機能不全家族で育ったアダルトチルドレンの生きづらさ

「機能不全家族」の元で育ち「アダルトチルドレン」という状態になってしまった、現役派遣キャバ嬢かつ、うつ病とADHD(暫定的)を持つライターの芹沢薫です。大学は4年生で退学という経験もあります。
 

もう一度自己紹介を読み直してみると「機能不全家族」「アダルトチルドレン」という単語があります。機能不全家族って?アダルトチルドレンって?大人びた子ども?精神的に未熟な大人?と疑問に感じる方も多いのではないでしょうか。
 

今回はそんな「機能不全家族」と「アダルトチルドレン」について、そしてその生きづらさについてお話させていただこうと思います。
 


 

「機能不全家族」とは?

 

虐待などのニュースが報じられるようになった近年、この「機能不全家族」という名前だけを聞いたことがある方はいるかもしれません。機能不全家族とは、家庭内に何かしらの問題を抱えている家族のことを示します。分かりやすい例を挙げるのであれば「父親が酒乱のパチンコ狂である」「母と父が離婚している」といったことが挙げられます。
 

家族としての機能とは、本来どのようなものなのでしょうか。機能不全家庭で育ってしまった私には「普通」の家族の機能がよく分かりません。
 

家族の団らんの場であったり、休息の場であったり。他には家族の絆を深める場であったり、子どもを育てる場であったりと様々な意見が飛び交っています。これはおおまかに言ってしまえば、心を休められる場所であり、その上で家族の絆が成立することを家族として機能している状態というのでしょう。
 

機能不全家族は、この機能が成立していません。もちろん、家族それぞれに事情があり、そして家族構成も異なるため、あくまで、大まかなものです。それでも、何かしらの機能が成立していない場合、機能不全家族と呼びます。
 

これも具体例を挙げてみると「父母が喧嘩ばかりしていて心が休まらない」「家庭内に温かい空気がなく冷え切った関係性である」「家族の絆?なにそれおいしいの?なレベルで仲が悪い」「身体的・精神的・性的などの虐待が行われている」といったことが挙げられます。
 

「アダルトチルドレン」ってなんなの?

 

「アダルトチルドレン」は、決して病気などではなく、機能不全家族で育ってしまったが故に自己認識が歪んでしまった状態を意味します。アダルトチルドレンという状態の特徴として、医学的にはこのような特徴があると言われています。
 

・自分の感情が分からない。何故わからないのかが自分でも分からない。
・自分の意見がない。自分ごときが決めるなんて、と考えがち。
・常に虚しさを感じてしまう。理由の分からない虚しさ。
・自分には価値がないと思ってしまう。自分が何故存在しているのか理解に苦しむ場合も。
・価値がないと考える自分に対して完璧を求めすぎて苦しむ。
・相手との距離感がうまく取れず、親密な関係を築きづらい。
・常に相手の顔色をうかがってしまう。その上で動くから尚更親密な関係を築きづらい。
・損得で人を判断してしまう。適度ならまだしも、過剰な場合が多い。
・人に自分のことをさらけ出せない。自分の感情を晒す事はよくない事だと思い込んでいる。
・幸せだと罪悪感を感じてしまう。自分如きが幸せでいいのだろうか?と考えてしまう。
・ぽっかりと空いた穴のような寂しさを埋めるために依存しやすい。具体的にはセックス依存、共依存等。
 

このすべてに当てはまらなければ、アダルトチルドレンではないというわけではありません。特徴や傾向の一部であって、そのうえで、当てはまるものが多ければ多いほど、アダルトチルドレンとして適切な治療が必要な可能性が高いと私は考えています。
 


 

「アダルトチルドレン」の何が生きづらい?

 

あくまでも「私」が感じた生きづらさの話ですが、何が生きづらいというのが分からないほどに、すべてが生きづらいと感じていたときがありました。今でこそ、自分の中で折り合いがついてきたこともあり、だいぶ落ち着いてきましたが、中学生~大学生時代は生きること自体が苦痛なときすらありました。
 

中高時代は家族からの抑圧下にあり、大学ではそれを引きずってしまっていました。それは「格好いい私」でなければいけないという思考へとつながりました。
 

具体的な「格好いい私」は、勉強ができて、サークルの運営を立派にできて、先輩同輩後輩を問わずに慕われる私が理想でした。しかし、アダルトチルドレンとして育ってしまった「認知の歪み」がある私には、これはなかなか困難なことであり、非常に多くの努力が必要でした。そんな私が努力をし過ぎた結果、うつ病を発症してしまいました。
 

具体的に当時、何がつらかったのかを今の私が思い起こしてみると、「自分自身を見てほしい。本質を見てくれる人がほしい。自分らしくていいんだよといってくれる人がほしい。何でも相談が出来る友人がほしい。私には何もないから何か1つでも叶わないだろうか。」と過去の私は考えていました。
 

「思春期あるあるなポエムチックなお悩みじゃないの?」だと思う人もいるかもしれませんが、自分なりに分析してみたところ、当時の私は「ありのままの自分を見て否定されたくない」という欲求がとても強かったように思います。
 

自分らしく生きるのが当たり前!と考えている方にとっては、なかなか理解しづらいことかもしれません。それでも私には、その当たり前が欲しくてたまらないものでした。自分自身を抑圧され続けている環境下ではただ、素の自分でいても否定されない環境が欲しかったのです。
 

現在では、先述で記載した特徴にある「損得で考えてしまう」「相手の顔色を常に窺ってしまう」「幸せだと罪悪感を感じてしまう」という点が大きく当てはまっているため、上手く自分の中で消化をしようと試みているところです。
 

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この記事を書いた人

芹沢 薫