが大切なのではないかと思いました。
 

もちろん、日本社会につながらずにハーフとして生きる生き方を否定するつもりはありません。また、ハーフであるがために、生きづらい思いをしている人や、理不尽なことをされる人もまだまだいますが、そのような経験があるために、日本社会につながりたくない、と言う気持ちを持っている方々を否定するつもりもありません。
 

しかし、今の世代のハーフが自分から日本社会につながり、(ハーフでない)日本人とたくさん接して生きることが、次の世代のハーフの人たちがより(ハーフでない)日本人に受け入れてもらいやすい社会づくりへの強力な一歩になるのではないか、とこの映画を通じて考えさせられました。
 

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この記事を書いた人

ケイヒル エミ

米韓ハーフ。日本で生まれ、小・中・高と日本の公立学校に通ったのち、アメリカの大学に直接入学。現在公共政策学部で、貧困・格差問題やジャーナリズムについて勉強している。「ハーフ」「外国人」の観点から情報発信をしたいと思ったのは、憧れの国だったアメリカで人種問題や移民問題に直面し、そこでの問題意識を、日本での自分の体験と照らし合わせるようになったことがきっかけ。今年中国への交換留学を控えており、大気汚染の影響を心配しつつもわくわく中。