自分自身を「無国籍」だと思う理由とは?【ハーフの方へのインタビュー】

自身の生い立ちから、いつも「ハーフ・外国人」について書かせていただいているケイヒルです。
 

記事を書き始めて、私自身、「ハーフ」や「外国人」についてもっと勉強してみたい、と思うようになりました。関連する出版物やサイトに目を通すようになったのですが、むくむくと湧き上がる違和感。「ハーフはこう思っている」「外国人はこう思っている」とか、世に出ている「ハーフ・外国人」に関する資料ってワンボイスだなあ、と感じてしまうのです。
 

同じハーフでも、生活している場所や人種、教育などで、感じることは全然違うんじゃないの?同じ外国人でも、出身国や滞在歴、言語の流暢度で、日本での生活も全然違うんじゃないの?そんな疑問を出発点に、バックグラウンドも様々なハーフ・外国人の方に、私からインタビューさせていただきました。「ハーフ」や「外国人」というように、私たちはカテゴリーに括りがちではないか?私たちは誰かのアイデンティティを単純化しすぎているのではないか?レッテルを貼ったりしていないだろうか?ということを考えていただける内容になれば幸いです。
 

by Luxt Design
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一番最初にインタビューさせていただいたのは、パキスタン人の父親と日本人の母親をお持ちのハーフであるKさんです。(※個人情報保護のため、イニシャルを使用)。
 

ケイヒル(以下C):本日はよろしくお願いいたします。まず、ご本人の生い立ちについて教えていただけますか。
 

Kさん(以下K):母は日本人、父はパキスタン人です。日本で生まれ、幼稚園から高校まで都内のインターナショナル・スクールに通いました。日本の大学に進学し、卒業後は日系企業での勤務を経て、現在は自分の会社を経営しています。喋れる言語は、日本語と英語だけ。パキスタンのウルドゥー語は、文字を読んだり、発音することはできるけど、何を言っているのかはわからない。今日はよろしくね。
 

C:唐突な質問になるんですが、Kさんはご自身を何人だと思っていますか。
 

K:外向けには「ハーフ」だと言ってるけど、自分の中では「無国籍」だと思ってる。
 

C:自分を「無国籍」だと思うに至った経緯を聞いてもいいですか?
 

K:高校のときに、日本のお店でアルバイトをし始めて、日本社会と接点を持ち始めたのね。だんだん日本社会との絡みが増えてくる中で、ちょっとずつ、「俺、こっち側(日本人側)ではないな」と思い始めて。でも、かといって、いかにもアメリカ人な友達とかと比べたら、アメリカ人ではないしな、と。もちろんパキスタン人でもないし、じゃあなんなんだろう?って思ってた。でも、大学入学している頃には「そういうの気にしなくていっか」みたいなところに至ってたよ。
 

C:インターナショナルスクールから日本の大学に入学すると、カルチャーショックを受けることも多かったんじゃないかな、と思うのですが。
 

K:実際カルチャーショックは多少あったよ。ショックでやっていけなかった、ということはなかったけど、“同じ種族の人たち”と固まって、居心地良くしちゃってた感じ。インターナショナルな背景を持つ生徒同士だけでつき合う傾向があったんだけど、それもそのカルチャーショックを和らげるためのことだったと思う。
 

日本の学生と付き合いづらかったのは、たくさん話したりしても、やっぱり深いところで共感できないというか。例えば政治や音楽の話題で話せても、結局そのトピックだけの話になってしまって、深い共感までつながらなかったから。お互いの人間性を知るってことはあんまり・・・。何だかしにくかったな、と思ってた。
 

インターナショナルスクール出身の人とか帰国子女の人とかとは、アメリカン・カルチャーの話がもっとできる。「日本に住んでいると、こういう経験ってよくあるよね」みたいな「あるある話」もできる。そういう話がよりできるから、共有できるものが多いよね。
 

ただ、会社の同期はほとんどみんな日本で生まれ育った日本人だったけど、今でもすごく仲良いいんだよね。彼らと打ち解けられたのは、同じようなビジネス領域に興味があって、仕事に対するマインドが似ていたから。つまり、結局、共感できる要素がすごくたくさんあったからだからじゃないかな。もしかすると、「人間レベル」での付き合いって、共感できるものの絶対量というのが関係していて、実は、共感の題材はなんでもいいのかもしれない。
 

by 耿念堃
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C:なるほど。Kさんは大学入学の時点で、日本の大学に進学し、日本に残ることにしていますが、その決断の背景にあったものってなんですか?
 

K:それは、当時、国も人も、日本の方がアメリカよりも好きだと思っていたから。単純に、マナーの面だとか、平和で安全な国だっていうことだとか。
 

その一方で、進路のことを考えていた時期がちょうど9.11からイラク戦争の間くらいまでで、アメリカが一番荒れていた時期だったのね。特に、欧米では、パキスタン人含めた中東系に対する差別がひどくなっていて。俺の父親も、空港でひどい目に遭っていたし、当時はニュースも、中東系に対する論調が最悪だったんだよね。それに、中東系に対する差別だけじゃなくて、「(アメリカみたいな)基本的にでっかい差別があるようなところは嫌だな」とも思っていた。
 

でも、アメリカは歴史的にも人種間の対立がガッツリつきまとっている国だっていうのは事実だと思うから、なにか悲劇が起こると、人種問題に絡んだニュアンスがついてしまうっていうのは、もうしょうがないとも思うんだよね。それに、どの国も、人種問題に対する各々の扱い方があるからさ。日本の場合、人種差別という形で暴力を振るわれるようなことはないけれども、どこまで行っても「あなたはヨソモノ」っていう感覚は絶対存在しているし。
 

C:ちなみに、ハーフで良かった、って思うことはありますか?
 

