新学期を前に「学校に行くか死ぬか」と苦しむ不登校の子どもとその親に、不登校新聞編集長から伝えたいこと

『緊急メッセージ 明日学校に行きたくないあなたへ』
 

8月中旬、たまたま私の目に飛びこんできたこちらの記事。発信元は「不登校新聞」というwebサイト。タイトルを見て思わずリンクをクリックし、記事を読み始めた瞬間にその「緊急」の意味を理解しました。
 

このたび、内閣府の発表により、「18歳以下の子どもの自殺がもっとも多かった日」が明らかになりました。9月1日、多くの学校で新学期が始まる日です。

 

私は以前に不登校支援の活動をしていたので、「9月1日」が不登校の子によってどのような意味を持つ日なのか実感してきたつもりです。夏休みが終わり、迎える新学期初日。「学校に行きたくない」「でも行かなければいかない」不登校の子達が抱える葛藤が1番大きくなる日かもしれません。「学校に行くか死ぬか」まさに今どちらを選択するか悩んでいる子もいるはずです。
 

「私たちはあなたに、生きていてほしいと願っています」
 

今回は、不登校新聞編集長の石井志昂さんにお話を伺いました。中学時代に不登校だった過去があり、ある時には「本気で死のう」と自殺を決意して遺書まで用意したけれど、命を絶つことなく、今を生きている石井さん。不登校の子ども達やその周りの人達は、この状況とどう向き合っていけばいいのか。そんなお話をお伺いしました。
 

不登校新聞編集長 石井志昂さん
不登校新聞編集長 石井志昂さん

 

「逃げていい」は、子どもではなく周りの大人宛てのメッセージ

 

8月、不登校新聞では「学校に行きたくないあなたへ」というテーマで多くの著名人からのメッセージを掲載しました。その中にあった「逃げていい」というメッセージ。不登校の子どもに対して、支援者や大人側からの「逃げていい」「死ぬくらいなら逃げろ」というメッセージはよく目にするもので、私も大変共感しています。しかし一方で、「逃げろ」と言われた子どもは「逃げていいんだ」と単純に思えるのだろうか?そんな疑問も拭えませんでした。
 

今の環境や家族から離れることは考えにくい。逃げ方や逃げ場所が分からない。そんな子達の姿が浮かびます。「逃げていい」という助言は子どもに対して適切なのでしょうか。そんな疑問を投げかけたところ、石井さんから返ってきたのは「「逃げていい」は子どもに対してだけではなく、大人に対してその選択肢を認めてほしいという意味を込めています」という言葉でした。
 

たとえ遠くにいる大人達が「逃げていい」とメッセージを伝えても、子どもが気にするのは身近にいる大人、親や学校の先生の言葉です。その身近な大人達が「逃げちゃだめだ」「もうちょっと頑張ろうよ」というメッセージを送ると、子どもはそちらの言葉に捉われて「逃げちゃいけない」「頑張らなくてはいけない」と苦んでしまいます。

 

(内閣府平成26年度版「自殺対策白書」より)
(内閣府平成26年度版「自殺対策白書」より)

 

「逃げる」という行動も含めて、これ以上子どもに頑張らせるのは酷です。例えば学校で深刻ないじめに遭っていても、子どもはなかなか本当のことを親に伝えられません。親を心配させたくない、親が好きだからこそ言えないということもあります。だから、大人が気付いて配慮してあげてほしいと思っています。

 

大切なのは「1日」ではなく「一気に長期間」休ませること

 

長期休暇が明けて久々に迎える「学校に行かなければならない日の朝」に、もし「急に体調が悪くなる」「布団やトイレから出てこない」ということがあったら、石井さんいわく、”赤信号”なのだそうです。
 

