病院で引き起こされる軽い絶望。脳脊髄液減少症との葛藤にもがく。

「薬では、完治しません。」
「(それは分かっているんだけど…)」

 

こんばんは。先日の通院で軽く絶望した重光です。このところ、痛みに押し潰され気味です。一歩を踏み出すには、多少なりとも痛みを緩和しないと厳しいなと実感しているところです。この状況を医師へ、伝えきれないもどかしさも残ります。
 

目に見えぬ、脳脊髄液減少症と向き合ってという記事で、私が患っている脳脊髄液減少症について書かせて頂きました。
 

==========
脳脊髄液減少症とは、外的要因により脊髄に穴が開き、脳脊髄液が漏れ出し、諸症状を引き起こします。倦怠感・体中の痛み・記憶障害・睡眠障害・著しい身体能力の低下・うつ状態になるなど症状は十人十色です。頭蓋骨内の髄液に浮いている脳が、髄液量の低下と共に脳が下垂することを想像すれば分かり易いでしょうか。潜在患者数は数十万人とも言われ、治療法は保険外のブラッドパッチ治療(硬膜外に自己血注入)により穴をふさぎます。見た目では分からず、怪我とも病気とも言えないので、はじめての人に説明するのは億劫です(笑)。
==========
 

過去10年、病気と付き合ってきた経過や痛みの性質上、今の自分自身の状況が、治療や投薬によって一発で治らないことは理解しています。しかし、治療や療法を試すにも、日々の生活をするにも、痛みを抑えないことには始まりません。日々気力がすり減り、動こうとしても動けない。“人と関わる”、“仕事をする”、“記事を書く”といった普段では当たり前のことが、起床と同時にスタートする疼痛により、思考停止、集中力欠如へとつながり、着手できなくなります。こんな毎日です。痛みがひどい時は、一日中、横になって終わりです。もっとも以前は、数年間熟睡できなかったので、それに比べればましになりましたが。
 

病名が判明した頃、治療さえすれば完治するものだと勝手な希望を持っていました。実際、ブラッドパッチ治療が終わった後、主治医より時間経過と共に徐々に良くなっていくだろうと説明を受けました。当時の治療法や方針は、手探りに近いものがあり、治療後3ヶ月は安静が定番でした。痛みが解消されるその日を心待ちにしていましたが、その期待も叶わず、回復が思わしくないまま、通算2年程度の寝たきり生活に突入するのです。
 

「寝たきりで退屈、刺激がない」と「痛くても何とか動いてみる」を天秤に掛けてみました。

 

その結果、「痛くても何とか動ける。よし仕事をしよう。」と再就職をしました。裁量があり、やりがいもある仕事だったのですが、激務によって症状が悪化。再び療養生活に戻ってしまいました。
 

数多の病院、整体・針・カイロなどの民間療法を試すも改善せず、痛みは取れないと諦めつつ、日々を過ごしていました。何年か経った後、脳脊髄液減少症治療の第一人者で自身も同じ病気になった医師のもとを訪れ、痛みが緩和される薬を処方されました(通算6つ目)。結果、痛みは半減し、数年ぶりに熟睡もでき、前回の禿写真の通り、一月で目に見える変化がありました。頭もほどほど働き、体も動くようになり、徐々に公私ともに充実していきました。
 

痛み止めの効果
*痛みのストレスで禿ていたのも、服用一月で回復! 
 

二年ほど前から、現在の仕事に繋がる子ども達の障害福祉プロジェクトを有志で立ち上げました。この仕事も裁量とやりがいのあるもので、非常に充実していたのですが、これまでのゆったり生活の反動からか無理をし過ぎたようで、昨年の暮れから再び症状が悪化し、激しい痛みに襲われるようになりました。今回は薬の量を増やしても、悪化した痛みは改善されず、春頃から疼痛により再び記憶が飛び始めました。打ち合わせをしても、その時話した内容を覚えていないこともありました。
 

見兼ねた周囲の勧めで、今夏より医大のペインクリニックに通い始めました。東洋医学と西洋医学を取り入れ、複数医師が診断し、治療をします。これが、冒頭の軽い絶望へと繋がります。治療内容は、理学療法(=ストレッチ的な)と、自律訓練法(=瞑想的な)を中心に進めることとなり、痛み止めの投薬、そのクリニックの売りであるトリガーポイント治療は先に延ばしになりました。痛くて瞑想なんてしていられません(笑)。
 

内部障害という言葉をご存知でしょうか。

 

私は、今回の記事を書くに当たり初めて知りました。wikipediaによると身体障害者福祉法の第4節に肢体不自由以外の体の内部の障害として、心臓機能障害、腎臓機能障害、呼吸器機能障害、膀胱・直腸機能障害、小腸機能障害、ヒト免疫不全ウイルスによる免疫機能障害(HIV感染症)、肝臓機能障害の7つが指定されています。該当者は、100万人いるそうです(06年 高齢・障害・求職者雇用支援機構)。
 

私は、自身の見えない苦痛(≒障害。障害という言葉が好きではなく、自らの症状を障害と呼ぶのに割り切れないところがあります。)を抱えながら、心の底では、目に見える病気や怪我、障害は、外から見えるからいいなと頭をよぎるときがあります。他人が見て分かり易い。理解されない辛さは少ないのではないかと、自分勝手に考えてしまいます。
 

長年、痛みに耐え、平静を装っていた分、外見からは一切そんなことを感じさせないことも理解を得られない一因でしょう。自身のこれまでを振り返り、また記事として文章に起こすことで、相手の立場に立つこと、想いや背景を知ることは難しいなと改めて考えさせられます。しかも、日々、忙殺されながら生きていく世の中では尚のこと。
 

原稿を書いている今も集中できず、文章がまとまりません。

 

8月初旬には大方書き出していたのですが、どうしてもまとめることができず、あっという間に一月が経過しました。最低限の気力を維持するために、「何らかの緩和方法がないとこの先やっていくのは厳しいな。」とこの歳になって実感しています。言い換えると、「痛みと10年向き合って、とうとう疲れてしまった。」
 

悲壮感漂う記事になってしまいましたが、周囲の理解や放任に恵まれ、お酒も楽しめ(痛みが悪化して悶絶ですが)、体は不自由なく動くので好きな音楽イベントに行きつつ、仕事量を減らして、この先を模索しています。脳脊髄液減少症について書き進めていくことで、私自身がこれからの痛みとの向き合い方、付き合い方を見つけていければと思います。
 

このライターの執筆記事

  1. 出会いと別れと痛みがもたらした変化【脳脊髄液減少症】
  2. 当事者が考える保険適用の意義【脳脊髄液減少症】
  3. 痛みからの解放が生んだ新たな向き合い【脳脊髄液減少症】