障害者権利条約批准も障害者週間も話題に上がらない日本。なぜ障害者に関するニュースに興味が湧かないのか。

昨日、12月9日は何の日かご存知でしょうか?
 

答えは「障害者の日」です。これは1975年12月9日の国連総会で障害者の権利に関する決議(障害者は、その障害の原因、特質及び程度にかかわらず、市民と同等の基本的権利を有するというもの)が採択された日であることに由来します。2004年の障害者基本法改正によって、12月3日〜9日までの1週間が「障害者週間」となりました。障害者に関する興味・関心を高めるための日程的な仕掛けは、現在では障害者週間に委ねられているので、知らない方が多数いても不思議ではありません。
 

そんな障害者週間中の12月4日、障害者の差別禁止や社会参加を促す国連の「障害者権利条約」の承認案が参議院で全会一致で可決され、国会で正式に批准される見通しが立ちました。
「国連障害者権利条約、日本ようやく批准へ 国内法令整う」(12月4日朝日新聞デジタル版)
 

2008年に国連総会が条約を発効してから5年、アメリカ以外のG8の国や中国、韓国、EUなど計137ヶ国が締結済みの条約が批准されることになります。5年もかかったのか!という声も上がっていますが、障害者団体による国内の法整備の充実が先という意見を踏まえ、昨年の障害者総合支援法、今年6月の障害者差別解消法などの成立を経ての批准となりました。これは障害者福祉の世界では大きな一歩となります。
 

「障害者週間に合わせたかのような障害者権利条約の批准」という障害者にとって特筆すべきニュースが、この12月上旬に発生したにも関わらず、テレビ・新聞等のメディア、意識高い系の方のSNSでの投稿は「特定秘密保護法案」のニュース一色。障害者がトップニュースになる機会を損ねてしまいました。もちろん、障害者に関わる活動をされていた方がこのニュースを発信していることを見かけたことは記述しておきます。
 

では、なぜこの手のニュースは話題に上がらない、上がりにくいのでしょうか。
 

答えは簡単で、障害者に関するニュースだと「数字が取れない」からです。特定秘密保護法案の審議と障害者権利条約の批准、どちらに国民は興味を持つでしょうか。これは前者です。障害者自身とその周囲の人にとって障害者の権利条約は自分事になるものかもしれませんが、国民全体に影響を及ぼす審議の前には、数の論理上、勝てません。注目度で勝てないものを記事にする、広く取り上げるとは考えにくいのです。
 

また、「数字が取れない」ということは、多くのひとにとって「興味がない」ことを物語っています。数字が取れるということは、見たい・読みたい・知りたいといった興味の結集です。興味がなければ、そのニュースを見ようとはしません。障害者が何に悩んでいるのか、苦しんでいるのかということは障害者にしか分かりませんし、自分が障害者にならない限り、知る必要性を感じません。また、義足を履く私にしても、例えば、目の不自由な方のニュースを逐一確認することがないように、障害者自身も障害が多種多様な分、自分の障害に関することは確認しますが、そうでなければ興味を示さないことが多いでしょう。
 

障害者に関するニュースは「御涙頂戴が望ましい」ことも理由として挙げられます。24時間テレビの一部内容に代表されるように、障害者が自分の障害を乗り越えて成果を上げる経過を取り上げることを、メディアは望む傾向にあります。障害当事者によるバラエティ番組「バリバラ」なども放送されていますが、障害者を取り上げる番組は、得てして感動系のシナリオ構成になりがちです。単なる情報伝達以上に、感情の起伏を発生させるストーリーを社会が求めていることは間違いないでしょう。
 

さらには、障害者自身に起因する理由も想定でき、「障害者自身がニュースを追いかけられない」ことが挙げられます。知的障害者や精神障害者などに後見人が就くことに代表されるように、障害者本人に判断能力がないと考えられる場合があります。この場合、ニュースを見たとしても適切な考えが想起できないことは想像に難くありません。麻痺等の症状によってニュースを取りにいくことが難しいという理由、視覚・聴覚の障害により健常者と比較すると情報取得可能性が低くなってしまうという理由など、障害が理由となってニュースを追いかけることが難しくなってしまうことは多々あります。ニュースを届けたい先の中心人物がその情報を受け取ることができないことが判ってしまえば、発信する意欲は衰えてしまいます。
 

まとめると、障害者に関するニュースが話題に上がらない・上がりにくい理由は
①数字が取れない。すなわち、興味がない。
②御涙頂戴の話を求められている
③障害が理由で情報を追いかけられない。
という3つに集約されるのではないかと考えています。
 

他にも考えられる理由はあるかもしれませんが、たとえいかなる理由があるとしても、ニュースとして取り上げられなければ、社会全体の障害者に対する理解促進や興味喚起のチャンスを損ねてしまうことは間違いありません。また、障害者自身がニュースを知らないことによって不利益を被る可能性だってあります。果たして、この問題は解決するものなのでしょうか。
 

そのヒントは「当事者発信のメディア」にあると考えています。
 

障害者が実際に何に困っていて、どのようなニュースがあると有益かということは障害者自身が一番よく分かるはずなのです。例えば、耳が不自由な方の苦労は、耳が聞こえる人には想像できたとしても理解できません。普段、障害当事者の周囲にいる方に必要なニュースに関しても同様のことが言えます。子どもに知的障害があるという親御さんの気持ちは、同じ境遇の方でなければ共感することは難しいように、周囲にいるからこそ分かることがあります。
 

社会が障害者に関するニュースを取り上げないのであれば、障害者自身が取り上げて発信すればいいのです。自分たちだからこそ持ちえる判断軸を活かせば、よりよい選別・編集作業ができうるはずです。障害者が取り上げる障害者のニュースには御涙頂戴ばかりが存在しているわけではないでしょう。障害当事者は当事者対象に、周囲の支援者は支援者対象にニュースを提供することで、バランス良く発信できるはずです。障害が理由で追いかけられない方の場合は、支援者・介助者が周囲にいることがほとんどでしょう。手前味噌になりますが、私たちPlus-handicapはこのロールモデルになりたいと考えています。
 

情報化社会が急速に進んだことで、マスメディアからの大量情報発信だけでなく、個人の判断軸によって選別された個人からの情報発信も簡単にできるようになりました。情報発信は自宅でパソコンさえあればできる作業なので、障害者の生活スタイルに適した、打ち込みやすい仕事かもしれません。「障害者のニュース」という切り口は、発信することで他の障害者にメリットを享受するだけでなく、副次的効果として新しい障害者雇用のジャンルを作ることができるのかもしれません。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。