「僕には今まで夢がありませんでした。なぜなら、施設を退所したひとがなれる職業、できることには限界があると思っていたからです。」
これは、2011年に久波孝典さんがカナエールで語ったスピーチの一部です。「カナエール 夢スピーチコンテスト」とは、児童養護施設からの進学を応援する奨学金支援プログラム。今年は7月に横浜、東京、福岡の3都市で開催されます。カナエールの奨学生は120日間、3人の社会人ボランティアとともにコンテストに挑戦します。
実は、2011年のこの久波孝典さんのスピーチを社会人ボランティアとしてサポートしたのが、プラス・ハンディキャップの編集長・佐々木です。
カナエールは、今年で最後の年を迎え、その横浜大会の司会を久波さんが務めます。今回は、ラストのカナエールの開催の前に、久波さんと佐々木に「カナエール」について語ってもらいました。
「施設の職員」が夢だったのは、選択肢が少なく検索能力が無かったから
佐々木:2011年の久波くんは、スピーチの中で「施設の職員になりたい」って言っていたよね?あれは最初からそうだったの?(今は出版社の営業職として働いている)
久波:実は、スピーチで伝えておきながらアレですが「児童福祉に恩返しをしたい」という思いはありましたけど「養護施設の先生ではないかもしれない」という思いは、正直に言うとありました。それを叶えられるのが、自分が普段見ている先生だった。それしか、知らなかった。
佐々木:スピーチの準備をしているときから、その感覚は伝わってきてた。夢はあっても、どういう手段があるか、そのためにどの進路に行くかって、なかなか見えづらいよね。ただ、久波くんは、大学に入ったときには目的意識を持っていた気がする。施設で暮らす子どもたちも含め、どうやったらそれを持てると思う?
久波:それはなかなか難しいですよね。僕は、子どもってひとりひとり何かしらエンジンになりうるものを持っていると思っているんです。でも、それに出会っていない。それを解決するには「何にハマるかわからない子に対して色々なものをぶつけてみること」じゃないかなと感じています。そういうことを積み重ねると、きっと出てくるものがある。夢や目的に向かって進んでいるひとって、ルーツがあるじゃないですか。
佐々木:要素と要素の掛け合わせでアイデアが生まれるみたいに、自分の経験や体験の掛け合わせが道を作るのかもしれない。
久波:そう。検索能力を持っていないから、詰め込む数を多くするしかない。それを出来るのは周りの大人や教育者ですよね。
佐々木:それって施設で暮らしているとなかなか難しいような気もする。印象論だけど。
久波:難しいとは思います。施設に限らず、社会階層とか経済的なものに影響されていますから。でも、出来ることもあるんじゃないでしょうか。例えば、カナエールも、子どもひとりに対して、3人の大人が自分たちの想いや経験を持ち寄って、僕らと関わってくれる。色々な仕事をしている大人達が集まっているからこそ、その話を聞いて「これ、いいかも」って一回選んでみる。それも掛ける数の増やし方ですよね。お金で得られるものもあれば、人との繋がりでまかなえるものもあると思います。
佐々木:なるほどね。個人的に、豊かさって「選択肢の数」だと思っているんだけど、その選択肢を増やせるのが、カナエールというプロジェクトなんだろうね。
「当事者としての話をぜひ久波さんに」って言われるけど、今、出来ないんですよ。
佐々木:プラス・ハンディキャップのように、生きづらさをひとつのテーマとしていると、その当事者となり得るひとたち、例えば障害者だと、自分の障害を理由にすることもあれば、言い訳のひとつとして使うこともあるんだよね。もし、「足が不自由だから、皆ほど自由に生きられません。」って言っていたらどう思う?
