生きづらさの対極にあるものとは、なにか。

あなたにとって「生きづらさ」の対極にあるものは何ですか?
 

しあわせ、楽しい、安心…。人によって答えはちがうはずです。
 

もしかしたら、そんなことを考えている心の余裕はないかもしれません。極端な言い方ですが、今日のご飯の心配をしているときに「将来どんな生き方をしたいですか?」と聞かれても、じっくりと考えられる人はほとんどいないはずです。
 

ただ、人の悩みを聞いていくと「本当にその原因が無くなれば、あなたの悩みは無くなるのか?」と聞きたくなるときもあります。根本的な課題から目を逸らすための言い回しに見えることもあるのです。
 

「生きづらさの対極にあるもの」を考えないまま、生きづらい状況を抜け出すのはむずかしい。それは、ゴールが設定されていないマラソンみたいなものじゃないでしょうか。
 

対極
 

以前、障害者の就労支援をしていたとき、ずっとモヤモヤしていたことがありました。
 

「なんで、みんな”一般就職をしたい、一人暮らしをしたい”と口をそろえて言うのだろう?」ということです。就労支援の場なので、当たり前っちゃ当たり前なのですが。
 

「障害者」とひとくくりにしても、障害の種類や程度もちがえば、これまでの生育歴、今置かれている環境、困りごと、本人の持っている価値観もさまざまです。
 

明確なちがいがあるのに、長期的な目標が同じであるのって、なんだか不自然ではないかと感じてしまうのです。
 

もっと突っ込んだ話をしてしまえば、「一般就職をすれば、生きづらくなくなるのか?」ということで、この質問に「はい!」と迷いなく答えられればいいのですが、「いやいや、一般就職さえできれば、何でもいいってわけじゃない」という場合、果たして「一般就職」が最適な答えなのかはわかりません。
 

「自分が何を望んでいるのかが分からない…」という方もいるかもしれませんが、周りに合わせたり、自分を押し殺したりすることに慣れすぎると、本心が分からなくなってしまいます。
 

自分が何を望んでいるのか。
 

「自分の望みをハッキリと口にすること」は「欲張りなこと」とイコールではありません。「何もありません」と言いながら、「あれは違う」「これじゃない」とブーブー文句を言われると周囲は振り回されます。そう、経験者は語る。
 

心のブレーキを取っ払って、自由に本音をぶちまけてみると、普段は、蓋をして見えなくなってしまっているだけで、生きづらさの対極が見えてくるのかもしれません。
 

生きづらさの対極が明らかでなければ、目的地も判断基準も存在しない状態で、たくさんある道の中から「どの道を行くか選べ」と言われているようなものではないでしょうか。そんな状態では、迷子になって当たり前。それこそが生きづらさなのかもしれません。
 

対極
 

何が生きづらさにつながっているのかを探ってみること。それは、なぜ生きづらいのかと考えることではありません。
 

生きづらさは、それだけについて考えても完結しません。対極にあるものをセットで考えて、初めてゴールが見えてきます。ゴールがちがえば、そこを目指すまでのルートも変わってくるはずです。
 

ただ、「一般的に望ましいとされている答え」で生きづらさの対極にあるものをごまかすのは違う気もします。他人の言葉をツギハギしながら、自分の夢を語ることはできませんし、見栄を張ったままでは、また遠くない未来で行き詰まって苦しくなってしまいそうです。
 

生きづらさは「このままじゃいけない」という違和感を知らせてくれるサイン。探ってみなければ、いつまでも「生きづらいなあ」と無限ループしているようなものです。案外、そのループが心地よかったりもするんですが、それは単に生きづらさに慣れてしまっているだけです。あぶないあぶない。
 

記事をシェア

この記事を書いた人

森本 しおり

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。