障害者をマネジメントするということ -その1

皆さん、ごきげんよう。矢辺です。
 

ちょっとずつ、夏っぽくなってきていますね。
夏生まれなので夏は嫌いじゃないんですが、冷房を使うので電気代が跳ね上がるんですよね。それだけが気掛かり。
 

夏休みはこんなステキなところへ行きたいなぁ。
夏休みはこんなステキなところへ行きたいなぁ。

 

私は、障害のある人と一緒に仕事した経験があり、また、今も障害のある人がうちの会社でインターンをしています。その経験を踏まえて、2回にわたり、障害者をマネジメントすることについて書いていきます。
 

障害者をマネジメントする。その経験の結果を一言で言えば、健常者のマネジメントが簡単になるということです。つまり、人からポジティブな評価を受けるマネジメントができるようになるということです。
 

私は、幸運にも社会人3年目から人を指導する立場に就きました。マネジメントする立場として、ふつうの人と大きく違った背景をもっていたことは、私の双子の妹に知的障害があったことでしょう。彼女たちによって、私は人と違う考え方を持っていました。
 

それは、人の成長はそれぞれであり、「当たり前」「ふつう」は存在しないということです。そう思うに至った経緯をお伝えしましょう。
 

双子の妹たちとは今、離れて暮らしているので、会うのは多くて1年に1回程度です。その程度だからかもしれませんが、彼女たちに会うといつも驚かされます。何に驚くのか。それは彼女たちの成長です。
 

彼女たちは、小さい頃は感情がうまくコントロールできなかったり、理論的な話が理解できなかったりしました。しかし、1年振りに会うと、今までは怒っていたようなことに対しても、感情をコントロールできるようになっています。また、順序立てて説明すると話を理解できるようにもなっています。
 

今年はステキな相手と海に行きたい!ちゃんと仕事しなきゃ…。
今年はステキな相手と海に行きたい!ちゃんと仕事しなきゃ…。

 

また、言われなくても母親の料理の手伝いをするようになっていました。私が実家に帰ったときには、簡単な料理を彼女たちが作ってくれました。
 

私が大学に行くために上京したときと比べると、天と地の差を感じるくらい成長しています。彼女たちも同年齢の人から比べると遅いのかもしれませんが、必ず成長していることはまぎれもない事実です。両親の努力や支援者の皆さんのお力添えも大きいのでしょう。
 

この経験から、私は社会人になったり、社会でよく使われる言葉で違和感がある言葉があります。
 

・新人だからこの程度で構わない
・3年目だから、この程度はやってもらわないと
・もう年だから
 などなど……
 

こう言うのを聞くと、
・新人が行う程度って、どの程度?
・3年目が行わなければいけない程度ってどの程度?
・もう年だから何もしなくてもいいという明確な年齢基準があるのか?
って思ってしまいます。
 

このように人の成長はそれぞれであり、「当たり前」や「ふつう」という言葉に対する違和感があるのです。次回は、この経験から起きた前職のマネジメント例と障害者をマネジメントすることについて、考えてみたいと思います。
 

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この記事を書いた人

矢辺卓哉

双子の妹に知的障害があったことが「生きづらいいね!」の始まり。彼女たちを恥ずかしいと思った自分の心を恥ずかしいと思い、大学3年時、障害のある人に関わる仕事を生涯の仕事にすると決める。障害者採用支援の会社で6年間働き、株式会社よりよく生きるプロジェクトを設立。現在は、障害のある人やニート・フリーター、職歴の多い人、企業で働きたくない人などに特化した支援を行っている。また、障害者雇用を行う企業へ退職防止、障害者が活躍できる組織づくりのコンサルティングを行う。「人生を味わいつくせる人を増やす」ことが一生のテーマ。