優先席の前での正しい立ち方!?

優先席
 

秋葉原から亀戸まで約9分。優先席に座った私の前のオジサンが右足を覗き込むこと10回、私の顔に何か訴えてくること3回。義足を履いている人間として絶対に負けられない、絶対に退くことができない戦いを終えて、先ほど帰宅しました。
 

義足を履いている右足のヒザが固定されているため、ヒザを曲げられない私にとって、実は電車の座席は非常に座りにくいのです。通路側に大きく足を投げ出さねばならず、座っているだけなのに気を遣うことが多く、気苦労が絶えないといったほうが正確でしょう。
 

都営新宿線の場合。※ドア付近だが優先席ではないので悪しからず
都営新宿線の場合。※ドア付近だが優先席ではないので悪しからず

 

普段は電車の中で座ることはなかなかありません。座ったときの気苦労が嫌だということもありますが、20代後半という年齢もあり、人生の先輩方に座って頂きたいというのが本音です。障害があっても、足が不自由であっても、立つことにより負荷がかかる人が座席に着くものだろうと思います。
 

しかし、今日はなぜか疲労が色濃く、ちょうど優先席が空いていたので座りました(私個人の感覚だと座ってしまったが適切ですが)。日本独特のシステムである優先席。これは身体が不自由な方やご年配の方、妊娠中の方や体調が悪い方が優先して座るための席です。もちろん、先述の要素が当てはまらない方も座ることがNGだというわけではありません。
 

なぜ、今日優先席に座った私が、右足を覗き込まれ、顔を見られ、こんなにも精神的に疲弊しなくてはならないのでしょうか。
 

先の写真の通り、私の右足は通路に向かって大きく伸びています。私の前に立つ人にとって、こんな邪魔なものはありません。立ちづらいことは間違いありませんし、私の足が当たる(靴裏が当たる)ことでズボンが汚れることだってあります。また、大前提として「目の前で座る人のヒザが曲がらないなんて考えてもいない」ため、「わざと足を伸ばしているんだろう」と思われているのです。日本人は自分の思っていることをなかなか口外しないぶん、時間をかけてじわりじわりと無言の圧力で伝えてきます。ヒザを曲げることができないため、自分の力では解決できない問題なので、無言の圧力に対して、私は受け止めることしかできません。
 

普段は「スミマセン、足が悪いもので」と一言声をかけます。今日はあえてこちらからは何も言わず、相手の反応を見ていました。①足を伸ばしている理由を聞いてくるのだろうか、②足を下げろと文句を言ってくるのだろうか、③ひたすら舌打ちしてくるのだろうか、④ジロッとにらんでくるのだろうか、⑤ジロジロ足を見てくるのだろうか、どんな反応を返すのかと思っていたら、⑤からの優しめの④でした。ちなみに①〜⑤は私がよく遭遇するケースです。平日の夜はラッシュで込んでいることもあり、席に座っていると①〜⑤のどれかを受けることになります。
 

あるとき、酔っぱらったサラリーマンに「おい、兄ちゃん。足下げろや。」と座っている私の肩を叩かれました。スーツを裾から捲し上げ、「すみません。義足を履いていて右ヒザが曲がらないんです」と応えると、「そんなこと知らん!」とさらに肩を叩かれたので、「警察呼びますよ。次の駅で降りましょう。」と私が言ったところ、周囲の大人が事を収めるように促してくれました。結果的には相手が次の駅で降りたのですが。
 

酷い話だ!なんてサラリーマンだ!と思われるかもしれませんが、実は本質を突いている事例です。前に座っている人がどんな状況なのか、例えば障害があるのか、体調が悪いのかといったことを「相手は知らない」のです。特に私の場合、普段は障害者に見えません。車いすでもなければ、目が不自由な方がもつ杖をもっているわけでもない。さすがに高齢者にも見えない。特に優先席であれば、なぜ座っているのか「分からない」のです。むしろ、お前みたいな若造がなぜ座っているんだと言いたくなるかもしれません。
 

ただ、残念ながら、私が私の前に立ってもイラつくでしょう。私は私以外の友人でヒザが曲がらない、義足を履いているひとを知りません。したがって私のような障害者が座っていることを想定できないのです。自分と同じような障害者が自分の前に座っているなんて考えたことがありません(これは私の障害例が珍しいことに由来しています)。
 

今回のような場合、優先席に座っている人と正面に立っている人の関係をうまくもっていくためには、「優先席に座る何かしらの理由が存在しているんだな」という前提条件を共有しておけば、何も問題はないはずです。そもそも、先述の通り、優先席は身体が不自由な方やご年配の方、妊娠中の方や体調が悪い方のための席なので、座っていることには何かしら理由があるはずなのです。足が不自由なため立っていることがつらいという理由があったから、私は座っていたのです。足をジロジロ見られる必要性も、顔を覗き込まれる必要性も、何もありません。「やられ損」なのです。「傷つけられ損」なのです。優先席に座れる要素を持っていたから座っただけなのに、なぜここまで精神的に疲弊しなくてはいけないのでしょうか。
 

今、「優先席に座る何かしらの理由が存在しているんだな」と前提条件を共有することが大事と書きましたが、この矛盾、面白さに気づくでしょうか?優先席って、座る理由があるから優先席なのです。子どもからお年寄りまでみんなが知っていることなのに、なぜ共有できない、理由を考えられないのでしょうか。
 

フランスにいる友人に一度バカにされたことがあります。
「日本ってなぜ優先席があるの?困っている人がいたら席を譲るなんて当たり前でしょ?そんなこともできないの?災害があるとみんな整列してご飯待っているのにおかしいよね。」
 

私は思います。今の日本人はルールを守ることに長けているのではなく、人と違うことができないだけではないでしょうか。みんなが並んでいるから私も並んでいるだけなんです。席を譲ることも誰もしないから、誰も譲らないだけなのではないでしょうか。結局、自分を守ることに長けている、自分にベクトルが向いているだけの自己中心的な民族なのかもしれません。
 

秋葉原から亀戸まで私の前に立っていた方は、スマホで音楽を聴きながら、画面を操作していました。私の隣に座っていた女性はパズドラを、その隣の女性はワンセグでテレビを見ていました。
 

優先席に座ると、日本人の悪いところがよく見えてきます。
 

記事をシェア

この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。