新しい義足ができるまで② 型を採る

 
先日、義足が壊れたという業務報告を当マガジン上で行いました。
修理(部品交換)から2週間。再度壊れました。
前回よりさらにダイナミックに壊れました。正確には割れました。
 

2013年5月15日の破損した義足の足部(足首部分)
2013年5月15日の破損した義足の足部(足首部分)

 

義足屋さん曰く、
「中2週間でここまで豪快に壊れると気持ちがいい。
 とはいえ、新しい義足を作る速度は早めないとヤバいね。
 型だけ採っておこうか。」
 

2013年5月1日に壊れた義足の足部。指の付け根部分が壊れている。
2013年5月1日に壊れた義足の足部。指の付け根部分が壊れている。

 

2013年5月1日に壊れた義足の足部。このときは、内部の部品が割れている。
2013年5月1日に壊れた義足の足部。このときは、内部の部品が割れている。

 

義足は、大きく分けて以下の4つのフローで製作が進みます。
(1)義足の仕様を決める(義足判定)
(2)型を採る(採型)
(3)調整する(仮合わせ)
(4)実生活で慣らす
※下記の⑤を細分化しています。
 

このフローの登場人物は義足を作る人と使う人(障害者※今回は私)です。
この裏では使う人と役所とのやりとりが発生しています。
 

=====
①義足・装具の判定を受け、マスターカードを受け取る
②義足屋さんへ行き、マスターカードを渡す
③マスターカードを参考に、見積もりを作成。見積もりを受け取る。
④見積もりを区役所へ送付。許可が下りれば製作開始。
⑤採型〜仮合わせ〜完成(ここは早くても1ヶ月かかる)
(参考:新しい義足ができるまで①
=====
 

(1)の義足の仕様を決めた時点で、見積もりは作成できます。
義足は部品の組み合わせ+工賃のため、
仕様が決まることによって、値段も決まるのです。
本来は見積もりを役所に申請したうえで、製作開始(採型)となりますが
今回は修理スパンの短さという緊急的理由が発生したため、
義足判定の担当者へ連絡して頂き、採型を行いました。

 

何度か記事も書いていますが、
ここまでを振り返ると、新しい義足を作ろう!と決意した2月から数え、

①義足・装具の判定を受け、マスターカードを受け取る

②義足屋さんへ行き、マスターカードを渡す

(1)義足の仕様を決める
※仕様変更のため、マスターカード再発行申請

①マスターカード再発行待ち中に修理発生

(2)型を採る(採型) →イマココ。

というところまでやってきました。
ようやくという気持ちが強いです。

 

さて、ここからが今日のテーマである、義足の採型についてです。
左足(義足ではなく装具を履く足)の写真を用いて、
説明を進めていきたいと思います。
定点観測のように撮影できたのが左足だからという理由です。
 

まず、生足の上にストッキングを履きます。
場合によってはサランラップをさらに巻くこともあります。
右足はサランラップも巻きました。
石膏で型を採るのですが、最後に外しやすくするためです。
 

左足採型①
 

ストッキングの上から、骨の位置をマーキングします。
膝のお皿や頸骨、腓骨の位置を明確にします。
 

左足採型②
 

石膏(石膏ギプス)で巻いていきます。
巻く前にストッキングの上にひもを置いておきます。
このひもがズレないようにコントロールしながら巻きます。
ちなみにwikiにもプロセスが書いてありましたので、ぜひ。
 

左足採型③
 

私の場合、足首が不自由で、内転(内側に大きく曲がって)しているのですが、
どのくらいの強度で負荷をかけると痛みが発生するか(=踏ん張りの強さ)を
確認しながら、正しい重心の位置を矯正するために、外側に力をかけます。
ここが私の左足の採型の肝です。ここで失敗するといい装具は作れません。
※右足の場合、足首部分のくびれの太さ調整と曲がらない膝の角度の正確さ。
 

左足採型④
 

型を外す際に使うのが、先ほどのひも。
ひもを手前に引っ張りながらメスで石膏を削り切りします。
 

左足採型⑤
 

型が採れれば、このフェーズは終了。
義足屋さんに型から義足・装具を作ってもらいます。
現状ですと、マスターカードの再発行を待って製作開始になるでしょう。
再発行が待たれます。
 

義足がどうやってできるかなんて正直関係ないという人が多数だと思います。
それは当然だと思いますし、否定するつもりもありません。
しかし、誰にでも、義足を履く可能性があります。
事故やケガ、病気といった理由によって、
明日から義足を履かなくてはいけない状況もありえるのです。
そんなとき、このメディアでつらつらと書いている義足の作り方が
何かの参考になればと思います。

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。