小さなことに一喜一憂せず、ゆるく待つことができれば、こんなに苦しくなんてないのに…

予定時刻を1分過ぎても、3分過ぎてもバスが来ない。イライラが増えて、スマホで時間を何度も確認する。予定していた電車に乗れないかもしれない、約束に遅れてしまうかもしれない、と不安になる。バスが来たら来たでやっと来たかとイラッとする。これらの過程で生まれた怒りをどこへ向けたらいいのかわからない。想像しただけで待つってつらい。
 

決して自慢はできませんが、私はとても待つことが苦手です。待てなかったが故の失敗は数知れず…。ADHDの「衝動性」の影響かもしれないと感じたりしますが、発達障害があろうとなかろうと「待つことが苦手」なひとって多いのではないでしょうか。
 


 

待つことが苦手な私は、エレベーターを待てずに階段を使いますし、お店に入るために並ぶなんて考えられません。そもそも、LINEやメールは「待つ」時間が嫌いすぎて、最低限しか使いません。
 

「待てない」ということは「焦っている」と言い換えることができるかもしれません。
 

焦っているときは、視野が狭くなっていることがほとんどなので、ケアレスミスが増え、人に迷惑をかけてしまったり、信用を無くしたり。また、心に余裕が持てていないので、周りに対してピリピリしたり、キツイ言い方をしてしまったり。私自身にも思い当たることはたくさん。本当にいいことはありません。
 

「防げたはずの失敗」に対して、ひとは厳しくなりがちです。それは、落ち着いて対処すれば防げたはずだからです。待てない、焦りやすいという特徴は、この手の失敗につながりやすいものです。
 

「ぜんぶ発達障害のせいだ!」と言いたいところですが、どうでしょう。どこまでが障害に起因するものなのか、どこからが性格や生活習慣に起因するものなのかは自分でもよくわかりません。そもそも、待てるひと・待てないひと、焦ってしまうひと・焦らないひとの差は障害の有無に関係ない気もするので難しいところです。ただ、小さなことに一喜一憂せずに、ゆるく構えて待つことができるようになれば、人生うまくいきやすいって思うのです。
 


 

ひとつ、私の大好きな言葉があるのでご紹介したいです。
 

「朝、仕事を始めるときには、その日のうちに片づけてしまわねばならないと思われるものが山ほどある。けれども、われわれには、一度に一つのことしかできないし、砂時計の砂がくびれた部分を通るように、ゆっくりと、一定の速度で仕事を片付けるしか手はない。」 (D・カーネギ―『道は開ける』、創元社、1999年、p.32)

 

「より早く、より効率的」に結果を出したいひとのほうが多いと思いますが、余裕がなければ、短絡的な思考に陥り、近道を探したくなったり、地道な繰り返しではなく短期的に劇的な変化をもたらす方法を知りたくなったりと、どこかに無理がある不自然なやり方を探そうとしてしまいます。それは、砂時計を急がせるようなものです。
 

待てない、焦っている状態にあるときは、小さな出来事に振り回され、長期的な視点でものごとを見られなくなります。大きく方向がズレていても、気づけないときが多く、気がついたときには時すでに…ということもあります。何事に対しても、大まかな方向はOKだなと確認する余裕を持てればいいなあと思います。
 

では、もしあなたが今何かを待たなければいけなくなったら、あなたは心穏やかに待つことができますか?それとも、待つのはストレスだからと何か別の手法を考えますか?待てるかどうかは、心の状態を探るバロメーターにもなるのかもしれません。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。