もし”赤信号”のサインが出たら、その日は休ませた方がいいです。大切なのはその後。もし学校に行く時間が終わった時に子どもが元気になるようだったら、これは不調の原因が学校にあると考えていいので、一度学校から遠ざけてあげた方がいい。「明日は行けるよね」ではなく、一気に1週間ぐらい休ませてあげてほしいです。「学校に行く」という前提があるから、親も毎日欠席の連絡を入れなくてはいけないし、子どもにもプレッシャーがかかるんですね。その前提を「休む」に変えれば、休むことへの抵抗は少なくなります。

 

石井さんが不登校の時、「もう学校に行けない」と伝えた次の日に、母親が「子どもを3週間休ませます」と学校に連絡を入れてくれたそうです。結局その後中学には1日も通わなかったという石井さんですが、その3週間があったおかげでものすごく気持ちが楽になったそうです。
 

「毎日の学校への欠席連絡」は、不登校の子と親双方にとって精神的につらいもの。「長期間一気に休む」という選択は勇気がいることだと思いますが、結果的には親子共々、日々のプレッシャーから解放されて気持ちが楽になることに繋がるのかもしれません。
 

「学校に行きたくない」「死にたい」と思っている子どもに対して、親御さんに「本人の苦しい気持ちを聴いてほしい」と石井さんは仰います。そのためには、食事や掃除など最低限生活のサポートをしながら、本人がこちらを信頼して話してくれるまで待つことが大事とのことでした。
 

相談は「子どもの命を繋ぐ最後の一本」だと思ってほしいです。子どもが話すことを否定したり最後まで聴かずに登校や勉強を提案したりするのではなく、まずはその子の苦しい気持ちや本音をしっかり聴いてあげてください。

 

親御さんもひとりで悩まないでほしい

 

不登校支援の活動をしていた時に感じたことは、「親御さんに対するサポートの必要性」です。今まで出会った親御さんの中には「自分の教育が間違っていたのかもしれない」「私が悪かった」と激しく自分を責める方、「あなたの育て方が悪いから」と周りから心ない批難の言葉を浴びている方、子どもが心を開いてくれずどうサポートしてあげればいいのか困惑している方など、お子さんと同じぐらい悩まれている親御さんの姿をたくさん見ました。
 

親御さんも絶対悩みます。ひとりでどうにかすることは難しいですし、精神的にも苦しくなってしまいます。そんな中で、例えば不登校の子どもを持つ親同士で情報交換するだけで、親御さんも「自分だけではない」と気持ちが楽になったりします。また、親御さんにとっては初めての事態でも、支援者からすると「千人目くらいの事例」みたいなことはよくあるので、そういう人に相談するのもおすすめです。ひとりで悩まず、気兼ねなくお電話いただければと思っています。

 

「親御さんの気持ちが楽になること」は、不登校支援において非常に重要です。親の気持ちが軽くなることは、子どもが安心して楽になることにつながるからです。「親である私が変わらないといけないんだ」とご自身を責めるのではなく、「自分もつらい」「どうしていいか分からない」という心の声を吐き出して相談できる場所があるかどうかが大事なのです。
 

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子どもたちはまず、居場所や避難場所を見つけること。そして情報を得ること。

 

親や先生が理解を示してくれるようになれば、子どもにとっては非常に気持ちが楽になると思います。しかし中には、やはり周囲の助けを得られず苦しんでいる不登校の子もいるはずです。学校に居場所がない、家にいても安心できない。そんな子ども達の「逃げ方」として石井さんが提案されたのは「家の中で「安心できる場所」にこもること」「家の外で「避難場所」を探すこと」でした。
 

布団やトイレなど、自分が安心できる場所が家の中にあるなら、その中でゆっくり過ごしてほしいですが、もしそれが許されなければ、図書館、児童館、公民館、どこでもいいので、家の外にあるどこかの施設に避難して、そこで時間をつぶしてください。「避難場所」を探してほしいです。事情を分かってくれる方も多いですから。

 

「9月1日が18歳以下の自殺最多日」の発表を受け、不登校新聞社が記者会見
「9月1日が18歳以下の自殺最多日」の発表を受け、不登校新聞社が記者会見

 

