その授業は本当に必要か?学校教育に入り込みたがる生きづらい人たち

社会的にマイノリティと呼ばれる人たちの苦しさの一つは、そもそもマイノリティである自分たちの存在すら知られていないことです。
 

最近では有名人やスポーツ選手が敢えて病気や障害などを公表するようになったのも、少しでもマイノリティである自分たちの存在を知ってもらいたいという思いが関係しているのでしょう。
 

自分たちのような存在を知ってもらいたい、理解してもらいたいという方の多くが口にするのが「学校教育の中で私たちのことを知ってほしい」という言葉。私はこの言葉を聞くたびにがっかりします。
 


 

年間40件前後のキャリア教育授業を担当

 

私はこの5年くらいの間、NPOが提供するキャリア教育プログラムの講師として年間30件~40件くらいの授業に登壇してきました。
 

貧困の予防を目的としているため、授業の内容は「お金と仕事」「人生で起きるハプニングとその対策」「仕事の種類と選び方のヒント」など、卒業後の進路選択や社会人としての生活についてが中心です。対象とする学校も貧困家庭が多い地域や、進学よりも就職の進路が多い学校がメインです。
 

最近は外部のNPOなどが学校教育に入ることは珍しいことではなく、ある日の午後の授業は1年生を私たちが担当し、2年生・3年生はそれぞれ別の団体が(それぞれの団体が提供する授業を)担当するというケースもあります。時には控室が一緒になり、名刺交換をして「こんな授業もあるんですねー」とお互いに驚くことさえあります。
 

大量の外部授業であふれる学校教育

 

今の学校教育には昔から想像がつかないくらい多くの外部授業が提供されています。自治体や学校によって差はありますが、外部に依頼する際のある程度の予算が組まれています。
 

私が高校生のときの外部授業といえば、大学の教授や講師が来て模擬授業をしてくれたのと、OBのおじいさんが来て職業講話的な話を聞いたことくらいだったと記憶しています。小・中学校の時も地元の警察や消防署が来て交通安全教室や火事のときの逃げ方などを教えてくれたのが数少ない外部授業です。
 

しかし今は、学校によっては毎週のように外部の授業を実施している学校もあります。
 


 

学校でも教えるべきことに優先順位がある

 

外部授業のメリットはたくさんあると思います。学校外の大人に数多く接することで視野を広げる、通常の授業では取り扱わないものの生活上重要な知識を得るという生徒のメリットはもちろん、先生たちも外部の情報を得る機会になりますし、授業準備をしなくてすむという実務上のメリットもあるでしょう。
 

マイノリティな存在を学校教育で伝えたい人々は、こういったメリットを並べ連ねます。
 

「これからの社会で必要な知識」
「多様性のある社会実現に必要な授業」
「差別やいじめをなくすために必要」
などなど。
 

たしかにその通りかもしれません。でも、生徒たちが学校に通える時間には限りがあります。学習指導要領で定められた授業時間もあります。その制約の中で様々な団体や人が「この授業も必要です。これもやってください」と言われる学校側は正直迷惑しているのではないでしょうか?
 

学校で学ぶべきことはたくさんあります。その中でマイノリティなあなたたちを知ることの優先順位はどれだけ高いのでしょうか?あなたたちが「自分たちのことをわかってほしい」という気持ちと、生徒たちが学校で学ばなければならないことの優先順位は必ずしも一致しないのです。
 

そもそもあなたは教わったことをすべて覚えているのか?

 

学校の授業で子どもたちに伝えたいという人たちに対する違和感のもう一つは、そもそも学校で教えれば自分たちのことを知ってもらえると思ってしまっていることです。
 

例えばあなたは以下のすべてを覚えているでしょうか?
 

・歴史上、はじめて世界一周を成し遂げた人物の名前
・球の体積の求め方
・オームの法則の公式
・応急処置で行うべきRICE処置
 

勉強が得意だった方でも、すべてを覚えている方は少ないでしょう。オームの法則なんて、そもそも何を表すものだったのかすら覚えていない方も多いと思います。
 

一方で、授業中に先生が言ったなにげない一言や、友達から言われた言葉、参考書に書いてあった一節など、今でも強烈に覚えていることは誰でも一つくらいあるものです。
 

人間は教えれば理解して覚えているというものではありません。強烈に記憶に焼き付けられる何かがなければ忘れてしまうのです。
 


 

教えれば理解してもらえるという傲慢さ

 

忘れてしまうから教える意味がないとは思いません。
 

例えば、外部授業でLGBTについて伝えたことで、今までその存在を知らなかった生徒がグーグルで検索してみるようになるとか、TVで見たときに「これ、昔授業で似たようなこと聞いたな」と想起するとか、その授業から再び興味をもってもらうことに意味があるかもしれません。
 

では「いずれは学校教育に〇〇理解プログラムを広げていきたい」という人たちの中で、どれだけの人が具体的な授業後の生徒の変化を想定し、その変化を起こすための工夫を行っているのか、私には疑問です。
 

ただ単に、伝えればわかってもらえるはずだ、頭の柔らかい子どものうちに自分たちのことを伝えなければ理解してもらえない、偏見を生み出してしまう。だから学校教育に入ることが大切だ。そんな浅はかな考えに思えてしまうのです。
 

教えて理解できるのであれば、そもそも私が外部授業で出向くような、いわゆる指導困難校は生まれません。生きづらい人が自分たちのことを知ってもらいたいという傲慢さのために子どもたちの貴重な時間を奪う「〇〇理解プログラム」は、もう終わりにしましょう。
 

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この記事を書いた人

井上洋市朗

「なんか格好良さそうだし、給料もいいから」という理由でコンサルティング会社へ入社するも、リストラの手伝いをしてお金をもらうことに嫌気が差し2年足らずで退職。自分と同じように3年以内で辞める若者100人へ直接インタビューを行い、その結果を「早期離職白書」にまとめ発表。現在は株式会社カイラボ代表として組織・人事コンサルティングを行う傍ら、「生きづらい、働きづらい環境を変える方法」についての情報発信を行っている。