「ある日突然、原因不明の痛みや感覚異常に襲われたらどうしますか?」
そう問いかける男性がいる。「特定非営利活動法人 希少難病ネットつながる」(以下、RDneT)理事長の香取久之さん(45歳)。自身も希少難病(※1)当事者として、難病や障がい当事者専用SNSの運営などを行う。希少難病について広く周知するとともに、病気や障がいに関係なく誰もが真に生きやすい社会を目指している。
1970年、一卵性双生児の兄として東京都江戸川区に生まれた。子どもの頃から運動が得意で、野球と剣道に明け暮れた。今思えば、中学の頃から疲れやすいなど違和感があった。明らかな症状が発現したのは高校2年生(17歳)のとき。ある日自宅で腰に激痛が走り、動けなくなった。腰の痛みに加え、筋肉の痙攣や硬直、感覚異常などの症状も発現。足の裏は、やけどが治っていない状態で踏みしめているかのよう。
身体の異常を父親に訴えるも、父は「家族が健康なのにお前だけ病気なわけがない。気合いが足りないだけだ、我慢しろ」と一蹴。厳格な父親に反論できず、言われた通り我慢した。
だが、症状は一向に良くならない。親は分かってくれなくても医者なら分かってくれるはずと診断を受けるが、今度は病名がつかない。しまいには「気のせい」「精神的なもの」と言われ、心身ともに疲弊した。「こんな症状の人間は世界に俺しかいないんだ。それなら俺一人が我慢すれば済む」
希望は持てなくなった。学校では寝ているだけ。能力が発揮できないので体育祭も参加しない。友人にも症状は話さなかったが、つるんで遊ぶ仲間がいたから孤立しなかった。今思えばそれが唯一の救いだった。
高校卒業後は一浪して理系の大学に進学。就職活動では紡績会社と製薬会社から内定をもらい、製薬会社への入社を決める。一患者として、患者目線でない医師の対応に疑問があった。「俺が医者なら、もう少し親身になるのに」。今から医者を目指すのは無理だが、少しでも医療と関係のある仕事に就こうと思った。
入社後はMR(医薬情報担当者)として仕事に精を出した。上司の評価も高く、同期のなかでは一番の出世頭と目されたが、頑張れば頑張るほど身体はキツくなった。このままでは会社に迷惑をかけると、職務の変更を申し出る。給料をもらう以上、手を抜けない性分。部署が変わっても仕事に打ち込んだ。相変わらず上司の評価は高かったが、「病気だから」という理由で何年も昇進を見送られた。その間に同期や後輩はどんどん出世していった。「俺は我慢できる。だけど、他の人はどうだろう?病気のせいで能力のある人が活躍の場を奪われるのはおかしいんじゃないか」
17歳の発症から17年。34歳のとき、産業医に紹介された大学病院で「アイザックス症候群」という病名を告げられる(診断基準が明確でないこともあり、現在は「疑い」)。病名がついたからと言って症状が良くなるわけではなかったが、ネットで病名を調べたら同病者が見つかった。2010年、同病患者ら数名と患者会を立ち上げ、副代表に就任した。
その後も症状は悪化の一途をたどり、2011年1月には会社を休職。休職後は、やることもなく毎日を過ごしていたが、大阪の友人から結婚式に招待され、せっかくなので出席することにした。式は3月12日。前泊しなければ式に間に合わない。3月11日、三陸沖を震源とする大地震が起きたときは羽田空港にいた。
帰宅難民となり、空港で一夜を明かした。ようやくたどり着いた自宅でテレビをつけて、被災地の惨状に言葉を失った。ボランティアが必要になるだろうと思ったが、こんな身体では何もできない。仕事は休職中。自分は何をやっているのか。「病人になるのは好きではないが、病気なのは事実だ。今、俺にできることをやるしかない」
震災をきっかけに、本気で患者会の活動に取り組み始めた。どんなに大変な病気でも、指定難病に認定されなければ、制度上は病気も患者も存在しないことになる。医療業界で培った知識を生かし、病気を制度上に載せることに注力した。政治家や役人に働きかけ、2012年に研究奨励分野(※2)への認定を果たす(2015年7月には指定難病に認定)。
患者や家族にとって、難病認定は悲願だ。認定を目標に活動する患者会も少なくないが、それには違和感があった。難病認定されたら、翌日から生活が改善するのか。本来の目的は、より良い日常生活や社会生活を送ることにある。それに、難病認定されない人や、かつての自分のように病名がつかない人は制度では救われない。2013年、患者会を退会。19年間勤務した会社も退職し、その2年後にRDneTを設立した。
現在RDneTでは、希少難病についての講演活動、難病・障がい当事者と家族専用のSNS「RD-Oasis」の開発・運営、リアルな交流の場「RD-Café」の開催などを行っている。「RD-Oasis」では、病名や症状から同病患者を検索したり、自身の病状や思いを日記として残したりできる。患者と医療のミスマッチを改善する「SCUEL(スクエル)」プロジェクトにも参加。RD-Oasisの利用者に、任意で病名と診療を受けている医療機関・診療科を入力してもらい、情報をデータベース化。病名を検索すれば適切な医療機関が見つけられるシステム構築に携わっている。かつての自分のように、的確な診断を受けるために何十件も病院を回らなくて済むようにするためだ。
法人は今年、設立から1年を迎えるが、資金も人員も十分ではなく運営は楽ではない。しかし、活動の裏には病気のために社会からも家族からも孤立して、心身ともに追い詰められた人々の存在がある。「患者の気持ちが分かり、医療業界の知識もある人間はそう多くない。気づいてしまった自分がやるしかない」。
日本で医療費助成対象の指定難病は306疾患(2015年7月時点)だが、希少難病は約7,000種におよび、世界人口の約17人に1人が何らかの希少難病に罹患していると言う。一疾患あたりの患者数は少なくとも、希少難病の総患者数は少なくない。誰もが当事者になり得るからこそ、難病や障がいがあっても暮らしやすい社会を目指す。患者と患者、患者と医師・研究者、患者と社会がつながりあうこと、当事者を孤立させないこと。それが真の問題解決につながると信じている。
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※1 希少難病
日本において医学的に明確な「難病」の定義はないが、1972年に厚生省がまとめた「難病対策要綱」では、①原因不明、治療方針未確定であり、かつ、後遺症を残す恐れが少なくない疾病 ②経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護等に著しく人手を要するために家族の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病」と定義されている。そのなかで、希少性があるものを「希少難治性疾患」、一般に希少難病(Rare Disease)と呼ぶ。「希少性」の概念については各国によって差異があり、日本では「国内対象患者数5万人未満」とされている。
(参照元)
希少難病ネットつながる:https://rdnet.jp/about-raredisease/
難病情報センター:http://www.nanbyou.or.jp/entry/1360
※2 研究奨励分野
難病については、厚生労働省の「難治性疾患克服研究事業」において、臨床調査研究分野、重点研究分野などが設けられ、研究班による研究事業が実施されている。研究奨励分野は平成21年度から設置。これまで十分に研究が行われていない疾患について、診断法の確立や実態把握のための調査・研究が推進されている。
(参照元)
難病情報センター:http://www.nanbyou.or.jp/entry/1776