わたしは本当に死にたかったのか?自身の自殺未遂体験から考えてみる。

死にたい。もう死ぬしかない。ごめんなさい。わたしはもう無理なんです。
 

そんな思いを抱え、2017年某日、自殺を試みました。結果は失敗。それからしばらく「どうして死ねなかったんだろう」「あのときこうしていれば」と悩みこんでいました。段々と冷静になってきた頃にふと思ったのは、「わたしは本当に死にたかったのか?」ということ。
 

わたしがなぜ自殺を考えたのか。それをもとに、自殺を考える人の分岐パターンを考えてみると、ざっくり下のようになりました。
 


 

もっと複雑な人もいるとは思うのですが、「自殺について」というくくりのなかで、便宜上のゴールは「成功」「自殺を考え続ける」「自殺を考えなくなる」の3パターン。
 

わたしの場合は、「自殺を考える」→「踏みとどまらない」→「失敗」→「自殺を考えない」でいったん落ち着きました。
 

話すことができないと、自殺を踏みとどまるのは難しい

 

自殺未遂する前の数週間、Facebookでの投稿などの様子から「大丈夫ですか」「疲れてますね」と頻繁に声をかけていただきましたが、わたしの回答は「大丈夫です!」のみでした。誰にも何も言えなかったのです。何を話したらいいのか、何から話せばいいのかまったくわかりませんでした。
 

「大丈夫ですか」と聞いていただいているにも関わらず、孤独感でいっぱいでした。わたしのために時間を使わせるのが申し訳ない、何か言われたらどうしようなどと「話せない理由」をたくさん作っていたものです。なぜか「自分独りで頑張らなくては」と思っていました。
 


 

相手に悩みを相談するとき、大きい悩みであればあるほど相手が「話を聞いてくれるか」「話してもデメリットがないか」「自分に負担になるような回答が返ってこないか」など、話す前に考えてしまうことはありませんか?
 

端的に言ってしまえば相手に対する「信頼」なんですが、当時はそれが綺麗さっぱり誰に対してもなくなっていたのだと思います。人が信頼できない、自分自身も信じられない。誰かに会っても疲れてしまう。ほとんど動く気力もなくなり、精神状態だけではなく持病の軽度アトピーも悪化。外に出られない状態が続いていました。
 

実際に自殺を決意したときは、すでに「踏みとどまる」という選択肢そのものがない状態でした。「自殺を考える」→「踏みとどまらない」→「成功」という一直線の道しか見えないほど視野や思考が狭まっていたんです。
 

「自殺を考えている」と人に話せば止められるでしょう。だから、相談なんてしません。死ぬというのは当時のわたしにとって、自分が唯一楽になり、幸せになる手段。誰にも邪魔されたくないと考えていました。
 

「自殺未遂」は生きるためのきっかけだったのかもしれない

 

結果、自殺は失敗し、未遂に終わりました。電源コードという結び目が不安定な器具を使ったことが大きな理由です。電源コードは手近にあったもののなかで一番丈夫そうであり、予行練習でいけそうだったために決行時にも使いましたが、結び目がほどけてしまいました。
 

冷静に考えれば当然の結果です。こんな簡単な予測ができないほど思考が狭まっていた。当初はそう思っていました。しかし冷静に分析してみると、「無意識のうちに失敗する方向に進めようとしていたのではないか?」そんな考えが出てきたのです。
 


 

何かに悩んでいるとき、他人に話して楽になった経験はありませんか?独りで抱えるよりも、人と一緒に抱えた方が心の負担は軽くなりますよね。普段のわたしは、悩みがあればすぐに話す人間でした。心理的負担によるストレスは日常生活のみならず仕事にも悪影響だと思うからです。
 

しかし今回、友人に自殺未遂に至った原因となる悩みを話すことができたのは、実際に自殺を試みたあと。1年以上も独りで抱え込んでいました。なぜ話すことができなかったのかというと、きっかけがなかったから。
 

自分にとっては「大丈夫ですか」と聞かれることよりも、もっと大きなきっかけが必要だったのかもしれない。本当は「自殺を考える」段階から誰かに話したかったのかもしれない。話すきっかけとして最後の手段が「自殺未遂」だったのかもしれない。自殺未遂はあくまできっかけ。
 

無意識下でわたしのゴールは「自殺を考えない」=「話すきっかけを作りたい」だったのかもしれないと思うのです。
 

失敗してからも死にたい気持ちは消えず、何度か試したものの初回のようなエネルギーはなくなりました。確実に死ねる方法は調べましたが、道具は購入せず。自殺が未遂に終わり、悩みを人に話すことで「自殺を考えない」への初歩を踏み出したわたしにとって、もう自殺は有効な手段ではなくなったのでしょう。
 

もちろんこれは結果論であり、成功していた可能性を考えると必ずしもそうではないでしょう。現在でも死にたくなることはあります。ただ、少なくとも「失敗」という経験を経ることで冷静に考えられる機会はできました。
 

ゴールは自殺の「成功」?それとも…

 

選択肢のなかに無意識下でも「自殺を考えない」があるならば、どこかで踏みとどまる要素、失敗する要素を作っているはずです。自殺に関する相談センターや本、ネットの記事などを読むのは、自分の踏みとどまりたいという気持ちが強いからだと思います。また実際に自殺未遂をした方に話を聞くと、どこかに失敗する要因があることに気付きます。
 

例えば木の枝に紐をくくりつけて首吊りを試みたが、枝が折れてしまった。もしかしたら、無意識のうちに折れる可能性のある木の枝を選んでいたのではないでしょうか。答えは誰にもわかりませんが、自分では自殺の「成功」へ向かっていると考えていても、実は違うかもしれないのです。
 


 

実際に自殺未遂をしたあとは、「生きててよかった」と思う人と「なんで死ねなかったんだ」と思う人に分かれるでしょう。前者であればそもそものゴール設定が「自殺を考えない」だったのだと思います。生きるきっかけのために自殺を試みたのかもしれません。
 

後者の場合、客観的に見たゴール設定が自殺の「成功」にあるのか、「自殺を考えない」にあるのかはわかりません。後遺症などで自殺未遂後にゴール設定が変わる方もいるかもしれませんが、どちらにせよ答えは自分のなかにしかないのです。無意識に生きたいと願っているか、それとも本当に死にたいのか。自分の行動を冷静に考えることができれば、答えが見つかるはずです。
 

わたしができなかったので偉そうなことは言えませんが、もしあなたが自殺するか悩んでいるのなら、自分が本当に死にたいのか、ゴール設定はどこなのかを分析してみてはいかがでしょうか。たくさん寝て、起きたら太陽の光に当たって、深呼吸して、死ぬことについて考えてみる。紙に書き出すと整理がしやすいと思います。眠れなかったら、感情のコントロールができなかったら、心療内科に行ってみるのも手です。
 

ネットで自分より不幸な人を探して、誰かよりマシと思えたら儲けもの。勇気が出たら、知人や相談センターなどに吐き出すと楽になるかもしれません。自分が生き残れる方法を、なんでもいいから探す。それができるうちは、死ななくて大丈夫だと思います。
 

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この記事を書いた人

山口聖子