目に見えぬ、脳脊髄液減少症と向き合って

Plus-handicap読者のみなさま、はじめまして。
 

今月より、6人目のライターとして参加することになったシゲです。知的障害・発達障害分野と、自身の病気を中心に記事を書いていきます。
 

重光さんCT画像
 

まずは、自己紹介がてら、今の私を作ったであろう要素の一つを取り上げます。画像は、数年前の私のCT画像です。上部が脳、縦線が脊髄、下部が膀胱になります。左から順に1、3、6時間後の造影剤(=黒い塊)を捉えています。腰辺りへ注入した造影剤が、脳へ流れ、その後膀胱へ蓄積し、排出され薄まっていく様子が確認できます。中央及び右画像内の腰辺りのもやもやが、髄液漏れ部分になります。
 

発症理由がわからず、病名が判明するまでの十数年間、幾多の病院や民間療法などを試し、のらりくらりと過ごしてきました。たまたま職場の上司のご縁で、病院を勧められましたが、驚異の半年待ちでした。当時は、都内でもまだ対応できる病院は2か所でした。
 

症状が人によって異なるのが、脳脊髄液減少症の特徴です。私の場合は、首~肩~背中~腰の激しい痛みと、記憶や時間感覚の消失が主な症状でした。
 

脳脊髄液減少症と診断された後、2度ブラッドパッチ(自己血を脊髄に注入、施術自体は10分程度)を行いました。痛み以外は治りましたが、肝心の疼痛が解消しないため、今も背伸びしつつ日常生活を送っています。
 

痛みの感じ方は千差万別ですが、私は24時間365日発生する痛みで、数年間熟睡できませんでした。治療後、複数の医師とやりとりし9種の薬を試し、ほどほど効く薬に出会うと下記のような変化が起きました。
 

重光さん頭部
 
左写真:「痛み」+「痛くて仕事できないよストレス」による円形脱毛症
右写真:投薬により痛みが緩和、僅か一月で70%ハゲから3%ハゲへ
 

ゆっくりと寝られることの喜びは、表現のしようがない幸せでしたが、慣れてしまえばその感動も…。
 

患者数は20~30万人といわれ、発症要因も症状も十人十色です。ブラッドパッチ治療では、完治者3割、改善者4割程度だそうです。この治療は、最近まで自費治療のみでしたが、2010年に検査のみ保険適用となりました。昨年には、厚労省がブラッドパッチ治療の保険適用に向け検討段階に入りました。多くの方は、交通事故によるむち打ち症が発症要因であったため、保険会社としては出費が増えるため、中々話が進まなかった一面もあったようです。
 

私は、いつでもどこでもこの病気のことを発信しているので、私の周囲の認識率はかなり高いです。また、近年、メディアにも幾度となく取り上げられるようになりました。しかし、まだまだ当事者本人、その周囲の方への周知、理解が不足しているようにも感じます。以前、医大のペインクリニックで「そんな病気はない、医者はそんな痛みは取れない」と言われ、けんもほろろに診察を終えたこともありました。この病気は早期発見、早期治療こそが完治への近道とされています。
 

私の髪は、大方戻ったものの、痛みの方は引き続き存在感をこれでもか!とアピール中です。私にとっての脳脊髄液減少症のしんどさをまとめれば、こんな感じでしょうか。
・痛みを堪えながら24時間365日社会生活を営む
・常に痛みのブレーキが働いている、全力投球できない
・周囲から怠けていると思われているのではないかと不安になる
・病気を理由にサボっているのではないかと自問自答が続く
 

治療後、計2~3年間の寝たきりに近い生活が、忍耐と根性をもたらしたのかなと思っていましたが、最近仕事や日常生活を通して限界を感じるようになり、強がりだったなと思えてきました。
 

もし得たことがあるのであれば、それは目に見えぬ痛みとの付き合いは、人それぞれに抱えているコトがあるのだろうと思える気持ちを少し持てたことでしょうか。
 

Plus-handicapのコンセプトが、“「なんか生きづらい」ひとの「なかなか知らない」リアルを切り取ったWEBマガジン”でしたので、自己紹介がてら書かせて頂きました。
 

次回もどうぞよろしく。
 

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この記事を書いた人

重光喬之

10年来、脳脊髄液減少症と向き合い、日本一元気な脳脊髄液減少症者として生きていこうと全力疾走をしてきたが、ここ最近の疼痛の悪化で二番手でもいいかなと思い始める。言葉と写真で、私のテーマを社会へ発信したいと思った矢先、plus-handicapのライターへ潜り込むことに成功。記事は、当事者目線での脳脊髄液減少症と、社会起業の対象である知的・発達障害児の育成現場での相互の学び(両育)、可能性や課題について取り上げる。趣味は、写真と蕎麦打ち。クラブミュージックをこよなく愛す。