足の不自由なママが語る、出産・子育ての思わぬ困りごと。

妊娠~出産、育児って、女性にとっても男性にとっても、一大イベント。
 

「元気にうまれてくるんだよ。」と14年前、妊娠中の私はおなかにいる娘に話しかけていました。身体に何らかの不安を持ってると、出産~育児が色々と大変。「おっ!ここにハードルがあるなんて。」というイベントがたくさん。
 

前回の記事「電気消してくれない?女性障害者が感じる性交渉での悩みごと。」の自己紹介でも少し触れましたが、妊娠中にパパ予定だった方が目の前からいなくなって、妊娠6ヶ月の時、未婚の母として、娘を育てることを決心して、今があります。
 

予定日より前に陣痛がきた私。救急車で病院に運ばれました。股関節の痛みで痛みに対する耐性が強いせいか、ギリギリまで自宅で我慢ができちゃっていたようで、到着した時点で分娩台に乗る状況になっていました。産科医師に「もう、子宮口が全開で、麻酔もかけられないし。帝王切開できないので、普通分娩でいきます。」股関節が不自由な私にとって、足を開くことが難しかったり、曲げる角度にも制限が出てきたり、踏ん張れなかったりします。
 

いざ、分娩台に乗って「足を大きく開いてください。」と助産師さんに促されるも「足開かない-。これ以上。」こんなやりとりが数回繰り返しながら、無事に娘を出産しました。
 

生後2日目、股関節に激痛が走り、冷やしたりできるもの、母乳等に影響がない湿布薬を頂こうと看護師さんに懇願したところ、「ここの総合病院には、股関節に詳しい医師はいません。我慢してください。退院後、詳しい病院へ受診してください。」と言われてしまい、3日間、我慢することになりました。
 

身体に何らかの障害や不安を抱えている方は、主治医と連携して出産を迎えたほうがいいかもしれません。私みたいな例になってしまう可能性もゼロではないので。
 

赤ちゃんの足
 

退院して、入院中に教わったとおりに沐浴しようと初チャレンジ。「あれ!?勝手が違う。」病院で沐浴指導を受けたときには、中腰にならずに楽な体勢で行っていましたが、いざ家でやろうとしてみると、浴槽の高さが低すぎて、うまくできない。考えたあげく、首がすわるまでは、居間にお湯をいれた「たらい」を持ってきて、座りながら行っていました。
 

「これなら、できるかも!」
 

おむつ替えもだいたい私のベッドの上。どうやったら曲がらなくなった股関節でもうまくできるか工夫しながら、何度もおむつを替えていました。だっこをせがむようになる時期、10kgを超えた娘を抱き上げるのが私は大変になってきていたので、せがまれてもベビーカーで移動することが多くなりました。普通のママさんとは違う困難さにひとつひとつ対応していきました。
 

赤ちゃん20141218
 

娘が歩けるようになると、ヨチヨチと歩くようになりました。不思議と娘の歩き方が私の歩き方と一緒。左右に肩をゆらして、つま先で躓きながら、歩いていました。当時の整形外科の主治医に「娘の股関節、大丈夫でしょうか。歩き方がなんだかおかしいような気がして。」と相談しました。すると、医師からは「お母さんの歩き方をまねしてるんだね。娘ちゃん。」杖をついて、綺麗に歩くように心がけるようになると、娘の歩き方も自然と普通になっていきました。
 

股関節の痛みが強くなっていき、ベビーカーが歩行器代わりになるようになった頃、子どもを抱っこして歩いている親子の姿を娘が見かけるたびに寂しそうな顔を浮かべるようになりました。そこで、私は膝の上に娘を座らせて、病院内では車いすで移動するようになりました。すると、寂しそうな顔は薄れ、楽しそうに移動するようになりました。「ママの車いす、私のベビーカーといっしょ。」2歳半すぎの娘に言われたことがあります。「わたし、ママの押して、お手伝い。」いつしか娘が車いすを押してくれるようになりました。
 

ブランコ
 

4歳の頃、地域にある保育園の園庭で、近所の子供達と一緒に遊ぶ時間がありました。
 

「なんで、○○ちゃんのママは、杖ついてるの?」
「おばあちゃんみたい。」
と言われてました。
 

その時、私は娘と一緒に遊んでいた子供達に
「●●くんのパパやママ、めがねかけてるでしょ?それと杖は一緒なの。目が悪いから、めがねかけるんだけど、足が悪いから杖つかってるの。」
 

子供達は
「そうなんだ。そういえば、おばあちゃん、ひざが痛いって。だから杖使ってる。」
 

私の足が悪いことについて、娘の言葉で友達に説明するようになりました。子供には、自分の身体・心のことを、隠さず話すことにしました。
 

子育てって、正解がないと思っています。10人のお父さん、お母さんがいたら10通りの育児があると思います。私のように弱いところも含めて、すべて子供に伝える方もいれば、子供には弱いところを見せず、日々、過ごされる方もいらっしゃるかと思います。
 

「みんな違っていていい。」私は、そう思っています。
 

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この記事を書いた人

岡本直美