車いすユーザーが自動車に乗ってみた。運転にまつわる、あれこれ。

自動車とは、足と手を使って運転をする乗り物です。足が不自由だから車いすに乗っているにもかかわらず、どうやって自動車を運転するのでしょうか。答えを知っている人には簡単かもしれませんが、知らない人には不思議な話かもしれません。
 

結論から言えば、足が動かなくても、手動運転装置という機械を使うことで自動車を運転することができます。車いす生活歴10年を迎えた今でこそ、自動車は私の生活に欠かせないものになりましたが、車いすデビューしたてのころは、「両下肢麻痺=運転不可能」と短絡的に自動車を運転することを諦めていました。公共交通機関の利用に制限のある車いす使用者にとっては、自動車の運転が可能になることで行動範囲が大きく広がるのです。
 

百聞は一見に如かず!手動運転装置の解説と合わせて、実際に運転をしている動画をご覧ください。
 

ちょっと長いです。のんびりご覧ください。
 

手動で車を運転する私が健常者と同じように免許を取得できるかというと、それは違います。私の場合を例に、車いすユーザーの免許取得までの流れをご紹介したいと思います。
 

免許を取ろうとしても、一筋縄ではいかないのです。
免許を取ろうとしても、一筋縄ではいかないのです。

 

●適正試験って、何?
 

適性試験とは、公安委員会の管轄の元に各都道府県の警察本部が運営をしている運転免許試験場に設置された「運転適性相談窓口」で行なわれるもので、病気や障害によって運転に不安を覚える人が、安全に運転をすることが可能か否かを見極める場です。運転免許を所管する道路交通法には、「身体になんらかの障害がある場合、それが運転に差し支える障害だとしても、道具や条件を付することで障害を補えるのであれば適性と認める」という主旨が記されています。よって、その人の障害程度に応じて判断基準は異なりますが、私の場合「足が使えないなら、手で運転できれば可」とみなして設けられた審査項目は2つあります。
 

・手動運転装置を扱える手の機能があるか
・車いすと自動車の乗り降りができるか
 

上記を満たした私に付された条件は、「AT車でアクセル・ブレーキが手動式の普通車に限る」となりました。
 

また、普通自動車運転免許についてくる原付免許、これは没収です。自分の足で立つことすらできないのに、二輪車を扱える訳がありません。当然のことだけれど、ちょっぴり寂しく思いました。
 

●自動車学校を探すのは大変!
 

公安委員会から「運転適性」のお墨付きをもらったのは良いけれど、付された条件「AT車でアクセル・ブレーキが手動式の普通車に限る」を満たした教習車を備えている自動車学校はそう多くありません。福岡県内には、たったの2校。そのうちの1校が自宅から車で30分と比較的近くにあったのは、幸運なことです。もし、通学できる範囲にない場合は、改造を施したマイカーを持ち込んでの教習になります。その場合、教習中に指導教官が使用する補助ブレーキもつけた自動車でなければならないので、改造費が一層かさむことになります。
 

マイカーを持ち込むくらいなら、合宿の自動車学校を検討しても良いのかもしれません。原因不明の病で突然、車いすの生活になった私は当時、車いすユーザーの生活に密着した情報網を持っておらず、困ることが多くありました。手動運転装置などの特殊な教習車を求めて集まっている人が多い環境から、同じ境遇の人との交遊関係を広げる機会にもなり得るでしょう。
 

手動装置つき教習車
手動装置つき教習車

 

●手動・足動、マルチな改造車
 

自動車の利便性は言うまでもありませんが、移動に困難を抱える下肢障害者にとってはQOL(生活の質)の向上にも大きく寄与しています。
 

どんな改造をするかは障害の状況と適性試験で付された条件に依存するので、私の場合は「両下肢麻痺、上肢の機能障害なし」から「アクセル・ブレーキが手動式」の条件のもと、手動運転装置というものを取りつけます。
 