K:こんなこと言っちゃいけないけど、けっこういろいろなことが許されちゃう。例えば、酔っぱらって、街中で歌ったり、知らない人にワーワー絡んだりしても、「あ、向こうはそういう文化なのね」みたいなので片付いたり(笑)
 

C:じゃあ逆に、ハーフで嫌だな、という思いをしたことは?
 

K:やっぱり、多少ヨソモノ扱いはされたり、ずっと日本に住んでいるのに、外国人観光客と変わらないような扱いを受けることも多々あったり。
 

あと、今でも覚えているのは、高校時代、日本の学校に通っている女の子と付き合ってたんだけど、俺と、その女の子と、その子の友達複数人でカラオケに行ったのね。そのとき、俺がミスチル歌おう、とか思ってたら、「そんなのじゃなくて、英語の歌ってよ」って、その女の子が横でぼそっと言ってきたりするんだよね。お前は「ガイジンのカレ」を見せびらかしたいのか、と。俺は見世物か、と。
 

そのベクトルの延長線上にあるような行動をされることは多々あって、例えば、同年代の人に、いわゆる「外人ノリ」で「ヘイ、ワッツアップメーン!」みたいな感じで絡まれたり。俺が日本の会社でバリバリやってることを知っているにも関わらず。
 

要するに、向こうはいわゆる“異文化交流”をやりたいっていう気持ちが元々あって、俺がその標的になっちゃうわけ。そうなると、向こうにとって俺は「外人の人と仲良くしてみたい」という対象でしかないし、俺にとって向こうは「コイツむかつく」っていう対象でしかないから、本当は友達になれたかもしれない人たちとも、お互い壁を作る結果になっちゃう。それはハーフでいてちょっと悪いところだね。
 

ただ、逆に、敢えて「ハーフだよ」っていうのをフックにして、自分のことを知ってもらたり、覚えてもらったりするための気軽なツールとして使える、っていうふうに捉えることもできるし、メリットもデメリットも両方あるよ。
 

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C:自分が無国籍であること、もしくはハーフであることは、今の自分の考え方だとか、やっていることに影響を与えていることってありますか?
 

K:まあ、あとづけでいくらでも出てきそうだけど(笑)、あんまり社会に頼らない、っていうメンタリティがあることかな。「会社に2,30年いれば出世して安泰だね」とか、「どうせずっと日本にいるから、年金払ってれば、あとで戻ってくるね」だとか、「日本に住むしかオプションがない」みたいな感覚はない。
 

あとは、特に9.11以降、アメリカの警察も日本の警察も頼れるものではない、っていうことを父を通して見てきてて、何か問題が起こったときは、外国人は絶対不利なほうに回っちゃうってことは知ってる。例えば、裁判になったりすると、やっぱり日本人とは扱いに差がでてくる。だから、ここにいれば大丈夫、この道をたどれば大丈夫、というような保障は存在しないっていう感覚を持っているな。
 

日本を出れば、世界のどこかには、安定している場所や、居心地がいい場所がある、とさえも思ってない。絶対どんな場所でも、ある程度の不安定さや居心地の悪さはあると思うから。だから、最終的に信頼できるのは自分と家族だけだな、って。まあ、そういう考え方も、俺がハーフのせいなのか、俺がひねくれもんなせいなのかは分からないけど。
 

C:最後に、日本に暮らす他のハーフや外国人の方に何かアドバイスはありますか?
 

K:無理に日本社会に馴染もうとする努力をする必要はないし、逆に、無理に反抗する必要もなくて、そのまんま自分でいれば、それを受け入れてくれる人も場所も絶対あるってこと。バックグラウンドを超えて、理解しあえる場所と人っていうのを、あんまり無理せず探したほうがいいよ、って感じかな。
 

C:日本社会の日本以外にルーツがない人たちに対しても、もし何かあれば。
 

K:うーん。まあ、あるとすれば、日本にも急激にいろんな国の人が入ってきているし、今後も増えていくから、彼らに対して「ヨソモノだ」、とか、無理やり「日本社会の一部だ」、とか、そういった特別な意識は持たずに、とりあえず「いる人はいる」ってことでやっていったらいいんじゃないかな。で、人を見た目やステレオタイプで判断せずに、その人と実際に口をきいて、その人の口から実際に出る言葉や、そこから見えるその人の内面で判断すべきってこと。そうすれば、きっといいことたくさんありますよ。
 

C:本日はどうもありがとうございました。

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この記事を書いた人

ケイヒル エミ

米韓ハーフ。日本で生まれ、小・中・高と日本の公立学校に通ったのち、アメリカの大学に直接入学。現在公共政策学部で、貧困・格差問題やジャーナリズムについて勉強している。「ハーフ」「外国人」の観点から情報発信をしたいと思ったのは、憧れの国だったアメリカで人種問題や移民問題に直面し、そこでの問題意識を、日本での自分の体験と照らし合わせるようになったことがきっかけ。今年中国への交換留学を控えており、大気汚染の影響を心配しつつもわくわく中。