ここが変だよ、義足の正しい作り方②

 

先日のささきの記事、「ここが変だよ、義足の正しい作り方」に対して
「あれは批判なのか?悪口なのか?」という連絡を頂きました。
これはどちらでもなく、「事実」であり「当事者としての感情」です。

 

障害者福祉というものは、厚生労働省のホームページの見出しによれば
「障害のある人も地域で安心して暮らせる社会の実現を目指して」が
スローガンです。

 

当事者である自分自身が「安心して暮らす」ことへの要望が
ひとよりも高いのかもしれません。素直に認めます。
ただ、今のままの行政サービスではよろしくないと感じていることは事実です。
批判覚悟で誰かが声を大にしなければならないのであれば、
私は迷わず手を挙げたいのです。
そのために「事実」を書き連ね、「当事者の感情」を伝えていきたいのです。

 

ちなみにスローガンをよく見てほしいのですが、
「障害のある人も」とあります。
障害のない人は地域で安心して暮らせる社会が実現しているような
言い回しですし、なぜか劣等感、特別視が伝わってきます。
こんな言い回しは避ければいいのになと感じるのは気にし過ぎでしょうか。

 

義足判定を受けるために高田馬場にやってきたささきは
迷わずタクシーに乗りました。徒歩15分の距離にして上り坂。
右足義足ヒザ曲がらず、左足装具の私には無理な道のり。
バスという手段もありましたが、ここは贅沢させて頂きました。
ちなみに東京都では障害者に対し、タクシーチケットが支給されます。
こういう時に使えるのが便利ですね。

 

受付を通されると「障害認定課」の文字。
ようやく役所の課の名前が優しい表現に切り替わる理由が分かりました。
「障害認定」という言葉は重たい。
生まれつきのハンディ持ちである自分であっても苦しいなあと思うのだから
障害者になって日が浅いひとにはキツイ文字だなあと感じます。

 

障害認定課ドア

 

館内行く先々で見る「障害認定課」の文字。
分かりやすいように誘導していますというメッセージの奥に
「今からあなたの障害を認定しますよ」という意味が込められているような。

 

気持ちを落ち着けて障害認定課に行くと、
そこはリハビリ施設と診察室がセットであるかのような空間でした。
すごくのんびりとした時間が流れていて、
20日間待っていたのは錯覚だった、そんな気持ちになりました。
「ああ、ささきさん。よく来たわねえ」という声が聞こえてくるかのような。

 

問診票1

問診票2

 

このアンケートも結局、後ほど同じことを義肢装具士の方に聞かれるのです。
文字にすると、障害とか手術とか切断とか、けっこうキツイのです。
どうせ聞かれるなら、わざわざ書かなくてもいいじゃんと思ったり。

 

「とりあえず義足外しましょうか」
義足を判定するためには、もちろん義足は外さなくてはいけません。
義足を外した僕にできることと言えばハイハイで進むことくらい。
性格が障害者と言われるささきが本当の障害者になる瞬間です。

 

義足を判定しますよーという初めて会った赤の他人を前に
まだコミュニケーションすら十分にとっていない、
そして、何をされるかも聞かされてない状況の中、
僕は赤ちゃんと同じ移動タイプになりました。

 

「じゃあ、向こうの先生と診断士のひとに見てもらいますね」
目の前で義足判定をしてくれるのではなく、別室に持っていかれて判定されます。
「義足の中の部品見ますんで」とか
「ここ割れてますね」と叩かれたりとか
「この義足のタイプ初めて見ますね」と言われたりとか
どうやったら不安を増幅させる仕掛けばかり発動できるのかなと思いました。

 

義足判定を待つこと数分。そう、数分で終わるのです。
「判定の結果、左足の装具はマスターカードすぐ作れるのですが
 義足はもう少し待って頂いていいですか?
 初めて見る義足なので意見が割れていまして・・・
この一言に首を傾げるのはささきだけだろうか。
公的な機関の義足判定に来て、どうして意見が割れるのかと。
「意見が割れるって、どういうことですか?」
「義足を作る人によって使用する部品とかが違うんですよ。
 その部品まで判定しないといけないんですよね。」
ちょっと感心。部品まで考えてくれるんだ、そうだよね、時間かかるよね。
「じゃあ、その判定が出れば作れるんですね。
 ここからは義足屋さんを紹介してくれるんですか?」
「そういったことはしていません。判定結果が書いてあるマスターカードを
 持っていって義足屋さんに見てもらってください。
 ただ義足屋さんによっては足を見てもらった後に、
 判定と違う見立てをする場合があって、義足の形態や使う部品の変更を
 求められることがあるんです。義足屋さんにも懇意にしてるメーカーとか
 技法とかあるんですよ。その場合は、その義足屋さんに併せて
 判定をし直すこともあるんですよね。

ほ、ほう。ここの義足判定ですべてが決まる訳ではなく、
義足屋さんによって判定が覆る場合があり、そのときは再判定ですか。
僕の意見では何も決められないんですね

 

呆れてモノが言えないとはこのことか(笑)。
感心したささきの心と時間を返してほしい。

 

「ちなみに義足のほうはいつ頃結果が分かるんですか?」
「早めに欲しいですか?うーん、2週間くらいですかね。」
この一言にも首を傾げるのはささきだけだろうか。
もし義足屋さんの言い分で再判定になれば僕はいつから義足が作れるのであろう。
「新しく作り直したくて判定に来てるんですけど。」
「そう言われましてもね、今すぐには判定でないんですよ。」
あれ?すごくのんびりした雰囲気だったのにな、時間ないんだなあ。
「じゃあ判定終わったら連絡頂けますか?」
「実はこの施設から個人の方へは連絡してないんですよ。」
「ん?じゃあ郵送でいつ届くか分からないんですか?」
「はい、そうなりますね。あ、区役所へは連絡しておきますよ。」
「え?僕に連絡もらえるようには図れませんか?」
「えー(不服そうに)、一応伝えてはみますが保証はできません。」
役所仕事とはこういうことか。10日経った今もまだ連絡は来ていないけれど。
分からないことがあったら、また区役所に電話してください。」
「え?ここじゃダメなの?」
「こちらでは個人からの対応はしていないんですね、先ほども言いましたが。」
「質問があれば、僕から区役所へ、区役所がこちらへ、区役所から僕へ、
 ということなんですか?」
「そうですよ。」
業務プロセスと言えばそうだけど、顧客の視点はどこなのだろう。

 

また、どうやら、義足判定をしなければ義足は作ることができないらしく
こちらで聞いた話によれば、社会保険等通さなくていいから
義足だけすぐに作ってほしいということは言えそうにない。
つまり自腹で義足を作るのはなかなか難しいということだ。

 

義足を作るお金を保障してくれている。
それは本当にありがたいことです。
だからってこのたらい回し感はどうなのだろうか。
自腹切って自力で作れるならばまだマシだが
それをも遮ろうとする見えない圧力を感じる。
お医者さんからしても「なぜ自腹で作るの?なんか悪いことしたの?」
そう思われるんじゃなかろうかとも思うし。

 

「目の前のあなたを救いたい」
そんな気持ちで業務フローを組み立てていけば、
このやるせない気持ちを生み出すことはないと思う。
障害者福祉の恩恵を受けている存在は
改善提案をする資格はないのだろうか。できないのだろうか。

 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。