もし自分の子どもに障害があったら?知的障害のある息子を包む母親の愛情。

自分の子どもに障害がないほうがいい。これはほとんどのご両親が思うことでしょう。高齢出産のリスクが取り沙汰されたり、出生前診断が最近メディアに取り上げられたりすることも、その表れです。障害のある子どもを育てることは大変、自分の時間が拘束されてしまう、周囲の視線が気になる、自分が死んだ後のことを思うと不安などといった多くの懸念を抱くことは至極当然だと思いますし、その懸念のほとんどは現実になります。
 

自閉症の息子を育ててきた志村陽子さん。息子の雅人さんが自閉症であることが分かったのは生まれてからしばらく経ったとき。初めは他の子と比べると「ちょっと違うな」と思っていたことが「やっぱり違う」と感じたときに、子どもの障害に気づいたそうです。外から見てても仲睦まじい親子であり、一緒にいる時間が楽しいと話す志村さんに、「障害のある子どもを育てること」について話を聞いてきました。
 

志村さん
 

自分の子どもに障害があると分かったとき

 

生まれつき両足不自由な私は、遺伝のリスクを思うと、自分の子どもに障害があったらどうしようと悩んだことがあります。4月末に子どもが生まれ、外見上、障害がないと分かったときの安堵感は今まで経験したことがないものでした。自分が障害者であることは受け容れられても、自分の子どもが障害者であることは受け容れられず、また障害者の父親であることも受け容れられないのかもしれない。雅人さんの話を聞くにあたって、自分が抱えていたモヤモヤ感を吐露してみました。
 

それはそうだよ。誰だって好き好んで障害者の親にはなろうとしないじゃない?私だって、障害者とか差別とか身近にはない中でずっと生きてきてたから、雅人に障害があるって分かったときはうわーって思ったもん。でも、障害者である前に、自分の子どもなんだよね。かわいいじゃない。それで解決したのかもね。

 

20年以上前だと、インターネットが発達する前の時代なので、情報をアクセスする先も今と比べると少なく、また自閉症に関する情報量やその精度も乏しかったはずです。そんな中、子どもの障害が分かるというのは不安も大きかったのではないかと思いますが、志村さんの場合は「受け容れるまでに長い時間はかからなかった」ようです。

 

雅人が小さい頃なんてインターネットも何もない。NHKの教育テレビで見た番組で雅人って自閉症なのかもと思い、たまたまお母さんへの相談支援を区報で見つけて相談に行ったの。そこから病院の先生に診てもらったら「自閉症です」って言われて。不安な中でも自分で調べて宣告されたから受け容れるのに長い時間かからなかったのかも。今のお母さんたちってネットで検索すればすぐに分かるぶん、すぐに答えを突きつけられるからね。しんどいかもね。

 

病気や事故等によって後天的に障害を負った場合、障害を受容するには段階があると言われています。特に突発的なアクシデントによって障害者となった場合、自分が障害者となったことを受け容れるまでに時間がかかると言われています。子どもに障害があると分かったときの親の気持ち、受容の過程というのも、これと似ているのかもしれません。
 

障害を受容するまでの4段階
障害を受容するまでの4段階

 

自分が教員時代に見ていた子の中で、知的障害の子がひとりいたけれど、いざ自分の子どもに知的障害があるということがわかったとき、何も自分は分かってなかったなあという気持ちになった。知ってることと体験してることって違う。ただ、知ってることで受け容れられるとっかかりはできるかもしれないね。

 

雅人が死んじゃっても誰もお前のことを責めないよ

 

知的障害はIQ(知能指数)70ないし75以下と定義されています。自閉症はその知的障害に付随して現れる症状の一種であり、社会性や他者とのコミュニケーションに困難が生じたり、こだわりが強くなったりすると言われています。
 

雅人は愛の手帳に書かれている等級は3度。言葉でコミュニケーションが軽く取れるくらいかな。IQは最後に測ったときが39。未だに書き続けてる支援者との連絡帳があるんだけど、例えば赤ちゃんの「これができるようになりました」っていう小さな変化への喜びってあるじゃない?あれが20数年続いているような感覚。赤ちゃんだとすぐに成長していくけど、雅人の場合は、すごくゆっくりとそれが進んでるカンジ。その変化をずっと味わわさせてくれてることに感謝だよね。「おかあさん、これヤダ」って、最近、反抗してくるようになって。やっと反抗期来たかみたいな。

 

生活のひとつひとつに手助けが必要となるため、子どもに障害があると、一般的な子育て以上に、子どもと過ごす時間を確保せざるを得なくなります。自力で生活できる・できないなど、障害の種類や程度によって様々な場合が想定されますが、子どもの障害が理由で親の自由が奪われてしまうという現実も横たわります。ただ、志村家の場合は「旦那は育児には向いてなかった」という事実が、好転の鍵でした。
 