改造方法は、自動車の購入時にディーラーへ頼む場合と、後付けで福祉車両専門業者へ頼む場合の2つに大別できます。新車購入と免許取得のタイミングが合うことが稀なのと、手動装置の選択肢の幅という意味で、後者が大半を占めているように感じます。手動運転装置といっても、専用の自動車があるような仰々しいものではなく、一般の車両にすこし手を加えるだけの改造で済みます。足で操作するアクセル・ブレーキペダルは改造後も今までどおり使えるので、足でも手でも運転のできる万能自動車へと生まれ変わるわけです。
 

私は免許をとったときから手動なので足で運転をしたことはないけれど、みんな手で運転すれば良いのに!と思ってしまうくらいの簡単・快適な操作性は、人体構造的に足より手のほうが細かい動作に優れていることからも頷けます。
 

樋口さん0806③
 

●今なら笑える、教習中のハプニング
 

手動装置で運転をしていると、左手はアクセル・ブレーキ、右手はハンドルと両手が塞がってしまいますが、ほんの一瞬、手動装置から手を放さなければならない用事があるときもあります。
 

気候のよい季節に窓を開けて走っていたとき、風に煽られた髪が顔にかかってしまいました。口紅をつけていたことから髪がペタッと張り付き、私は視界を半分さえぎられました。手で髪を払い除けたい衝動にかられますが、利き手である右手を動かそうとしたところでハンドルを握っていることに気づき、断念。じゃあ、左手だ!と思ったけれど、アクセルからも手を放せそうにありません。こういうときに限って青信号はつづき、結局、信号6つ程、視界半分で走行することになりました。
 

雨が降ったらワイパーを動かす。これは周知の事実です。右ハンドルの自動車はワイパーのスイッチが左側についていることが多いのですが、教習車も例に漏れず左側でした。ワイパーがほしくなる雨量になったころ、アクセルからもハンドルからも手が放せずにモジモジする私。助手席から聞こえるのは「一瞬アクセルから手を放したって、どうってことないよ。」という指導員の声でした。そう言われても教習中で運転に不慣れな身、無理なものは無理なのです。
 

今では、アクセルから手を放しても自動車は惰性で走ってくれるということを、体感として理解しているけれど、教習中や免許をとって間もない頃は手動装置から手を放すなんて余裕は持ち合わせていませんでした。便利な道具も使いこなせてこそ、本領発揮というものです。
 

●車いすと一緒にどこへでも
 

車いすを日常的に使用している人は、自動車で出かけるときも身体ひとつという訳にはいかず、車いすも一緒に連れて行く必要があります。だれかと一緒であれば、車いすを積んでもらえるけれど、それでは物足りません。車いすユーザーにとって、自動車がQOL向上に寄与し行動範囲を広げる乗り物であるという位置付けであれば、ひとりで積み降ろしのできる状態にしてこそ、マイカーの完成となるはずです。
 

自力で車いすを抱えて積み込めることに優るものはありませんが、身体上の都合で重いものを抱えられない人もいます。私はそれに当てはまるので、車いすの積み降ろしには吊り上げ式のリフトを用いています。リフト様様ということで、動画をご覧ください。
 

 

私にとって自動車は、車いすに乗っていることで生じる移動のもどかしさを解消し、生活の幅を広げてくれたもののひとつです。かつての私のように、障害を負ったことで運転を諦めている人がいるとしたら、工夫次第で可能だということを知ってほしいなと思います。
 

しかし、それ以上に車いすユーザーが車に乗れることを知ってほしいのは、いわゆる健常者の皆さんです。前回、障害者駐車場の在り方を問うた記事で、不正利用により使いたい人が使えない現状があると書きました。これは、車いすの人が運転をしている光景を多くの人が思い浮かべられないからではないでしょうか。そんなことを考える機会もない。見たこともない。結局のところ、何も知らないことから生まれているバリアなのです。
 

このバリアを越える手段のひとつは、障害者が担っているように思います。建物や設備などが整えられても、人のココロと意識が変わらなければ意味がありません。私たちが自分の人生を楽しみながら積極的に外へ出ていき、その姿が人々の目に触れることで社会の意識も変わってゆく——。本当の意味でココロのバリアフリーへ繫がる道は、これに尽きるのではないでしょうか。

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この記事を書いた人

樋口 彩夏