発達障害から学ぶ?

発達障害児の育成環境向上と、社会との交流の機会促進を目的とする両育わーるどの重光です。以前書いた「音と向き合い、人と関わり、得たこと」という記事でも触れましたが、障害福祉へ関心のなかった一個人が、どこに惹かれてこの道に入ったのかを現場での戸惑いや魅力を交えつつ、もう少し振り返ります。福祉施設職員に限らず、子ども達と関わる側が何を考え、どのように接しているかの一例をお伝えできれば幸いです。
 

■19歳の頃、友人に誘われ、知的障害児者の週末ボランティアに参加

 
断り切れずに、なんとなくの参加でした。当時の私には、ボランティアという言葉に実感はなく、障害や福祉を意識したこともありませんでした。私には、関係のない遠い世界のことであるかのように。
 

その日は、施設職員から一日の概要、担当する子どもの特徴等を聞いて始まりました。障害を持った小学生から成人までの利用者、福祉施設の職員、他のボランティアとこれまで縁のなかった異世界に、内向きな私は気づかぬうちに足を踏み入れていました。
 

初めてダウン症の小学生と接し、見慣れない容姿に戸惑い、どのように関わったらいいのだろうになってしまいました。子どもの発声が不明瞭な時は、こちらが何度も聞き返す→子どもが話す自信を無くす→発声がより小さくなる、というループに陥り正直困っていました。
 

■この時の“困った”は、ボランティアとしての私自身の困った

 

  • ・どのように接すればいいのだろう
  • ・こっちの言っていることは分かっているのか
  • ・また泣いてしまった
  • ・不甲斐ない私は周囲にどう思われているのだろう
  • ・なんだか面倒なところに来てしまったな

 
この時は、“子どもはどうしたいのか”、“子どもへどう伝えたらいいのか”、という発想はありませんでした。私の障害への理解のなさ、利己的な性格、他者の立場にたって考えるという発想がなかったからです。この出会いがきっかけで、様々な障害や個性を持った子ども達と関わるようになっていきます。暫くは、接し方に戸惑い、考え過ぎたり、不要な気遣いをしたり、必要以上に手助けして自主性を奪ってしまったり。一日の活動を終えると疲れ切ってしまう期間が2~3年ほど続きました。また、この頃は、子どもとの直接のやりとりよりも、ボランティアとしての体面を気にすることが少なからずありました。そのせいか、職員や他のボランティアの方とは違い、子どもとのやりとりが成立しないことも多々ありました。
 

それでも時間の経過と共に、たわいもないことでのやりとりが成立するようになっていきました。思い返すと、初ボランティアは、初夏の暑い日中でのバザーで、恥ずかしがり屋の子どもと一緒に売り子をしたり、出し物を楽しんだり、母の日のカーネーション作りなどをしました。汗っかきな私のおでこをハンカチで拭いてくれたり、私の髪型で遊んだりと、小さなきっかけからやりとりが始まっていました。それでも、ふとした拍子に自信を無くして泣かれたり、急に黙り込んだりと数時間のうちに色々なエピソードがありました。
 

こういったやりとりが、子どもの成長に繋がるやりとりなのか、関わってもらってこちらが嬉しいだけのやりとり(受け入れて貰えたのと、信頼関係ができたとの違い。)なのかは、また改めて書きます。
 

地域ボランティアさんによる自作紙芝居の様子
地域ボランティアさんによる自作紙芝居の様子

 

■ある美容師さんの体験談

 
自閉症のお客さんを担当する機会があり、言葉のやりとりやコミュニケーションがうまく行えず、散髪の途中で帰られることが続いたそうです。どうしたものかと試行錯誤しながら、ある時、伝え方をシンプルにしたそうです。すると、やりとりが円滑に行き、最後まで髪が切れるようになったそうです。これで、美容師さんもお客さんも、双方満足です。
 

ところが変化はこれだけではなく、その美容師さんは、他のお客さんとの会話も盛り上がるようになったというのです。シンプルに、率直に、やりとりをするとお客さんとの会話が弾むようになったそうです。自閉症のお客さんのことを考え、行動していたら、結果として接客姿勢が変化し、多くのお客さんとのやりとりも楽しくなったそうです。
 