久波:う~ん…「まだそこか」ってくらいじゃないですか。
佐々木:そう言えるあなたは強いですよ。
久波:そういう意味ではそうかもしれません。僕は「当事者としての話をぜひ久波さんに!」って言われて、いろいろと人前で話す機会をいただくことがあるんですけど、できないんですよ。僕は当事者ではなくて「昔の彼」がそうだっただけで。
佐々木:おぉ~っ!「児童養護施設出身」や「自分も当事者だった」という言葉を使うことは少なかったの?(久波さんは、学生時代に子どもの貧困などに向き合う活動を進めており、講演や取材などで話をする機会が多かった)
久波:「当事者」とは言っていましたけれど「当事者としての意識」はその頃からもうないです。その大きな転換点は、あの日の武道館にしかないです。
佐々木:あの日ってことは、夢アワード?※1
久波:そう。その時、僕は進学、就職を前にウダウダしていました。「自分は黒を白にしようとする気力すらも持っていない」と思っていたんです。でも、夢アワードで話す人たちの言葉を聞いていると「できない」っていう発想がないじゃないですか。「自分に今、一番足りないのはこの発想の違いだ!」と直感的に思ったんです。それで「『できない』と言わないことを自分に課そう」と思いました。そのときの体験を色々なタイミングで振り返ると、「結局どんなに悪い環境にいようが、自分が選んでその中にいる」という構造に気づきました。あの時から僕は、当事者としての悩みが断ち切れているんです。
「当事者だった頃の久波さん」と「今の久波さん」の差
佐々木:施設出身者であることを理由にもしないし、言い訳にもしない。純粋に生き様がカッコいいよね。久波くんは「黒だった頃の自分」と「やる気がわいてきた自分」を客観視して整理できているところがいい。みんな、これができないから悩むんじゃない?
久波:段階でしか出来ていないですけどね。
佐々木:それって日々上っていく階段の中で、過去の自分を振り返って見ていることに近いんじゃない?「理想の自分」を時に高望みしているような感覚で見ているんじゃなくて、「ちょっと前の自分」を振り返りながら「今の階段の進む方向が間違っていないのか」とか「段差が急に高くなりすぎていないか」とか調整しているイメージ。悩んでいるひとの多くは「理想の自分」を見ている人が多いのかもね。生きづらさというテーマで見ると、例えば「障害がなければ…ウツがなければ…アレができるのに」って。言わば、タラレバ論で。
久波:す…っごくつまんなくないですか?それ。
佐々木:そう言えるあなたはもう生きづらさなんて感じないでしょう。久波くんは良い意味で「施設出身」という感じがない。今年のカナエールに出場するメンバーにも、そういう一種の清々しさを求めたいよね。「施設出身者であること」はみんな一緒。それが聞きたいのではなくて「あなたの夢は何ですか?これから何をしていきたいんですか?」だよね。
久波:酷なこと言っているの、僕よりそっちじゃないですか(笑)
佐々木:カナエールって難しいんだよね。スピーチの受け取り方によっては、御涙頂戴になっちゃうから。スピーチに感動したといっても、夢に感動したのか、ここまで大変だったんだねという過去に心が揺さぶられたのか。後者だとしたら、話が変わってきちゃう。
久波:そう考えると、司会の仕事ってけっこう重たいですね。
佐々木:会場の雰囲気を作る役割を担わざるを得ないもんね。会場が今までみんな大変だったんだねって過去になびくようだと…ね?そう考えると、久波くんの言ってた「当事者としての彼」と「今の久波くん」の差をカナエールの期間で明確にすることが大事なんだろうね。たとえ、夢に生きるっていうことじゃなくても、自分の人生を自分で歩む覚悟をもたせることが、意欲の支援の本質だと思うから。
久波:厳しいなー。
佐々木:7月1日の久波君の司会に期待だね!
それぞれの辛口コメントが耳に痛い。インタビューが終わった後、久波さんは「これ、載せていいんですか?」と戸惑っていました。至極真っ当な感想。でも、載せます。まとめました。
この対談について、後日佐々木は「関係性があるから出来る話だよね」とサラリと言ってのけました。たしかに、そうなのでしょう。カナエールの準備の時、久波さんのいた施設まで何度も足しげく通い、一緒にスピーチを完成させていく中で、築き上げた揺るがない土台がふたりにはあるのでしょう。対談の中でも、それがうっすらと透けて見える瞬間が何度かありました。その前提があるから、安心して本心に切り込んでいけるのでしょう。
私自身、今回のふたりの対談を聞いて、「カナエール スピーチコンテスト」がちょっと違った観点で見ることができるかもしれません。
久波さんが司会を担当する「カナエール」横浜大会は明日、7月1日に開催。個人的には、何やらひねくれた感想しか持てないような予感がプンプンしますが、今回執筆した私がレポートします。編集長からは「率直な感想でok!」と太鼓判を頂いているので安心です。ハードルを上げられた久波さんの司会にも注目です。
児童養護施設からの進学を応援する奨学金プログラム 「カナエール」夢スピーチコンテスト
http://www.canayell.jp/contest/
(参照)
※1 夢アワード
公益財団法人「みんなの夢をかなえる会」が主催するイベント。全国各地から社会をワクワクさせる「夢」が集まり、エントリーされた夢のなかから注目の夢を選んでレポートし、みなさんからの応援投票を受け付ける。
http://www.minnanoyume.org/