人間関係は「GIVE & TAKE」で回っている。

最近、ドラマや映画、漫画などで、突飛な特徴や習慣をもつ登場人物を見ると「このひとの障害ってなに?障害特性ってなに?」と考えてしまうようになりました。
 

「生きづらさ」について考える仕事をしているからこその職業病、なのでしょうが、素直に楽しめなくなってきた自分がいます。そしてそのたびに、こう思います。
 

「まわりのひとは大変だろうな」と。
 

そもそもはフィクションの世界なので、いちいち細かく考える必要なんてありませんが、人間関係を通じて生まれる生きづらさを考える意味では、大切なヒントが眠っているように思えてなりません。
 

フィクション
 

突飛な特徴や習慣の裏には、だいたい天才的ななにかを持っています。普段はああいうヤツだけど、いざというときは頼りになるからなあ、結果出すからなあ、みたいな。それでチャラになったり、お釣りが来たりして、めでたしめでたし。
 

その世界の人間関係はそれでうまく回っていますが、現実世界はそんなにうまくはいきません。それは全員が全員、天才的ななにかをもっていないからです。
 

「こいつ、めんどくさいな」と思われても「こいつ、なかなかやるな」があれば、問題は起きづらく、むしろ良好な関係性が生まれるものです。
 

しかし「その上でこれかよ」と思われてしまえば、表面化しているのか、眠ったままなのかの違いだけで、確実に問題が生まれています。
 

例えば障害者の社会でいえば、この構造は「合理的配慮」という概念で包み込むことができます。障害が理由となって起こる困りごとや困り感は、できうる範囲で配慮しよう、サポートしよう。特に職場や学校ではこの概念があることで、今までよりもたしかに問題は起きづらくなっています。
 

しかし、配慮する側ともいえる、傍らにいるひとたちの心の中はわかりません。フィクションの世界では必ずと言っていいほど「なんなの、あいつ!」みたいな言葉が出てきますが、これは現実世界でも同じはず。ただ、ぐっとこらえる、という現実的な振る舞いによって、表立って言葉にはしていないだけです。
 

突飛な特徴や習慣から引き合いにした分、そこに自身の生きづらさのテーマがある方々にはしんどい内容が続いているかもしれませんが、これはすべてのひとに共通するテーマです。
 

夫婦や恋人などのパートナー関係でもそう。上司と部下、育成担当と新入社員のような職場の人間関係でもそう。誰かと誰かがいれば、そのお互いの中で相手のいいところも嫌なところも見えてきます。
 

ただ、どんなに嫌なところが相手にあっても、「いいところ ≧ 嫌なところ」の状態であれば、良い関係性を構築できます。
 

ギブアンドテイク
 

自分の振る舞いや態度によって誰かに迷惑をかけているかもしれない。そんなことを思っている方には「ギブアンドテイク(Give & Take)」の発想が大事です。
 

自己啓発本などだと「Giveから始めよう」のような、まずは誰かに与える側になろうというような言い回しがありますが(そのせいでTakeにいいイメージが湧きづらいのですが)「ギブアンドテイク」は「お互い様」という考え方です。
 

「これをやってくれると助かるから(Take)その分、これはやるね(Give)」と考えるだけ。持ちつ持たれつとも言えますし、役割分担とも言えます。Take(何かやってもらう)から始めてもOKというのは、気が楽な考え方です。
 

「できないことはできないと認めよう。自分ができることで相手を助けられることで補おう」とも言えます。また、自分ができることを数多くやることが大切なのではありません。ひとつだけでいいからやることが大切です。
 

お互い様の精神があれば、ちょうど良い関係性が保たれるもの。人間関係は「ギブアンドテイク」で回っているのです。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。