■私自身もボランティア経験を通して変化

 
言葉が中々通じない子に、いくら「危ない!ダメ!」といったところで伝わりません。アプローチを変えて、

  • ・とても小さな声で「あぶない」と伝えてみる
  • ・声を出さずに隣でじっと待ってみる
  • ・いつもとは違う表情で黙って向き合ってみる
  • ・心ここにあらずの時は、ハッとさせるような刺激を与え、落ち着きを取り戻させる

など相手や状況に合わせた関わり方、伝え方があります。後から考えると、私は言葉の中でしか生きてこなかったように思います。
 

相手の状況を想像し、伝え方をそれとなく工夫するうち、日常生活や職場での立ち居振る舞いが少しずつ変わっていったように思います。不要な気遣いが減り、時には直球勝負もするようになりました。するといつの間にか、人と関わるのは楽しい、もうちょっと積極的にアプローチしてみようと変わっていったように思います。
 

障害福祉分野でのボランティア活動は、あっという間に10年が過ぎました。3年ほど前、社会起業をしようと門を叩いた〝NPO法人政策学校一新塾” にて、私の進む道が変わりました。在塾中にこれまでの人生を改めて振り返ると、子ども達との関わりが少なからず私の人生観に影響を与えていることに気がつきました。
 

彼らのため、彼らに伝えるための試行錯誤が、こちらにも変化をもたらしていたのではないか。この当たり前なことを改めて再確認すれば、もう少し生き易く、楽しく、素敵な社会になるのではないだろうかと思いました。この想いを同期に伝えると、5名の賛同を得て、プロジェクト活動が始まりました。
 

また、ここまで書いてきた障害を持った子ども達と私との関わりによる変化や学びを、漠然とプロジェクト仲間に伝えたところ、お互いに育つ、両方学ぶというキーワードと、知的・発達障害児の育成方法である療育(りょういく)を掛け合わせて、「両育(りょういく)」という造語ができました。
 

■現場で実感した両育感をミッションに

 

  • ・社会の中で、障害児者も生き生きと社会生活を送っている。

  • ・障害児者もそうでない方もともに学び合えるという認識が広がり、相互に成長の機会が齎されている。

 

両育わーるど
 

上記ビジョンを目指し、昨年からプロジェクトをNPO法人化し活動しています。当初は、子ども達の育成環境を改善するには、政策提言が手っ取り早いと考えていましたが、家庭・行政・社協・学校関係者・施設長が集まる話し合いの場を設けたところ、下記の3つの意見が出てきました。
 

  • ・東京都は他の自治体に比べ、サービスが充実しており、地域格差と法の平等を認識する必要がある。
  • ・制度変更は時間を要し、現場はそれまで待っていられない。
  • ・福祉分野は、外部と関わる機会が少ないので、外部と交流したい。

 

上記の話し合いを経て、現在の活動内容は下記の3点となりました。

  • ・子ども達の障害福祉分野と大学・企業・地域住民の交流促進
  • ・小1~高3の子ども達の放課後の社会福祉施設(児童福祉法下の放課後等デイサービス)の支援
  • ・子ども達と育成者の処遇改善のためのアドボカシー事業

 

■さいごに

 

福祉現場で人と人のまっすぐな関わりに魅力を感じながらも、なかなか踏み出せなかった私ですが、ボランティアで悩み葛藤しながら、子ども達の成長やその機会、場作りに惹かれて十余年を経て現場に入りました。福祉分野外での経験を活かし、現場をサポートし、子ども達の福祉現場から生きやすい社会を実現する一助になればと考えます。そのために、福祉現場の支援だけでなく、現場のリアルを社会に発信し、現場と社会を繋いでいければと考えています。後半は、私の活動紹介になってしまいましたが、次回以降は子ども達の育成現場でのリアルや制度を巡る課題などについて取り上げていきます。

記事をシェア

この記事を書いた人

重光喬之

10年来、脳脊髄液減少症と向き合い、日本一元気な脳脊髄液減少症者として生きていこうと全力疾走をしてきたが、ここ最近の疼痛の悪化で二番手でもいいかなと思い始める。言葉と写真で、私のテーマを社会へ発信したいと思った矢先、plus-handicapのライターへ潜り込むことに成功。記事は、当事者目線での脳脊髄液減少症と、社会起業の対象である知的・発達障害児の育成現場での相互の学び(両育)、可能性や課題について取り上げる。趣味は、写真と蕎麦打ち。クラブミュージックをこよなく愛す。