この連載は「ワカラナイケドビョウキ」という不思議な病気になり障害をもった私が、ノーマライゼーション発祥の国デンマークに留学する1年間の放浪記です。デンマークでゴロンゴロンでんぐり返しをしながら「障害ってなんだろう」と考えます。
なんで、わたしが「障害者」にこだわるのか。
それはイマイチ「障害者」がわからないからである。
小さい頃から運動神経は悪かった。両親ともに運動は人並み。5歳と2歳離れたふたりの姉は陸上部で、運動が好きだった。でも、わたしは学年で1・2を争うほど走るのが遅かった。
「なみちゃん、走る時にフォームはきれいなのに全然前に進んでないから、ゼリーの中を走ってるみたいだね」と友達に言われて、爆笑したこともある。そんな運動神経の悪さは、お医者さんいわく筋肉の病気の人によくある兆候らしい(ちなみに頭も悪かったが、ここに関しては病気ではないらしい)。
それでも不自由を感じたことはなかった。体育の時間がいやすぎて、若干不登校気味になり、勉強がついていけなかったくらいだ(数学もいやすぎて不登校の一端を担ったことは内緒にしておこう)。
そう、何も困ったことはなかったのに、ちょっとふらつくことも増え、「ん?」って思って病院に行ったら、そのときから「障害者」になってしまった。
市役所に障害者手帳の申請に行ったときも思った。
「障害者手帳をとったら障害者?」
転職のためにハローワークに行ったときにも思った。
「障害者雇用で働いたら障害者?」
もしかして、障害者って社会から与えられる称号なのか!?
わたしの障害者のイメージは「誰かの力を借りないと生きていけない人」「自分の人生に健気に向き合っている人」。 そして「ときをこーえて、君をあいせるかー」と小田和正の音楽が流れている人。いま思えば稚拙だが、そんなイメージしかなかった。
だから自分が障害者になってみて「思っていたのと違う…チガウ!!!」と絶叫したのである。
まず、健常者であっても、障害者であっても、誰かの力を借りないと生きていけない。そこだけは自分がどっちの立場になっても変わらない気がしている。病気になってから気付いたけれど。
自分の人生と健気に向き合っているかも不明。悲しいときは、家族と食卓を囲んでいるときも「はぁ」とか「ふぅ」とか「へぇ」とか溜息をつき、ただただ箸先を眺める。
そんな私を見た母は困ったように眉毛を八文字にする。つらさを前面に出すことに関しては、こちらに遠慮もへったくれもないのである。
そして、何よりもわたしの頭の中には小田和正は流れない。悲しくなるとザ・フォーククルセダーズの「悲しくて」が聴こえ始めるし、楽しいと木村カエラが「リルラリルハ」を歌いだす。落ち込むときは落ち込むし、楽しいときは…思っていたよりポップだ。
障害者の世界を知りたくて、勉強しようと思って行ってみた障害者同士の交流会。重度の障害を抱えた方が目と文字盤で話しているのをみた。表情は一向に変わらないその人が繰り出す冗談や明るさに衝撃を受けた。やっぱり、その人の後ろにも小田和正はいなかったのである。
だから、いつかは杖で歩くとか、いつかは車いすになるとか、いろんなことを想定していく中で、心も整えていかなきゃいけないのに、どこを目指していいのかわからなくなった。
障害者のイメージ。今まで関わったこともなかったのに、どこからどうやってそんなイメージが生まれたのか。会ったことない人に対して「あー、あの人ってこんなイメージだよねー」と言っちゃっていたような気分だ。
そう、だから、もう一回、知ろうと思ったのです。
「障害者」について。
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この留学は、ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業第36期研修生として行きます。ミスタードーナツに行くとレジの横に置いてある募金箱。全国の皆様の応援で行かせて頂きます。