カミングアウトなんて必要ない?

何故カミングアウトをするのでしょうか。
 

その答えを想像してみると、何種類かあるように思います。ありのままの自分を認めてもらいたい、困っているから助けてほしい、自分から弱みを見せることで相手の心を開きたい。カミングアウトは、相手との関係性を変化させる、場合によっては良くも悪くもする力があるのかもしれません。
 

かつて、私は自分の身に起きた不幸な出来事を周囲によく話していました。自分のことを被害者だと思い、苦しさを他人のせいにしていました。ただ、それをいくら続けても、困難な状況から抜け出せることはありませんでした。
 

「すべてを話さなくても大丈夫」と感じられるようになってからは、ずいぶんと楽になりました。相手やその場の状況に合わせて必要な情報を小出しにするほうが、よっぽど他者にストレスかけることなく、また自分自身も楽なのです。
 


 

私はプラスハンディキャップで書いた過去のコラムで、発達障害があり、精神疾患の既往歴があること、両親が離婚していることを書きました。ここでは様々な困難を抱えていることを伝えたほうが、都合がいいからです。私はもう一つ別の仕事もしていますが、その職場では全てを隠して働いています。
 

自分の抱える「困難さ」が、一目見ただけでは完全に伝わるものでないと、こういった使い分けが出来ます。私はほとんどの場所で自分のことを隠しているので、成長するための機会が制限されて悔しい思いをしたり、偏見まじりの言葉を言われて怒りを感じたりといった経験はありません。
 

しかし、自分の「困難さ」を隠すことは表裏一体。伝えていないことが原因で相手の期待を裏切ることが発生するのです。
 

例えば、仕事を任されるときには「これくらいふつうでしょ?」といった、他の人と同じように(言うなれば健常者と同じ水準での)ハードルを課されますが、私にはそれができないことが多々あります。求められる期待に届かないというズレは、お互いのストレスになります。自分のことを隠していると、このストレスは自分で抱え込むしかないのが辛いところです。ただ、カミングアウトしていない事実は自分で作っていることなので、仕方がありません。
 


 

このズレを一気に解消してしまうのが「カミングアウト」だと思います。自分をさらけ出してしまうことで、相手に配慮や承認を求めることができるのです。
 

しかし、相手にすべてを話し、すべてを委ねてしまうことはリスキーに感じるので、私は少し違う方法を模索するようになりました。それが冒頭に書いた、小出しに伝えていくやり方です。
 

面倒だと思っても、少しずつ相手との関係性を作っていき、その中で可能な範囲を伝えていく。「あれもこれもやろうとして、すぐにパニックになっちゃうんですよ」とか「自分で抱え込みすぎると、すぐ体調を崩しちゃうんです」とか。ひとつひとつは他の人にも当てはまることがあるので、「障害があって」なんて言わなくても済んでしまうことが多いです。逆に、発達障害や精神疾患といったインパクトの大きい言葉を使うと、相手に受け入れられにくい気がします。
 

「何をしていいのか迷ったときには聞くので教えて下さい」や「どうしたら今日みたいなミスを防げますか」など、お願いごとや相談まで伝えてしまえば、双方の認識のズレを小さくしたうえで、相手の協力を得たり、知恵を借りたりできるようになります。
 

カミングアウトの目的は、自身のことを打ち明けるだけではなく、困難なことそのものの打開。できないことをできないままにし、互いにストレスを生むのではなく、どうすればできるようになるかを一緒に考えることです。
 


 

両親が離婚をしていることやその経緯、心身のバランスを崩して退職した経験があることなど、私は割とオープンに、普通に話していました。その時は、自分のことも相手のことも分からないままに「誰か助けて!」という一心で話していたような気がします。ただ、私のおかしなところは、その上で差しのべられた手に文句をつけていたところなのですが。
 

正しいことを言われると「私の気持ちをわかっていない」と怒る。慰めてくれるとどこかで困惑し罪悪感も顔を出し、心から納得はできなくなる。私の場合、話しても話しても満足しませんでした。それは、自分を変えないまま、辛いことや苦しいことをなくしたいと願っていたからです。カミングアウトをせずにいられなかった頃の私は、「人に話さずにいることなんて出来る訳がない」と思っていました。
 

そんな私が楽になり始めたのは、どうしようもなく人生に行き詰まり、絶望しきった後でした。
 

「私には、何も無い。失ったのではなく、そもそも何も中身が無かったんだ。からっぽな自分を何とかして埋めようとしていただけだ。」
 

そう認められたときから「人に話したい」欲求は自然と収まっていきました。「起きた過去は変えられない。周囲のことも変えられない。私はまず、自分の出来ることをやっていこう」と覚悟を決めることができました。
 

「自分のすべてを理解してほしい」と願う人はきっと苦しいと思います。理解されなかったときの絶望や孤独も怖いからです。しかし、恐れや期待、見栄といった余計な荷物を捨ててしまえば、案外楽になります。それまで「絶対に必要だ」と信じていたものが「実は要らなかったな」と思えることもあります。
 

カミングアウトなんて、必要ない。それが今の私の考えです。必要な人に、必要なことだけ伝えればいい。自分の全部なんて分かってもらえないものだと思います。
 

そうやって考えられるようになったとき、カミングアウトをしても相手に負担がかかりにくいことに気づきました。大事なことはカミングアウトをするかどうかではなく、自分と周囲に広がる困難な状況を乗り切るために、どういった現実的な対処を選ぶかどうかなのではないでしょうか。
 

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この記事を書いた人

森本 しおり

1988年生まれ。「何事も一生懸命」なADHD当事者ライター。
幼い頃から周りになかなか溶け込めず、違和感を持ち続ける。何とか大学までは卒業できたものの、就職後1年でパニック障害を発症し、退職。障害福祉の仕事をしていた27歳のときに「大人の発達障害」当事者であることが判明。以降、少しずつ自分とうまく付き合うコツをつかんでいる。
自身の経験から「道に迷う人に、選択肢を提示するような記事を書きたい」とライター業務を始める。