自分の左足を切るか残すかという30年続く自問自答。「切る」に傾く日がやってくるのか。

「20歳になったら左足を切るかどうか考えよう」
 

その言葉を初めて聞いたのは8歳くらいの頃。毎年、義足や装具を作り変えるたびに、主治医から”20歳の選択”を刷り込まれました。
 

私の左足と装具

 

不完全なカタチの両足で生まれてきた私は、まずは自力で立てるように、そして歩けるようにという順序で、生まれて2年の間に手術を受け続け、今の足のカタチになりました。
 

右足のほうは完成形に、左足のほうは”当時の”最適解に落ち着き、右足に義足を、左足に装具を身につける暮らしになりました。”当時の”という点がミソです。
 

歩きやすさを考慮したり、身体への負担を少なくしたりという上で、義足は失った足の長さを担保するもの、装具は足の不安定さを支えるものだと定義しています。
 

ただ、人間の身体は何かを身につける前提で構築されているわけではないので、義足や装具を履いた日常を過ごせば、骨格やら筋肉やら関節やらに疲れや歪みが蓄積されていきます。それが痛みや機能不全につながり、新たなトラブルが生まれます。
 

腰痛、左膝痛、左足首痛。最近は歩く時間の長さに比例して、これらの痛みが頻発するようになりました。また、1時間立ち続けることもしんどくなってきました。体力的にではなく、痛み的に。
 

近い将来、長時間歩き続けることは難しくなるだろうなと予感しています。
 

あのとき、左足を切っていれば、この痛みも和らいでいた、そもそもなかったのかもしれない。歩けなくなるかもという危機感も生まれなかったかもしれない。そんなことを思うようになりました。
 

5歳の息子の左足とサイズ感が近い。

 

私の左足をどうするか。当時、いくつかの手術が進んでいく中で、左膝から下で切断する派と現状のままの足を残す派の2つに意見が割れていたそうです。
 

前者が多数派だったようですが、その当時の重鎮的な大学教授の先生が後者を選んだようで、乳児だった私が選択できる状況ではもちろんなく、自分が関与しない中で現在の足になりました。
 

ダメだったら、改めて切ればいいんじゃないかという収束な気がしなくもないですが…。
 

赤ちゃんが立てるようになる、歩けるようになるというタイミングでの手術だったこともあり、足を残したままでも歩けるようになりました。実は大多数が歩けない生活を想定していたようで、歓喜に溢れていたようです。
 

その後は、ダッシュもできるし、遠足もできる。サッカーもできるし、野球もできる。走り続けるマラソンとジャンプ力が問われるバスケが難しかっただけでした。
 

だからこそ、左足を切る必要なんてない。切る意味がわからないと感じていました。
 

子どもの頃は成長に合わせて毎年義足や装具を作り替えていたので、1年に1度「20歳になったら左足を切るかどうか考えよう」という”20歳の選択”をほのめかされるのが通例でした。
 

最後に問われたのは大学1年の頃。そのときだけはいつもと違って「たぶん切らないよね、これから先」と告げられ、「はい」と即答しました。
 

即答できた一番の要因は水泳選手だったこと。左足でバタ足を打てたので、左足を失うことは推進力がなくなることを意味していました。
 

大学を休学する必要がありそうなことも手術を敬遠したくなる理由のひとつでしたし、両足ない男子がモテるのか(そもそも両足不完全なんですが)と疑念を抱いていたことも事実です。
 

日常生活への影響なんて、微塵も考えていませんでした。
 

装具が足に馴染むには割と時間がかかります。

 

実際にはその即答の1年後に水泳を辞めているし、大学2年・3年の頃はサボりすぎて休学状態だったし、両足がどうであれ、それが原因で振られることはなかったしと、手術できる時間は十分にあったと思い返せます。
 

ただ、それでも、左足を切ることはなかったと断言できます。あの頃に今の痛みなんて想定できません。若さゆえに。何よりもサボり呆けて遊んでいる時間のほうが大切でした。
 

今もまた、切るという決断はしません。水泳から競技を変え、シッティングバレーで東京パラリンピックを狙っているからです。不完全でも残っている左足は貴重なパーツですし、手術でコートから数ヶ月単位で遠のくなんて考えられません。また、自営業だということも大きいです。
 

“20歳の選択”で左足を切っていたら、おそらく、福岡から東京に出てくることはなかったので、今の人生そのものに出会っていないはず。今を愉しいと感じている分、ゾッとします。
 


 

では10年後は?と問われると「切るかもしれない」に意見が傾きます。いや「切ったほうが楽」と答えているほうが的を得ているように思います。身体に起きている変化、テクノロジーとして発展し続ける義足の可能性などを考慮すると、切ったほうがはるかに有益だと感じるからです。
 

スポーツを楽しむ時間との折り合い、仕事との兼ね合いくらいが判断の障壁となりそうですが、切るという決断に落ち着きそうです。
 

多くのひとは「自分の足を切るかどうか」なんて考えたことはないはずで、私のような生まれつきの足の問題を抱えていたり、病気や事故によって足に損傷を負ったりしなければ、そもそも考える必要すらありません。
 

私にとって「自分の足を切るかどうか」という悩みは、自由に動けなくなる日が来る前に自分は何がしたいのかと考えさせてくれる有り難いものです。死生観を育んでくれる贅沢な問いとも言えるかもしれません。
 

たまたま残った左足がもたらした人生は、けっこう面白いもの。自分に課された終わりのない宿題をどう捉えるかによって、人生の充実度は大きく変動するものではないでしょうか。
 

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この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。