障害者が企業で働くということは、女子高生が突然野球部に入部することと同じかもしれない

どうも、矢辺です。3月より実家の鳥取県米子市を中心に生活しておりますが、今日はその田舎生活からインスパイアされた訳ではまったくない障害者雇用に関することを書きます。
 

米子はこんなのどかなところです。
米子はこんなのどかなところです。

 

突然ですが、女子高生が野球部に入部したい!と言い出したら、皆さんはどう思いますか?おそらく多くの人が、体力的にも精神的にも「やっていけるのか」と心配されるのではないかと思います。同じ野球部の部員も「やっていけるのか」と同じことを考えるでしょう。実は、障害者が働くということは、女子高生が野球部に入部することと似ているのではないかと思ったのです。
 

障害者の立場を整理してみると、残念ながら、社会全体では役に立つ存在とは思われていません。
 

「頼りになる 働く障害者…買い物支援や見守りなど(2014年7月15日 読売新聞)」
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=101836
 

頼りになる障害者は記事になりますが、頼りになる健常者は記事にはなりません。頼りにならないという前提があるから「頼りになる障害者」と書いてしまうのです。この前提に従うと、障害者は企業で「やっていけない」。障害者は役に立たないと思われているのです、残念ですが。
 

女子高生が野球部に入部することは、先ほど述べた通り、おそらく多くの人が、体力的にも精神的にも心配し、同じ野球部の部員に「やっていけるのか」と思われてしまう。グランドの上では、「頼りにならない」と思われてしまってもしょうがありません。
 

「やっていけるのか」という印象を持たれることは、障害者が企業で働くことと同じなのです。冒頭で「障害者が働くということは、女子高生が野球部に入部することと同じ」と言った理由です。
 

グローブとバット
 

それでは、野球部に入部する女子高生と企業で働く障害者は、どうすればよいのでしょうか。
 

体力では相対的に女子は男子に劣ります。ですから、同じように野球はできないかもしれません。障害があるわけですから、企業で障害者が健常者と同じスピードで同じような仕事はできないかもしれません。
 

しかし、だからといって、

女子だから優遇して!認めて!

って言ったところで仕方がありませんし、

障害者だから仕事はできなくても構わない!障害者はもっと認められるべきだ!

と言うことがまかり通るものではないことは、お分かりいただけるはずです。
 

大切なことは、地道な努力、そして結果を出すことを繰り返していくことで、周囲の「やっていけるのか」という目を少しずつ覆していくことです。
 

もちろん、仕事は周囲の目を変えることを目的にするものではありません。自分の顧客(社内も含む)のためであり、結果として自分のためです。顧客のため、自分のために、一生懸命に仕事をする結果、周囲の目が変わっていくのです。
 

同じように野球ができない、同じように仕事ができないとしても、「やっていけるのか」から「がんばっているね」と周囲の評価が変わっていけば、所属し続けることが問題になることはありません。
 

ただ、これはあくまで理想論であり、障害者ががんばって仕事をしても健常者と同じように仕事ができなければクビにする会社もあるでしょう。クビになったことは残念ですが、そういう会社は放っておけばいいのです。障害者雇用に10年近く携わった経験上、健常者に対しても厳しい会社である場合がほとんどです。そんな会社に居続けてもいいことはありません。
 

障害の有無に関係なく、周囲の目を変えるのは自分自身。周囲の目を変えるのは一瞬では不可能です。周囲の目を変えるのは、いつの時代も誰であっても、コツコツ地道な努力が必要なのです。
 

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この記事を書いた人

矢辺卓哉

双子の妹に知的障害があったことが「生きづらいいね!」の始まり。彼女たちを恥ずかしいと思った自分の心を恥ずかしいと思い、大学3年時、障害のある人に関わる仕事を生涯の仕事にすると決める。障害者採用支援の会社で6年間働き、株式会社よりよく生きるプロジェクトを設立。現在は、障害のある人やニート・フリーター、職歴の多い人、企業で働きたくない人などに特化した支援を行っている。また、障害者雇用を行う企業へ退職防止、障害者が活躍できる組織づくりのコンサルティングを行う。「人生を味わいつくせる人を増やす」ことが一生のテーマ。