鬱は受け入れることから回復が始まる。鬱と9年間付き合ってきて分かったこと。

「鬱はどうすれば良くなるんですか?」
「まずは、鬱を受け入れることだね」
 

主治医からの一言。あの時はわからなかったけど、今ならわかる気がします。
 

はじめまして。小山祐介といいます。今年の9月で33歳になる現役鬱患者です。現在も月1回のペースで通院中ですが、症状は安定しています。僕が鬱を発症したのは24歳のとき。鬱歴は今年で9年目です。
 

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大学卒業後、システムエンジニアとして就職。常駐先の上司のパワハラと残業100時間以上の長時間労働が何ヶ月も続いて発症しました。当時は徹夜と休日出勤が当然で、どんなに良くても終電帰りでした。カプセルホテルに3泊4日したこともあります。直属の上司からは「休日出勤しても打刻するな」というメールが飛んできました。休日出勤が一定数超えると労働基準法に触れるからです。
 

振り返ってみればどう考えても異常だったのですが「仕事は最低3年続けるべし」が頭にありましたし「社会とはそういうものだ。従うしかない」と思いこんでいたので、必死にしがみつきました。結果、一日中ため息と動悸が止まらなくなり、出勤するにも足が鉛のように重くなって、歩くことも困難になりました。
 

このままでは、本当に死んでしまう。
 

危機を感じた僕は自宅近くの心療内科を受診しました。診断結果は鬱と不安障害。薬を処方してもらい、家族にも正直に全て打ち明けました。辛さや苦しさを理解してもらいたかったからです。
 

しかし、返ってきた言葉は期待と真逆でした。
 

「そんなの気の持ちようで治る」
「医者なんて信用できない」
「薬漬けになるから今すぐやめろ」
 

家族からすると心配であるが故の言葉なのでしょうが、偏見があからさまに伝わってきました。非難と否定の豪雨に打たれた感覚を、今でも覚えています。この一件から、家族との関係が険悪になりました。僕の鬱は養育トラウマ(共依存・アダルトチルドレン)が根深く絡んでいることも一因なのですが、それはまた別の機会に。
 

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最初に綴った言葉は、激しい希死念慮や焦燥感、不安感が緩和して、鬱の症状が少し軽くなっていたときに交わしたものです。鬱に関する書籍を貪るように読めども、鬱の症状はなかなか良くならず、それで尋ねてみました。「鬱はどうすれば良くなるんですか?」って。
 

そして返ってきたのが「まずは、鬱を受け入れることだね」でした(ちなみに主治医も鬱経験者です)。僕はますますわからなくなりました。鬱の症状をどうにかしたい一心で聞いたのに、なんで鬱を受け入れることが回復につながるのだろうか。
 

先生は何を伝えたかったんだろう。僕は余計に悩みこんでしまいました。
 

それからも様々な紆余曲折や七転八倒がありました。小説家の夢を抱き、長編小説を書きあげて投稿したり、アルバイト先の書店では有給なしで辞めさせられそうになって労基署に駆け込んだり、民間企業に就職したら虚偽報告を社長から指示されたり、大学時代に研究していたNPOに転職したら長時間労働と事務局長のパワハラとモラハラを受けたり。父親からは断薬を迫られ、二度も絶縁宣告をされて、いのちの電話に2時間も電話し、病院で筋肉注射を打ってもらったり。死んでもおかしくない場面に何度も出くわしているのですが、不思議と今もこうして生きています。
 

言わずもがな、鬱はずっと隠して仕事をしていました。悔しいですが、採用面接で「いま鬱を患っておりまして」なんて言おうものなら即不採用です。日本の悲しい現実です。何度も鬱の悪化と再発を繰り返しました。今は「自分は組織に勤められない」という考えから任意団体SEA-CLEARを設立し、小説家としても活動しているわけですが、その経緯から辿りついた自分なりの結論があります。
 

あのとき、主治医が伝えたかったこと。それは「等身大の自分を受け入れなさい」と伝えたかったんだと思っています。もっとも、そうなのかどうかは主治医に確認しなければわかりません。ただ、いま聞いても「そんなこと言ったっけ?」となるので、本当の答えは闇の中です。
 

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人間だけでなく、国や社会、世間の常識では【病気=悪(なってはならないもの)】の認識があります。もちろん、病気にならないにこしたことはありません。健康ならばそれが一番ですし、わざわざ病気になって苦労する必要はないです。しかし、もし病気になってしまったらどうするかを考えることは重要です。
 

鬱になって【病気=悪】の認識を持ったままだと、「鬱は悪だ」→「自分は鬱だ」→「自分は悪だ」という論理になり「鬱になった自分は駄目な人間なんだ」という考え方が発生します。この考え方を持っている限り、自分を責め続けることになります。酷くなれば希死念慮を抱き始め、最悪のパターンもありえます。
 

大切なのは【病気=悪】の認識を取り外すことです。風邪だって一種の病気です。病気にならない人間は存在しません。誰もが病気を経験します。
 

例えば糖尿病になったとします。薬で進行は遅くできますが、不摂生や不規則な生活を続けていればどんどん悪化していきます。悪化させないためには食生活や生活習慣の改善が肝要です。これは「生きる軌道を変える」とも言い換えられ、「自分は糖尿病である」という事実を受け入れることがスタートです。糖尿病を否定し続ける限り【病気=悪】の認識に苦しみますし、生きる軌道を変えられません。糖尿病の自分を認めていないからです。これは鬱も同じです。「自分は鬱である」という事実を受け入れない限り【病気=悪】の認識に苦しみます。
 

人間はコンピューターではありません。コンピューターは2進法で成り立っており、0or1で即時変更可能ですが、人間は、明日からAっていう考え方をBにして、と言われても無理な話です。惑星が長い年月を経て少しずつ軌道を変えていくように、人間も時間がかかります。「人間は変われる。でも時間はかかるから、ゆったりじっくり構えていこう」ぐらいの余白を持つことが大切です。焦る必要は一切ありません。
 

鬱を受け入れるとは、自分を受け入れることと同意です。つまり、鬱を否定することは、自分を否定することです。「自分は鬱である。それを踏まえた上で、これからどう生きていけばよいか」という考え方の下、試行錯誤していくことで生きる軌道が変わり、症状が安定し、鬱と付き合っていくことができるのではないでしょうか。9年間付き合って来たからこそ見えてきたものです。
 

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この記事を書いた人

小山 祐介