頑張るのに疲れたら、蛭子能収さんのゆるゆるエッセイで笑いたい。

以前、とある読書会で「僕、ビジネス書があまり得意じゃないんです。読んでいると、苦しくなってきませんか?だから、そんなときは蛭子能収さんの『ゆるゆる人生相談』を読んで心のバランスとっているんです。」という方がいました。
 

この発言は「わかるー!」と共感を呼んで、盛り上がりました。えっ、そんなことを言っていいの?ここはビジネス書限定の読書会なのに?
 

参加する前は、「めちゃくちゃ意識高い人たちが集まって、政治や経済のニュースから意見を求められたらどうしよう…」とビビっていました。
 

いざ、ふたを開けてみたら、みなさん、ビジネス書ばかりでは苦しくなるそうです。ホッとしました。そこで、蛭子さんってチョイスが絶妙。センスのよさが、うらやましい。私も心のバランスをとる「蛭子さん的存在」が欲しい。
 

神保町よりみち読書会
先日の読書会で紹介された本たち。

 

私は約1年前から、神保町よりみち読書会を主催しています。読書会は主催するだけでなく、参加者としても色々な読書会に行っています。冒頭の台詞は、日曜日の朝にカフェで行われているビジネス書限定読書会に参加したときに、実際に聞きました。
 

「ビジネス書を読んでいて苦しくなるのは、自分だけじゃないんだ!」という驚きがありました。
 

何を隠そう、私もビジネス書は基本的に苦手。社会人になっても全然読みませんでした。ただ、「読んでいない」ことを周囲に対して、正直に打ち明けられませんでした。「たぶん、周りの人はビジネス書を読んでいるんだろうなぁ」と思っていたので、とりあえず話題が出たときは黙ってやり過ごしていました。
 

読書会は、本の紹介をするときに「自分がどう見られたいか」が気になってしまいます。平たく言ってしまうと、本の紹介の場面が「自分アピールの場」になりがちなんです。
 

少なくとも、私は読書会に来る人に「いいね!」とか「それ、読んでみたい!」って言って欲しい。紹介できる本が二冊あったときには、やっぱり「ウケのよさそうな本」を紹介しちゃいます。
 

言ってしまえば、インスタ映えのために話題のスイーツ店やタピオカ店に並びたくなる心理と一緒。褒められたいから、盛りたい。インスタでアピールするのが外見やライフスタイルだとしたら、読書会はより内面的で価値観やセンスになります。どちらも、加工無しではいられないんです。
 

承認欲求の高い自分を「ダサいなー」と思うこともありますし、できればそんなカッコつけな雰囲気を壊したい。かっこ悪い部分をさらして本音で接したい気持ちと、カッコつけたい気持ち、どちらもあるのでジレンマ状態です。
 

そんなジレンマがある中で「ビジネス書ばかりだと疲れるから、瞑想をしたり、マインドフルネスの本を読んだりしています」とか「ジムで気分転換をしています」とか、カッコイイことを言われていたら、私はまた見栄を張らざるをえなくなっていたと思います。
 

これは蛭子さんのエッセイだったからこそ、楽になったんです。蛭子さんは、ダメな部分を肯定してくれそうな気がします。ガードがゆるんで、見栄を張る必要がなくなります。他の人に対してもグッと親近感を持てました。
 

緩急のつけ方が上手。「やる気を出す方法だけでなく、意識的に力を抜く方法も持っておけるといいなぁ」と納得しました。
 

そう考えると、世の中にも、個人の心の中にも「蛭子さん的存在」は必要だと思うのです。
 

ゆるさ
 

今は「頑張る」ための言葉は、たくさん転がっています。褒められて嬉しい、できなくて悔しい、そんなシンプルな感情も「頑張る」につながっていきます。
 

何も意識しないで過ごしていると、どんどん自分に対するハードルは上がっていってしまいます。ビジネス書も「頑張る」を加速させていく方向のものが多いです。
 

でも「頑張る」ばかりじゃ苦しくなってしまいます。たぶん、心のバランスが崩れていってしまうのでしょう。
 

だから、意識的に自分のみっともない部分をさらけ出したり、ダメな部分を笑い飛ばしたりして、心理的なハードルを下げることは必要なんだと思います。ゆるいエッセイとか、ギャグ漫画とかは、やっぱり大切な役割を担っているんじゃないでしょうか。
 

「苦しくなるのなら、ビジネス書を読まずにエッセイやギャグ漫画だけでもいい」というものでもありません。何か一つに限定すると「矛盾しないし、迷わない」という意味では楽ですが、考えが極端なまま凝り固まってしまいます。
 

ビジネス書と蛭子さん。相反する二つのものを自分の心に持つくらいがちょうどいいです。「あれ、この間と逆のことを言っていない?」くらいの余裕がある方が、生きていくのが楽になります。たまには、矛盾や葛藤があってもよくないですか?
 

「蛭子さんのエッセイ」をメイン題材にしているのにも関わらず、ここまで真面目なトーンになってしまう自分のキャラが悲しい。誰より、私に「蛭子さん的ゆるさ」が必要なのかも。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。