「今の学校を離れたら、高校・大学に進学できるのか」「勉強はどうしていけばいいのか」「人と関わる機会がなくなるのではないか」など、学校から「逃げる」ことに対して不安は残ります、それが「逃げていい」という言葉を受け入れにくい原因にもなると予想できます。
 

石井さんは、学校に行かなくなった後、親御さんが見つけた情報をもとに「東京シューレ」というフリースクールに入学しました。フリースクールは「学校」ではなく、学校に行っていない子の「学習」や「人との交流」ができる場所を提供している民間の施設です。結果的には、このフリースクールとの出会いが石井さんにとっての転機となり、そこでの縁で不登校新聞にも関わるようになったそうです。
 

学校に行かなくなった子にもこんな「居場所」があるんだと知ったとき、他になんの情報も知らなかったので「不登校の自分が行ける場所は世界中でここしかない」と思いました。

 

国や自治体の不登校生に対する支援は「学校に戻す」ことが前提として行われていました。しかし、今年には「フリースクールでの学習を義務教育化する法案」が提出されるなど、学校外における不登校生のための「受け皿」は、ここ数年で大きく拡がっています。不登校の子でも通いやすいよう配慮されたフリースクールや通信制高校のような教育機関も増えました。学校に行かなくても試験に合格すれば高卒資格が得られる「高卒認定試験」を受験する方法もあります。
 

「情報を手に入れること」は、死から子どもを遠ざけてくれます。だから、不登校新聞でもそういった「情報提供」を行っています。

 

「様々な選択肢の存在を知ること」は、不登校生や親御さんにとって非常に重要です。「学校に行く」という選択肢しか知らず、「不登校=どこにも居場所がない」と思い込んでしまうと、気持ちが追い込まれてしまいます。
 

学校から離れても大丈夫。それでも生きている人がたくさんいる。

 

「不登校になった自分はこの先大丈夫なんだろうか」そんな不安に押しつぶされそうになっている不登校の子達に、私もたくさん出会ってきました。どれだけ「大丈夫」だと言われても、その不安を完全に拭い去ることは難しく、漠然とした「未来への絶望感」から死を選んでしまう子もいるという事実は、私にとってとても悲しいものでした。
 

今学校から離れていても、必ず未来があります。不登校を経験した友人達も僕もそうでした。今を生きている人達は、本当にいっぱいいて、不登校とか関係ないんです。心配しなくても、みんなちゃんと生きて、「ふつうのおじさんおばさん」になっています。つらいことも楽しいことも感じながら、みんな、今を生きています。今、学校を離れても、絶対に大丈夫。どうかそれを信じてほしいです。

 

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不登校は誰かひとりが悪いのではありません。当事者である子ども自身、そして一番身近な存在である親御さんには、あまり自分を責めないでほしいです。「逃げること」も「向き合うこと」も、ひとりでは難しい。だからこそ、自分以外の人や、家・学校以外の場所を頼ってもいいのではないでしょうか。
 

学校に行かなくてもなんとかなる」ということは、石井さんや不登校新聞の記者の皆さんの存在が1つの証拠です。休んでもいい。逃げてもいい。一歩も動けなくたっていい。この先はなんとかなる。「今の自分」の命と身体と気持ちを大切にしてほしいなと願っています。
 

(参考URL)
不登校新聞『Fonte』
http://www.futoko.org/
 

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この記事を書いた人

真崎 睦美

平成元年生まれのフリーライター。前職は不登校支援の仕事に従事。大学時代は教育の道を志す「the 意識高いキラキラ学生」だったが、新卒入社した会社を2か月でクビになり、その後務めた会社を2か月で退社して挫折。社会人2年間で2回の転職と3社の退職を経験し、自らの「組織不適合」を疑い始めてフリーに転身する。前職時に感じた「不登校生は〇〇だ」という世間的イメージやその他の「世にはびこる様々な偏見」を覆していくべく、「生きづらい」当事者や支援現場の声や姿を積極的に発信していく予定。人生の方向性は絶賛模索中。