世界中の障害者に日本をアテンドする会社

お久しぶりです。ライターの堀雄太です。
 

2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催も決まり、喜んでいらっしゃる方も多いと思います。うちの編集長・佐々木氏も東京パラリンピックの決定に大喜びで、早速、競技種目の一つであるシッティングバレーの練習を始めたとか。
 

しかし、パラリンピック(オリンピック)を開催すること自体は良いのですが、私はふとある懸念が浮かびました。「(パラリンピック開催によって)世界中の障害者が東京に集まる??」日本の障害者にさえ完全にはバリアフリーが進んでいない状況において、あと7年で東京は世界の障害者が集まれる都市になるのか?と考えていた時に、下記のニュース記事に接しました。
 

「障害者用の観光会社がモスクワに誕生」

 
「今年2013年の末、モスクワで移動に困難がある障害者たちに対し、外国旅行をお世話することを目的とした障害者専門の観光会社が誕生する。現段階での構想は、障害者らが外国旅行での感想を交換し合う場となるインターネット・ポータル『開けた惑星』を提供すること。創設者のイーゴリさん自身が車いすを利用する障害者であり、自分がヴェネチア旅行の際に、障害者が快適な旅を送るための交通・食事・宿泊などについてロシア語でネット検索したところ有益な情報が得られなかった。その代わり、米国のサイトではたくさんの情報を得ることができ、ロシア語でも同じようなサイトをつくろうと決心したのが、創立のきっかけとなる。『開けた惑星』では、障害者がライターとなって世界各国の障害者が泊まれるホテル、移動手段、障害者が食事をできる場所、車椅子用のスロープが設けてあるミュージアム、名所など、様々な情報が盛り込まれている。」
 

記事に直接的には書いていませんが、ポータル・サイトの次のステップとして、障害者のアテンド(案内)自体もおこなっていくのではないでしょうか?おもしろい取り組みであると感じつつ、日本にもそういう会社(組織)があるのか、主だったものを調べてみました。
 

~~障害者向け観光サイト~~
クラブツーリズムバリアフリーの旅
HISのバリアフリー旅行
神戸ユニバーサル観光ガイド
 

他にもたくさんのサイトがあるのですが、紙面の都合上3つだけを掲載しておきます。例示した障害者向け観光サイトに共通しているのは「日本人向け」ということです。「日本人の障害者(もしくは、日本語が読める障害者)が国内・外国でどのように旅を楽しむのか。」に焦点が当てられています。決して、それがダメだということではありません。しかし、「2020年に東京でパラリンピックを開催する」にあたっては今後、「外国人障害者向けの観光サービス(サイト)」が必要になってくると思いました。
 

以前、編集長・佐々木氏と「(統計上、日本全国700万人程の障害者がいると言われている割に)街中であまり見かけませんよね。」という話をした覚えがあります。さらに言えば、日本で外国人障害者の観光客を見かける機会もほとんどありません(というか皆無)。これは単に偶然の話ではなく、「日本は外国人障害者から観光しづらい国である。」と思われているのだと思います。「観光立国日本」を標榜する中で、この問いかけは大きな課題になってくると感じます。
 

ちなみに、最近、トルコ旅行に行ってきましたが、トルコには観光名所の各所に車いすが備え付けられていました。トルコはイスラム国家であり、「困っている人には手を差し伸べよ」という趣旨の教義がありますので、そうした配慮も進んでいるのだと思います。もちろん、そこにも問題はたくさんありますが、(バリアフリーじゃないのに、車いすだけある、、、等)他国の事例も参考にしていきながら、日本も外国人障害者に日本を楽しんでもらえるインフラ整備が必要でしょう。
 

世界遺産である、イスタンブールのブルーモスク内の一枚。見えにくいですが、車いすが設置されています。
世界遺産であり、世界中から観光客が訪れるイスタンブールのブルーモスクでの一枚。見えにくいですが、車いすが設置されています。

 

トルコの公衆のトイレには必ずある障害者用トイレ。トルコは、和式風のトイレが主流であるが、障害者用は洋式になっている。
トルコの観光地の公衆のトイレには必ずある障害者用トイレ。トルコは、和式風のトイレが主流であるが、障害者用は洋式になっている。

 

イスタンブールの空港では、車いすを利用する人も多く、専用のスタッフも控えている感じであった。
イスタンブールの空港では、車いすを利用する観光客も多く、専用のスタッフも控えている感じであった。

 

「世の中の必要=ビジネスチャンス」です。参入障壁が少ない現在、タイトルにもある「世界中の障害者に日本をアテンド(案内)する会社」の準備を着々と進めていきたいと考えています。
 

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この記事を書いた人

堀雄太

野球少年だった小学4年生の11月「骨腫瘍」と診断され、生きるために右足を切断する。幼少期の発熱の影響で左耳の聴力はゼロ。27歳の時には、脳出血を発症する。過去勤めていた会社は過酷な職場環境であり、また前職では障害が理由で仕事を干されたことがあるなど、数多くの「生きづらさ」を経験している。「自分自身=後天性障害者」の視点で、記事を書いていきたいと意気込む。