ウチの場合、「元」旦那になるんだけど、夫が育児に向いてなかったのね。だから、私が子どもを育てる担当、夫が稼いでくる担当と割り切っていた。役割分担できたのがよかった。口出ししないでねって。自分がやらなければ誰がやるのっていう状況に自然となったのが良かったかもしれない。好きなようにできたから。責任は重たくなるんだけど、何も気にせずにできたから楽だった。ある日、旦那に「雅人が死んじゃっても誰もお前のことを責めないよ」と言われたのね。労いなのか放言なのか分からないんだけど。

 

七夕飾りの短冊に願い事を書く志村さん親子
七夕飾りの短冊に願い事を書く志村さん親子

 

最近だと施設やサービスにすぐに預けるっていう選択肢があるんだけど、私は一緒に暮らしたかった。だから、ひとといる意味を教えていきたいなあと思ったの。ここにいていい、ここにいてほしいって。雅人には2つ年上の兄もいるんだけど、2人共に中学生までは毎日ハグしてた。私は雅人に一度も嘘をついたことがないし、彼が発した言葉にもすべて反応してるって言い切れる。自分が人を変えられるということはまずないと思ってるから、自分ができることからやらないとダメなのね。相手を見て自分がどうすれば嫌いにならないか、好きになれるかを考えてる。今は幸せだなあって思えるよ。結婚して子ども産んでよかったって。

 

子どもが育っていく、そのなだらかな曲線を見つめたい

 

志村さんの話を聞いていると、障害児への支援というのは障害児本人だけでなく、その親御さんへの支援も必要になるということが、まざまざと気づかされます。自分の子どもに障害があるということで自己肯定感が薄まることもあれば、例えばママ友というコミュニティの中で劣等感を抱くことで孤立感も増すのかもしれません。
 

障害受容という観点でみても、母子支援という形が大切だなと感じてきた。親の会とか自立支援協議会とか団体運営もやってきたけれど、親御さんひとりひとりの障害受容も違えば、悩み苦しみも違う。今は障害児をどう育てるかという問題から拡大していって、家族の在り方が問われてるなと思う。私の興味も障害児の育て方とかじゃなくて、家族ってなに?っていうところになってきた。

 

雅人さんの絵の展示が7月26日まで練馬区のパン屋さん、Vieill Bakerycafe&Galleryで行われています。
雅人さんの絵の展示が7月26日まで練馬区のVieill Bakerycafe&Galleryで行われています。

 

社会が高度化していく中で、かつては障害と見なされなかったことも障害と見なされるようになってきました。その一例として発達障害が挙げられることも少なくありません。急速な高度化は、子どもたちに新たな障害のレッテルを貼り、結果として、親御さんに対する負荷が増し、家族全体が苦しい状況下に置かれているのかもしれません。
 

障害の有無に関わらず、子どもってすべてがオリジナルなんだよね。ひとりひとり違うんだから、肩肘張らずにその変化を楽しめばいい。その変化のなだらかな曲線を見続けることが母親のプライドだなって思う。人の気持ちっていくら想像したって分からない。だから子どもの気持ちが分からないって悩むんじゃなくて、知りたいっていう気持ちに切り替えたらいいと思う。子どもに障害があったって分かったとしても、同じような苦労をしてる先輩方はたくさんいる。その苦労を体験してるからこそ、いろいろなことを教えてくれるし、手を差し伸べてくれる。自分の中の当たり前を1回リセットして、子どもと向き合うことが大事だよね。

 

志村さんの言葉を聞いていると、「子どものことを知りたい」ということを突き詰められるかどうかが、親の覚悟なのだなと感じました。「知りたい」という気持ちに応えてくれるかどうかの難易度は、障害の有無によって確かに変わるでしょう。ただ、ここまで明快に意見を述べて頂くと、子どもに障害があるかないかなんて関係があるのかとさえ思ってしまいます。育児放棄や虐待が騒がれている昨今、当たり前に思い込んでいる家族の在り方を一度リセットして、今の時代に合った家族像を考えるときが来ているのかもしれません。その先に、子どもに障害があったとしても、うまく向き合っていける心があるのかもしれません。

記事をシェア

この記事を書いた人

佐々木 一成

1985年福岡市生まれ。生まれつき両足と右手に障害がある。障害者でありながら、健常者の世界でずっと生きてきた経験を生かし、「健常者の世界と障害者の世界を翻訳する」ことがミッション。過去は水泳でパラリンピックを目指し、今はシッティングバレーで目指している。障害者目線からの障害者雇用支援、障害者アスリート目線からの障害者スポーツ広報活動に力を入れるなど、当事者を意識した活動を行っている。2013年3月、Plus-handicapを立ち上げ、精力的に取材を行うなど、生きづらさの研究に余念がない。