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突然クリスチャンになった友人に嫉妬した私が抱える『何者かコンプレックス』
「クリスチャンになったんだ」それは突然の告白でした。この時、Aはとても清々しい表情でした。Aとは高校時代に放課後の教室で「お互い、人生どうなるんだろうねぇ…」と薄暗い不安に満ちた気持ちでつぶやいたことを、今でもはっきりと覚えています。 -
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35年間、障害者として生きてきて思う。障害者は障害にこだわりすぎている。
最近だと「障害があっても〇〇したい」みたいな言葉を見かけますが、そもそも「〇〇したい」と思う気持ちが強ければ、「障害があっても」なんて言葉を使わなくても実現しようと動くはず。 この風潮だと、できなかった理由を障害に集約したいだけなのではないか?と勘ぐってしまいますし、障害がより「困難さをもたらすもの」として認識されそうです。 -
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両親の離婚がきっかけで生まれた苗字コンプレックス
高校1年生のときに両親が離婚をしたことで「父と母、どちらの苗字を名乗るのか?」という問題に直面しました。「離婚は両親の問題なのに、どうして子どもも苗字を変えなくちゃいけないの?」と不満。まるで「父の家族でいたいのか、母の家族でいたいのかを選べ」と言われているような感覚になったのです。 -
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生まれたくなかったという思いは変えられない。けど、生きてちゃダメなわけじゃない。
生まれたくなかった。 死にたい、と思うことも多々あったけれど、それよりも、そもそも生まれたくなかった。これが、私個人として抱える「生きづらさ」の根っこにぐったりと横たわっているように感じます。この自分として存在していることがしんどい。いろいろ考えているとお先真っ暗な気がして、自己否定の連鎖にはまります。 -
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障害のない社会になったときの、障害者のアイデンティティ。
もし、仮に、この社会の隅々まで障害に対する配慮が行き届き、障害者に対する偏見もなくなるという理想的な社会になったとしたら、いわば障害のない社会になったとしたら、それが障害者にとっていい社会なのかどうか、僕にはよく分かりません。障害があったから認められていたこと、赦されていたことが、なくなってしまうかもしれない。 -
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日本社会でハーフとして生きるとは?ードキュメンタリー映画『ハーフ』を見てー
こんにちは。いつも記事を書かせていただいているケイヒルです。 Plus-handicapで書かせていただいている記事も、この記事で早3本目となりました。いつも「ハーフ・外国人」をテーマに記事を書かせていただ […]