「生きたい」と「死にたい」の狭間で揺れる心。

うつ病になって心が追い込まれていったとき、脳裏に「死」という言葉がよぎることがある。私もうつの闇にどっぷり浸かっているとき、死にたいと口にしたこともあるし、行動に移そうとしたこともある。
 

でも、本音は違った。頭の中の90%くらいは「死」を意識している中で、残り10%くらいは「生」を意識していた。あのときの私は、本当は、生きたかったんだ。
 

本当に死にたいと思ってるの?

 

私のうつ症状がひどかった頃、死にたいって何度も口にしていた。衝動的に自分の体を傷つけたこともあるし、大量に睡眠薬を飲んで病院に運ばれたこともある。そんな日々をどうにか乗り越えたかったけど、なかなかうまくいかなくて自分に未来があるのを信じることができなかった。
 

そんな中、ある日夫が私に言った言葉が突き刺さった。
「お前、本当に死にたいと思ってるの?」と。
 

この言葉は当時の私には衝撃的で、言葉が出なかった。頭を殴られたような感じだった。言われた瞬間は何も考えることができなかったけど、ただ反射的に涙が溢れてきた。ただただ号泣するばかりだったけれど、その涙は「死にたいんだ」と訴えていたわけじゃなかった。「違うよ、本当は元気になって一緒に生きていきたいんだよ」という本音の代わりに出た涙だったんだと思う。
 

鏡像
 

隠れた生きることへの希望

 

うつ病患者の「死にたい」って言葉は、100%の本音ではないんじゃないかと私は思う。その言葉に隠された思いがある気がしている。
 

つらいんだよ、助けてほしいよ、というSOS。もう限界なんだよ、休ませてよという精一杯の訴え。そんな思いを全部まとめているのが「死にたい」という言葉。細かく説明する気力はない、でも今の心境はわかってほしい。すべての思いを総括した言葉が「死にたい」。
 

そして、そんな訴えをするこということは、その状況を救って欲しいということ。「死にたい」という思いの奥を探っていくと、心のどこかにきっと「生きたい」という希望が出てくるんじゃないかという気がしてならない。私が夫の言葉に反応したように、本音は表に出る言葉と違っていることもあるんじゃないかと思う。
 

「死にたい」はうつの症状のひとつ

 

うつ病と向き合うことは、つらいこと。だけど、それから逃げたいためだけに「死にたい」と口にするわけじゃない。「死にたい」と思ってしまうことも、うつ病の症状のひとつなのだ。
 

うつ病の診断基準であるDSM−Ⅳには、「死についての反復思考、自殺念慮、自殺企図」という項目がある。この症状があるということが、診断に至るひとつの理由になる。だから、死にたいと思ってしまうことに絶望的にならなくていいと私は思う。病気なんだから仕方がないと思えば少しは気が楽になるし、見守る家族も病気がその言葉を言わせているんだと思えば傷つくことも少なくなるかもしれない。
 

「死にたい」なんて言葉は、言う方も聞く方もつらいものだ。でも、それを口にする本人の心はきっと、揺れているはず。本当は生きたいのに、死にたいという言葉に支配されてしまう矛盾。その矛盾を正していくことも、うつを乗り越えるのに必要なことなのかもしれない。

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この記事を書いた人

小松 亜矢子

1984年生まれ。自衛隊中央病院高等看護学院卒、元うつ病のフリーライター。元精神科看護師。22歳でうつ病を発症し、寛解と再発を繰り返して今に至る。そんな中、自分自身のうつ病がきっかけで夫もうつになり、最終的に離婚。夫婦でうつになるということ、うつ病という病気の現実についてもっと知ってほしいと思い、ブログやウェブメディアを中心に情報発信中。孤独を感じるうつ病患者とその家族を少しでも減らすことが願い。