乙武さん入店拒否騒動を振り返る ー矢辺卓哉の場合ー

皆さん、ごきげんよう。矢辺です。
 

「乙武さん入店拒否騒動」について、
ライターの1人としてどう考えるのか?ということをお伝えします。
 

Twitterなどを見ていると、
・電話で予約をした際に車いすということを伝えるべきだった
・お店の人も拒否ではなくどうやれば手伝えるのか考えるべきだった
など、お互いの対応のまずさやコミュニケーションの伝達ミスについての意見が多かったように思います。
 

私は、このような対応のまずさには興味がありません。
対応のまずさ以上に考えなくてはいけないことがあると思うのです。
 

それは、自分がどう生きるかということも大切ですが、それ以上に
自分たちの子ども、将来を生きる人たちにどのような世の中を残していくか?
ということです。
 

我々は今を生きていますが、我々の生き方が将来の人たちの生きがいを作り、生きづらさを解消していくことになります。だからこそ、後世の人たちのためにも我々は生きていかなくてはいけません。後世の人たちに恥ずかしくない生き方をしなければなりません。
 

つまり、後世の人たちのために、我々は存在する必要がある。
では、後世をよりよい社会にするためには何が必要でしょうか。
 

“自分が常にどのようなあり方をしているか”
 

これがもっとも大切だと考えます。
 

“自分がどのようなあり方をしているか”というのは、常に何を考え、どのような言葉を使い、どのような行動をしているかということです。
 

今回のような1件があった時に、対応の是非を議論していたとしても、誰かをけなすような発言をしてしまえば、その対応の是非についての発言は説得力を持ちませんし、未来の子ども達によりよい世の中を残すことはできません。また、対応の是非を議論していても、その人が実際に対応できなければ意味がありません。
 

だからこそ、”自分が常にどのようなあり方をしているか”が大事であって、その”あり方”がよりよい社会のためなのだと心の底から本人が感じていて、実践できているのであれば、その人の意見がどうであっても構わないはずです。
 

私の周りを見回すと、”あり方”がよりよい社会のためだなあと感じる人ほど、双方の対応のまずさについて議論する人はいませんでした。我々のあり方や社会がどうあるべきかを議論する人が多かった印象です。
 

Plus-handicapで今回、このテーマを取り上げたのは、「テーマ的にうちの領域だし、話題だから書いた方がいいんじゃないの?」というノリが発端で、タイムリーな時期をちょっと逃しているのはこう言う理由です(苦笑)。メディア媒体として多少あるまじき行為かとは思いますが(反省)、それだけ我々の”あり方”からすると社会で起こった1つの出来事でしかないのです。
 

言い換えれば、今回のような一件が起きても、常に社会をよりよくしていこうといつも考えていることなので、特段取り上げることでもないと感じてしまうのです。
 

人間は誰だって感情的になって、失敗します。コミュニケーションミスも起こしてしまいます。
 

そこに目くじらを立てていては、何の問題解決にもならないと思います。
 

だからこそ、私はこのように日々の”あり方”が大事だと思うのです。
 

あなたは未来の子どもや社会に対して、
“自分が常にどんなあり方をしているか”という問いを立てたことがありますか。
 

その問いに対して、どんな答えを用意しますか。
 

その答えを常に実践できますか。
 

社会が大きく変わろうとしている今、我々個々人の”あり方”が問われている。
それを教えてくれたのが今回の乙武さんの1件だったと考えています。

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この記事を書いた人

矢辺卓哉

双子の妹に知的障害があったことが「生きづらいいね!」の始まり。彼女たちを恥ずかしいと思った自分の心を恥ずかしいと思い、大学3年時、障害のある人に関わる仕事を生涯の仕事にすると決める。障害者採用支援の会社で6年間働き、株式会社よりよく生きるプロジェクトを設立。現在は、障害のある人やニート・フリーター、職歴の多い人、企業で働きたくない人などに特化した支援を行っている。また、障害者雇用を行う企業へ退職防止、障害者が活躍できる組織づくりのコンサルティングを行う。「人生を味わいつくせる人を増やす」ことが一生のテーマ。