座ったままのバレーボール、シッティングバレーを体験してみた。

先日、東京都北区王子にある障害者スポーツセンターで行われていたシッティングバレーの練習に参加してきました。早い話、見事にどっぷりハマりました。今日はPlus-handicap編集長、佐々木によるシッティングバレー体験談です。
 

2020年、パラリンピックの開催が東京に決まりました。自分が生きているであろう間に、自分が住んでいる街でパラリンピックが開催されることは嬉しい限りです。先日、義足を履く男が挑む、3つのスポーツという記事をまとめた際は、「減量」を目的に障害者スポーツをやろうと考えていましたが、もともとはアスリート肌の人間。競泳で一度は世界を目指していた私にとって、パラリンピックは「見るもの」ではなく「目指すもの」でした。熱い気持ちでチャレンジできる障害者スポーツはないかと思い、選択した競技がシッティングバレーだったのです。
 
 

 

これはロンドンパラリンピックの競技紹介動画ですが、競技の内容と迫力は伝わるのではないかと思います。シッティングバレーは、その名の通り「座って行うバレーボール」。テレビ中継で流されている日本代表のバレーボールさながらの迫力がそこにはあります。
 
 

 

ロンドンパラリンピック男子決勝はボスニア・ヘルツェゴビナとイランの対戦。シッティングバレーは義足を履く人にとってのスポーツであることに起因して、戦災に見舞われた国が強い傾向もあるようです。
 

シッティングバレーは、床に臀部の一部が着いた状態で行われること以外は、皆さんが知っているバレーボールとほぼ同じルールです。シッティングというだけあり、立ち上がること、飛び跳ねることは禁じられています。臀部をつけたままで移動しますし、トスもレシーブもアタックもサーブもすべて体育館の床に座ったままのような姿勢で行います。
 

そもそも私自身、バレーボールは体育や休み時間で遊ぶ程度に行っていただけで経験者ではありません(両足不自由な割によくやってたなと自分のことながら思います)。トスやレシーブなど、球を扱うことすら難しかったのですが、それ以上にコート内の移動が一番難しく、もどかしかったです。分かりやすく言うと、床の上に座ったまま、足の力を使わずに手だけで移動する。ボールの動きに合わせ、目はボールを追いながら手とお尻は移動する。この2点を絶え間なく繰り返していくことが非常に難しかったです。「ボールを使った練習はもちろん大事だけど、上手に移動できることが一番大事。移動の基礎練習をひたすら行うこと。」と教えて頂きました。
 

※日本シッティングバレー協会facebookページより
※日本シッティングバレー協会facebookページより

 

幸運なことに、初体験ながら練習試合にも参加させて頂いたのですが、ボールの下に移動してレシーブするだけでも一苦労。義足をつけて立った状態のほうがどれだけ動きやすいんだろうと感じました。義足や装具に助けられて日常生活を送っているからこそ、義足や装具を外したときは不自由である。まざまざと思い知らさせられた気がします。
 

1回しか体験していないので、シッティングバレーの面白さやタフさはまだまだ感じ取ることはできていません。ただ、私自身はハマりました。もともと個人スポーツばかりやっていたので、チームスポーツをやり続けていきたい気持ちが強いことにも関係がありますが、それを抜きにしても面白かった。あのもどかしさの先にある強さや技に触れてみたいと強く感じています。
 

この体験を機に、編集長としてはシッティングバレーをもっと紹介していきたいと考えています。12月に開催される日本選手権にも取材に行ってみようと思います。あわよくば、プレーヤーとして挑戦してみたい。
 

2020年の自国開催のパラリンピックは、障害者スポーツを身近に感じられる最初で最後のチャンスかもしれません。Plus-handicapが貢献できることは、このメディアを通じて、多くの人にその存在を知ってもらうことです。また、自分が体験できる障害者スポーツに関しては、自分自身が参加し、体験した上で紹介していきたいと思います。
 

(追記)一人で練習に行くと、練習風景を撮影できないことに気づきました。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。