交通事故に遭って初めて気づいた「生きている」ということへの実感と感謝

大学4年生の夏休みでした。もう残すところはゼミと卒論だけ。10月には念願のカナダへのホームステイも決まって、学生最後の夏休みをめいっぱい謳歌しているときでした。
 

私の所属していたテニスサークルは、毎年夏休みには長野へ合宿に行きます。その日はテニスサークルの合宿の最終日。帰り道はサークルメンバーが7~8台車を出して、みんなでロングドライブといったところです。休憩ごとに、運転手たちが自分の車に乗るメンバーをくじ引きで決めるのですが、私のカードを引いたのは、なんと当時付き合っていた彼氏!「なんだ~いつもと同じじゃん!」なんて笑いながら、私は助手席に乗り込みました。
 

彼は元サークルの会長だったので、「みんな、安全運転でいこうね」とほかの運転手たちに声をかけて、運転席に乗り込みました。とても気持ちのいい天気で、絶好のドライブ日和でした。山を抜け、市街地をぬけてトンネルを出ると、左側一面に海が見えました。晴天のもと、太陽が輝く水平線。
 

「わー!きれーい!!」
そう言って正面に視線を戻すと、視界いっぱいに、車の顔が広がっていました。
 

**********

「ふゆこさーん!」

ガラガラガラ…自分が運ばれていく音と、たくさんの人の声が聞こえる。

 (…いたい。)

「ふゆこさん!ふゆこさーん!聞こえますか?!」

 (いたい。)

 (いたいあついいたい。)

「ふゆこさん、手術しますよ!わかりますかー?!」

 (はやく。)

 (はやくたすけて。)

「…はい。はいそうです。これから手術をします。」

医師らしき人が、誰かと電話をしている声が聞こえる。

「意識はあります。…ええ、話しますか?わかりました。」

「ふゆこさん、お母さんですよ。携帯電話、つながってますよ。」

 (おかあさん…。)

誰かが携帯電話を私の耳元にあててくれた。

『ふゆこかい?!』

 (おかあさんだ…。)

『あんた、がんばるんだよ!がんばるんだよ…!』

 (うん。)

 (うん…。)

**********
 

目が覚めると、知らない天井がありました。
 

(…あれ…?ここは…)
 

頭がぼうっとして、視界がぼんやりしていていました。後から聞いたことですが、この事故で私は頭を打ち、右目のすぐ上を挫傷していたので右目も全く見えていない状態でした。その動きの悪い頭でも、自分が交通事故に遭ったのだということを思い出しました。いえ、事故のことはまるで夢のように感じていたので、「現実だったんだ」と理解したというほうが正しいかもしれません。
 

(生きててよかった…)
 

自分が事故にあったのだと理解したとき、心から、そう、思いました。
 

実は、19歳のときに自律神経失調症を患い、抗うつ剤や睡眠薬に依存するようになり、リストカットをし、自殺未遂もしたこともありました。「死にたい」とばかり思っていた過去があった自分が、「自分はダメなやつだ、価値のない人間だ」と思い続けていた自分が、初めて生きていることを有難いと思った瞬間でした。
 

何日か経って、だんだんと自分の状況がわかってきました。私は腰と左手を骨折し、顔面を挫傷し、脊髄神経を損傷した影響で脚は動かず、全身ムチウチ。かろうじて動かせるのは右手のみ、という状態でした。文字だけ見ると、かわいそう!超悲惨!と思われちゃうかもしれませんが、このとき私はすごく幸せでした。
 

「生きている」
 

生きていることがこんなにも幸せで、奇跡的で有難いことなのだと、わかったから。いま生きているということは、決して当たり前のことなんかじゃないと、わかったからです。
 

北海道から家族が駆けつけてくれた。管が1本抜けた。何日かぶりのお水を飲んだら、最高に美味しかった。mixiに日記をアップしたら、友達がたくさん心配してコメントをくれた。10分粥から8分粥になった。そのひとつひとつが最高に幸せでした。
 

このときの私は、五体のなかでも右腕しか動かせませんでしたが、幸いにも口は自由に動きましたので、なにもできない私はただ、「ありがとう」と言い続けました。そうするとみんなは「いいのよ~」と言いながら、笑顔で応えてくれます。「ふゆちゃんはいつも『ありがとう』って言ってくれるから嬉しいわぁ♪」と言ってくれる看護師さんもいました。
 

また、『ありがとう』と言っていると自分の心もあたたかくなっていきました。みんなが私の『ありがとう』に笑顔で反応してくれるので、私もみんなの笑顔で嬉しくなるのです。
 

もちろん痛いこと辛いこともありました。痛くて痛くて眠れなくて汗だくになっているのに「次の麻酔は4時間後まで打てません」と言われた時のあの時間の流れの遅さとか。二度目の手術の朝、おなかが痛くて仕方ないけど、手術への緊張かな…なんて思っていたら、実は大腸の手術をした傷が、糸が取れてぐちゃぐちゃになっていたときとか。
 

でも、生きているというだけで最高に幸せだったから、ほかのことは二の次、三の次だったのです。不思議なことに私は、からだが動かなくて痛くて仕方ないこのときに、それまでの人生でいちばん、心の安らぎを感じていました。『感謝の気持ち』が、私の心に安らぎをもたらしたのです。
 

交通事故に遭うまでの自分は、自分にないところばかりを探していました。減点方式で「あれがダメだった」「これも完璧にはできなかった」だから「私はダメなやつだ」という具合に。でも、事故に遭って「死」に片足を突っ込んでみて、「生きている」ということの奇跡に気づくことができました。
 

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この記事を書いた人

楓友子

21歳のときに交通事故に遭い、脊腰椎骨折、大腸破裂などの重傷を負い、杖が必要な生活となる。市販の高齢者向けの地味な杖を使うのが嫌で、2011年9月、24歳で独自ブランド「Knock on the DOOR」を立ち上げ、自身で装飾をした杖のインターネット販売を始めた。自分が嫌いで死にたいと思っていたが、事故を通じ「生きてるって奇跡なんだ」と知り、いのちへの考え方が180度転換。日本で唯一のステッキアーティストとして活動するかたわら、「生きるをもっと楽しもう」というメッセージを伝える活動も行っている。